第22話 水無家への到着
車は生活や人の気配すらしない道を進んでいく。
周りは澄んだ水の流れる小川と、野生の動物が出てきそうな森。
とはいえ道は舗装されているし、ガードレールだってある。
ああ、そうか。水無家の保持する私有地に既に入っており、それがずっと続いているのかと思い至ったころ――進行方向に見えてきたのは歴史を感じさせる木造建築だった。
「あちらが目的ですよ、ぼっちゃん」と嘉手納さんが言った。
車止めに車両が止まると、追従してきたマイクロバスから使用人がぞろぞろと出てきた。
リオの話ではすべてが水無家の人間だというが、基本的に俺の住む洋館で日常的に見る顔ばかりだ。
俺はどうやら鬼炎家に厄介になっていると信じ込んでいただけで、実際は水無家にお世話になっていたらしい。
改めて木造建築を観察する。
旅館のような造りというか、旅館そのものにしか見えないのだが……、ようするにこれが水無家の別荘というわけだ。
たしかに使用人の数を考えると、これぐらいのキャパシティは必要なのだろう。
「では参りましょう、リイチ様。父と母もリイチ様の到着を待っております」
「ああ……、そうだな」
リオの言葉に一つの事実に思い至る。
ここにはリオの両親――つまり水無家の当代がいるわけだ。
よく考えると、俺は水無家のお世話になっている居候みたいなもので、失礼なことをしたら、どうにかなってしまうのだろうか。
「リイチ様? どうかなさいましたか?」
「ああ……」
周りで使用人の方々が忙しく荷物を降ろしている中、俺の異変に気が付いたのだろう。
リオは、『ふふっ……』と笑った。
すがすがしい感じではなく、なんだかイヤらしい感じで……、手を縦にして口に当てると言った。
「まさか、リイチ様」
「な、なんだよ」
「緊張してますね?」
「ちょっとだけ……」
「どうせリイチ様のことです。水無家にお世話になってることを自覚して、居候のような気持になっているのでしょう?」
「お前はエスパーか……?」
リオは満足そうにうなずいた。
「リイチ様。そんな不安いっぱいの童貞のご主人さまに、リオが有益な情報をお教えしましょう」
「童貞とか関係ないからな」
「リイチ様から出ている童貞オーラは、とてもきれいな色をしています。恥ずかしがる必要はありません」
「日本語を話せ」
「純粋ということです。だって昨日の夜、お風呂場の前に落ちていたリオの下着を目をつむって片づけていましたし?」
「あれ罠だったのかよ……」
別の問題、出てきちゃったろうが。
善意で片づけたのに、なんなんだコイツは。
まさか盗撮してないだろうな……って、見逃されているわけがないよな……絶対、写真があるだろう。
リオは案の定、スマホをフリフリした。
「まあまあ、落ち着いてください」
「写真を消せ」
「残念ながら何も写ってませんでしたので、ご心配なく」
「そうなのか?」
「童貞オーラは写真には写らないんですね……」
「オーラの話をしているんじゃねえんだよ」
小声で話していたつもりだったが、なにせ今話をしているのは二人だけである。
周りを歩く使用人の人たちに、なんだか笑われている気がした。
皆の前ではしゃいでいる自覚がなかったのだろうか。
リオも一瞬で真顔になる。
「……行くか」
「……そうですね、ご主人様」
二人して足を進めると、丸石の敷き詰められた入り口が見えた。
語彙の少ない俺には日本庭園としか表現できないような庭。
不均等ながらも、なぜか高級感あふれる飛び石に目を奪われていると気が付く。
あれ、そういえば緊張が消えているな……。
リオのおかげか。
ふと緊張の緩んだ首筋をほぐすように視線をあげると――その先に待っていたのは、二人の大人だった。
「あ……」
「リイチ様。敵ではありませんよ」
「……わかってる」
一人は男性。
その隣、一歩を引いたあたりに女性。
若く見えるのは二人が満面の笑顔だからだろうか。
とくに男性のほうに目がひきつけられる。
やけに威厳あふれるその姿。
俺は一瞬で、その人物の正体に思い至り、体をこわばらせた。
筋肉質ではないが無駄な脂肪はついていない。
中年期……いや、壮年期といっても差し支えのない若々しい表情ながら、髪はロマンスグレー。目じりの皺を単に笑い皺と呼ぶには、目力がありすぎた。
着物というのだろうか。それとも紬というのだろうか。
浴衣のようなシルエットのヨモギ色のそれに、黒の帯を合わせている。
どうみても予め聞いていた――水無家当代。
『水無 巌(みずなし いわお)』
その人だろう。
「やあ、リイチくん。こんな所までよく来てくれた――そしてリオ、久しぶりだね」
俺はまだ子供だと悟る。
どれだけ鍛錬してきても目の前の人物の気圧されている。
うまい返答――それこそ挨拶すら返せない。
俺に代わって、隣のリオが返答した。
しかしそれは親に久しぶりに再会したとは思えないほど冷たい声だった。
「お久しぶりですね、お父様――それでは後ほど」
「リオ、早速ひとつ良いだろうか」
「結構です。さようなら」
「お、おい、そんな言い方は……」と思わず口をはさんでしまう。
氷みたいな言葉。
なんでそこまでリオは拒絶するのだろうか。
「良いのです、リイチ様。この人は放っておいて、まずは中へ」
「よし分かった、勝手にやろう。まずは新作第一弾――」
リオの父親が言った。
ごほんと、一つ咳をした。
「――さっきのコンドル、よろコンドル。だけど今は落ちコンドル」
時が、止まった。
止まらないのはリオの歩みだけ。
俺はとりあえず自分の耳を疑うことにした――その時、背後から嘉手納さんの笑い声がした。
「はっはっは……それは、最高のジョークですよ、当代様! なあ皆!」
荷物を運んでいた使用人たちも、口々に言い合う。
『今回のは艶がある!』とか『さすが当代様!』とか『第二弾はいつ聞けるのですか!』ととか
笑ってないのはリオだけだ。
入口の引き戸に手をかけると、ゆっくりと振り返り――嘉手納さんを含めた使用人に命じた。
「嘉手納。他の者も。くだらないジョークに付き合う暇があるのなら、わたしたちの荷物をすぐに運びなさい」
「はい」と嘉手納さんが真顔で頷く。
「かしこまりました」と使用人も真顔で頷く。
売れ残ったリンゴ飴みたいに突っ立っている当代様は、「これもダメか」となんでもないように頷く。
おそらくはリオの母親だろう女性もリオの背を追いかけて、「ごめんねえ、リオちゃん。でもたまには笑ってあげたら?」とフォローしている。
リオは無表情のまま「お母様からも止めるように言ってください」などと抗議していた。
え?
なんだこれ?
想定していた以上に混沌とした時間が始まったらしい。
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