第21話 水無家への旅立ち

 部屋に戻ると、ベッドにメイドがうつ伏せになって寝ていた。

 枕に顔をうずめるような形だ。

 そんなことってあります? って感じである。普通、メイドが主人のベッドで寝るもんだろうか。


 それとも?


「……寝ているフリか?」


 近づいたら急に起きて、写真を撮るなんてことは普通にあり得るからな。

 最近は、また昔のように警戒する必要があるのだ。


 ベッド脇に立ち、顔を覗き込む。

 枕と顔の隙間から、静かな寝息が聞こえた。


「……すー、すー……むにゃ……それは……ザリガニですよ……クワガタじゃありません……むにゃむにゃ」


 どうやら本当に寝ているようだ。

 それにしてもどんな夢を見ているんだ、こいつは。


「リイチ様は……ザリガニとクワガタの区別もつかないんですね……むにゃ」

「俺の夢かよっ」


 そんなにバカじゃない。失礼なやつめ。


 何をしていたらこんな状況になるのだろうか――周囲を見てみると、サイドテーブルにノートを見つけた。

 筆記用具が挟まっているらしく、表紙が膨らんでいた。

 置いてあるというよりも、投げ捨てた感じだ。

 今にもテーブルの上から落ちそうなほどにぎりぎりのバランスを保っているように見えた。


「ったく……、完璧主義なのか適当性格なのかまったくわからないやつだな……」


 俺はノートを手に取る――が、筆記用具が転がり落ちてしまった。


「あぶね」


 とっさにページに手を差し入れる。

 ペンを拾い上げて、筆記用具を改めて挟もうとすると、いくつかの文章が見えた。


『リイチ様にしてもらうこと。

1、温泉に入ってゆっくりしてもらう(きわどい水着でお背中をお流しして反応を見る)

2、森林浴をしてもらってリラックスしてもらう(使用人に熊の剥製をきさせて襲わせる? 吊り橋効果を作る? それか近くの小さな吊り橋を爆破? どっちかにする。あときわどいミニスカートとセクシーランジェリー必須)

3、おいしいお食事を作ってさしあげる(お母さまのレシピメモを忘れずに。ここは真面目にやる)』


 色々意義を申し立てたい内容ではあるが、最後の一文に言葉を飲み込む。

 母親のレシピ。

 先日食べた朝ご飯を思い出す。母親に似た味付けは、つまりそういうことなのか。

 リオは俺の母親から作り方を聞いていた……なぜだ。


「……お前は、何がしたいんだ。リオ」


 そして母さんは、リオに何を話したんだ。

 嘉手納さんは何を伝えたかったんだ。


 わからないことばかりだ。

 掴めそうで、掴めない。


 理由はわかっている。

 きっとこれは、数学のようにはっきりとした答えがあるわけではないからだ。

 人の気持ちが多く介入した話だから、憶測だけでは決して答えには辿り着けないのだろう。


「……すー、すー……ゴキブリの羽は……エビの尻尾と同じ成分だそうです……むにゃ……でも食べちゃだめですぅ……」


 だからなんの夢を見てるんだよ……。

 聞いてみたかったが、なんだか起こすのも憚られた。


 俺はしばらくその寝顔を見ていた。

 もちろん起きた時、いろいろと言われたけれど。

 ノートのことは知らないふりをした。


   ◇


 あっけなく夏休みは始まり、あっけなく旅行の日はやってきた。

 なんとうか、昔からイメージしていた旅行というのとは若干ずれている朝だ。


 たとえば、移動は嘉手納さんの運転する黒塗りの車。

 その後ろに数名の使用人が乗った小型バスが追走する。

 そのバスには様々な必需品が詰め込んであるみたいだ。

 パーキングエリアにつくたびに数名の付き人が付くし、トイレに入っている間も同様である。


 隣の親子が、『パパー、あのお兄ちゃん、なんかしたのー?』『っし! かかわるんじゃないっ!』などと話していたが、俺は聞こえないふりをした。

 誤解だよ、とでも話しかけた途端に、周りの使用人が親子に何らかのアクションをしかけるに違いない。

 

「ま、それでも楽しいけどな」


 俺は再び動き出した車の後部座席でつぶやく。

 目的地は北側に位置する自然豊かな県で、俺にとっては初めての場所である。


「あら、リイチ様。心の声が駄々洩れですよ?」


 隣に座るリオが、あらあらと口に手を当てる。


「心の声じゃないさ。俺、旅行とかあんまりいったことないからな」

「そうでしたか。最後に行かれたご旅行はどこでしたか?」

「うーん。河原、かな。どっかの。上流に向かって歩いていくと、山につくんだけど、その間に魚を手づかみするんだよな」

「やっぱりこの話はやめましょう。わたしにはついていけない世界が広がりそうです」

「お嬢様には経験ないだろしな」


 だって今から行くのは水無家の別荘だ。

 別荘なんて、普通のサラリーマンは持っていない。


 リオは一瞬でエリートメイドモードに変化した。


「御冗談を。お止めください、鬼炎リイチ様」

「……お前こそ、冗談をやめてくれ」


 鬼炎家に残れるかどうかもわからない中、毎日鍛錬と勉強の日々だ。

 そもそも、これが幸せなのかどうかもわからないが、どうしてか俺はここにいる。


 リオは少しだけ黙った。


「……とはいえリイチ様。今日から三日間はゆっくりとお過ごしください。水無家は、鬼炎家に使える一族とはいえ、直接的な過干渉はございませんし、行く先には内通者もおりません。何をしても、鬼炎家にはばれないことでしょう」

「なるほど……、それは落ち着くかもな」

「ちなみに、水無家の現当主――つまりわたしの父と母は、二日目の昼には別宅を発ちますので、二日目の夜と三日目の朝は、わたしたちと一部の使用人だけになります」

「……なんだって?」

「解放感、マックスです」

「……何も起こらないよな?」


 なんだろうか、この根拠のない不安感は。


「何も、とは?」

「それを聞いているんだが……」

「さあ?」

「途端に不安なんだが……」

「旅行にトラブルはつきものですよ」

「物々しい警備付きでそれはおかしいだろう!」

「さ、嘉手納さん、れっつごーです」


『了解しました、お嬢様』


 ぐん、とあがるスピード。

 ああ、なんだか嫌な予感がするぞ――。

 

   ◇


 人の直感は、意外と当たるものである。

 俺はそれを後日、知る。

 

 その時の俺はまだ気が付いていなかった。

 この旅行ですべてが終わること。

 そしてすべてが始まることを――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る