第20話 夏休み直前に、からまれてます。part2
嘉手納さんの運転する車は、胴の長い高級車というわけではないが、明らかに異常な耐久度を持っていそうな造りである。
黒塗りの車体は、道路の上を滑っているかのように揺れもせずに前進し、さらに本革でふかふかの座席とあいまって、乗り心地は最高だ。
ハンドルを握る嘉手納さんに声をかけた。
「どこか目的地でもあるんですか?」
「そうですねえ。とりあえず、そこらへん、ぐるーっと回る感じでしょうか」
「なるほど……」
なにか意図でもあるのかもしれないが、俺には分からない。
日没までにはまだまだ時間がある。
目的地がないというわりには、嘉手納さんは迷うそぶりもみせずに、運転を続けていた。
市の中心部にある駅。
そこから市内を流れて海へとつながっていく川沿いの道。
自然公園の横を通り抜けて、まだ駅のほうへと向かい始めたころ――嘉手納さんの話は始まった。
だがそれは、元々聞きたかったことである『水無家について』のことではなかった。
「ぼっちゃん、いかがです?」
「……? なんの話ですか? 乗り心地なら、最高です」
「はは、ありがとうございます。といっても、ちょっといじわるな質問だったな」
「いじわる?」
「ええ。分かるわけのない問題を出してるわけですからね、いじわるですわ。私も、お嬢も、そして、ぼっちゃんのお母さんもね」
「え?」
窓の外を流れる景色に目をむけていた俺の視線は、バックミラーに引き寄せられた。モンタージュのように断片的に浮かび上がった嘉手納さんの目元に、剣呑さはない。まるで世間話でもするかのように、柔和だ。
「今の道はですね、ぼっちゃん。私がいつも、ぼっちゃんのお母さんをお乗せしてときに流していた道なんですよ」
「母さんが乗っていた……? この車に?」
思わず座席に手を触れる。
ぬくもりはなく、当然母親の痕跡はない。
俺は先ほどまで車が走っていた道のりを思い出していった。
駅から、川沿い、そして自然公園の脇をとおり、また駅へ。
目的地があるようには見えない。
それに、嘉手納さんの言いぶりだと、母親を乗せたのは一度だけではなく、複数回にわたるようだ。
俺はもう一度、先ほどの景色を思い出してから、質問を口にした。
「どうも、目的地があるようには見えないですよね。……もしかして、一緒に、リオものっていたんですか?」
「どうして、そう思います?」
「人目を避けて走っているように見えましたし、仮に外に出るとしても、人目がなさそうな所ばかりでしたし……、なにより車の中なら、『話をする』には適切でしょうし」
そう。まさに今、俺と嘉手納さんが話をしているように、走り続ける車の中での会話には、邪魔が入らない。
「ええ、その通りですよ。ぼっちゃんのお母さんのほかに、お嬢も乗ってました。そして二人で話をしていました」
「その話っていうのは?」
「ぼっちゃん、そりゃおかしいや」
俺の食い気味の言葉を耳にした嘉手納さんは、運転中とは思えないほど豪快に顔をくしゃくしゃにして笑った。
「わざわざ『ぼっちゃんのお母さん』なんて表現をしているわけですからね、ぼっちゃん。母親が話すことなんて、古い考えのわたしにゃあ、一つや二……広げたって片手の指の数以下の話題しか思い浮かびません」
人間ではなく、女性でもなく、『母親』が話すこと。
古い考えを持った人間である、とことわりを入れた嘉手納さんでなくとも、なんとなく答えが分かる気がした。
一つは、夫の話。
そしてもう一つは子供の話だ。
「母さんがしていたのは、俺の、話ですか」
「もちろん、そうです」
「なんの話を……?」
「なんの話だと思います?」
質問に質問で返されたことに対して、何を思うでもなく、俺の思考は答えを求めはじめた。
母親がリオと話をしたこと。
リオというよりも、水無家の者との話だろうか。
それはどう考えても病気の後に違いない。
その時、ふっと。
当たり前のように考えていた――いや、考えなければ納得できなかった事実に疑問の針が刺さった。
それは一度刺さってしまったら、なかなか抜けないような針だった。
「まさか……、自分が死んだ後に、鬼炎家に俺が拾われるように、水無家に仲介を頼んだ……?」
ありうる。
いや、むしろ、そうでなくては説明がつかないようなこともあった。
葬式の後、いくら血筋の者とは言え、わざわざオンボロアパートまで鬼炎家の人間が迎えにきたのだ。
手際が良すぎた。
なにせ、俺の親父は鬼炎家のものではあるが、すでに他界しているのだ。色々とあったからこそ離縁し、今まで放置されていたはずなのだ。
なのに母親が死んだら、一気に何かが解決するわけもない。
するにしたってタイムラグはあるはずだ。
第一、後から知ったところによると、母さんは鬼炎家の関係者であることを口外することを許されていなかったのだ。
理由は容易に分かる。
自他ともに認める非常識でパワフルな母親を、ここまで厳格な鬼炎家が親族として認める訳がない。
苦労も多かったに違いないが、母親はそれでいいと思っていたのだろう。
貧乏だろうが、なんだろうが、いいと。
鬼炎家に下って、生活費をもらうくらいなら、自分たちで生きてやろうと、そう思ったに違いない。
「……いや、待てよ」
思考とは、なぜこうも、都合よくコロコロと転がってくれるのだろうか。
少しの確定事項が、未定だった可能性をどんどん拾い上げてくれる。
「嘉手納さん、俺、そういえば、知らなかったことがあるんです。俺達の生活費……医療費も含めて、国や市の援助もなにもなく、貯金だけで乗り切っていたんですよ。でも、そんな金、どこから……」
そう。
前にも一度考えたこと。
俺のバイトだけで乗り切れるわけがなかったイベントを、当たり前のように乗り切ってきた事実。
残された通帳に残る、不可解な履歴。
なぜ、我が家にあんなに金があったのか。
なにかが、自分の中だけではあるが、つながった気がした。
いや、それは俺の予想というよりは、手垢がついたほどにドラマなどで使われる手法だ。
ありそうで、実際にはありえない――でも論法でいえば、無茶苦茶とはいえない話。
「母さんは、俺のことを……、鬼炎家に戻すことで……金をもらった……? 後継ぎとして俺を鬼炎家に渡すことで、俺を引き取るように交渉した……?」
その時だった。
「ぼっちゃん、失礼を承知で申し上げますが――」
嘉手納さんの温和さからは想像できないほど、鋭く冷たい言葉が、俺の思考をぶったぎった。
「――お気持ちはわかりますけどね。唯一、信じていられるものを、そうやって自分から泥つけちゃあ、いけないですよ。そういうことを伝えたくて、お車にお乗せしたわけじゃあないです」
叱られているような気分だった。
いや、実際、叱られているのだろう。
だが、それなら、なんのために、リオと母親はこの車の中で会話をしたのだろうか。
父親の血筋の鬼炎家ではなく、
なぜ、
火消しである――いや、火消しでしかない水無家と、命をけずってまで話をしなければならなかったのだろうか?
「嘉手納さん、いったい――」
「ぼっちゃん、つきましたよ」
「え?」
気が付けばそこは、鬼炎家の裏門の前だった。使用人などが使用する小さな門だ。もちろん俺だって使っていい。
「あの、嘉手納さん……俺、聞きたいことが」
「ぼっちゃん」
先ほどの冷たさはどこへやら。
嘉手納さんは、イメージ通りのにっこり顔を浮かべて、運転席から振り返った。
「ぼっちゃんが、その質問をする相手は、私ではないんです。ですが、ぼっちゃん、これは私からの……リオ様だけではなく、あのドライブの中で、ぼっちゃんのお母さんから、私もあの時一つ託されていたと考えるならば、これは――」
――主人公にはなれない端役からの……最初で最後のヒントってやつです。
嘉手納さんの言葉からは、どこか寂しそうな、悲しそうな、でもとても羨ましそうな響きが聞いて取れた。
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