第18話 夏休み前でも、からまれてます。

 体育倉庫でのカマかけ問答からというもの、リオの態度が少しだけ変わった気がするのは気のせいだろうか。


 いや――気のせいではない。

 間違いなくリオの内面には変化が表れていた。


「リイチ様、コーヒーをお持ちいたしました」


 とか、


「こちら、お着替えでございます」


 とか、


「そろそろお休みになられてはいかがでしょうか」


 なんて言葉の後には、大抵、色々なイベントがつきものだったはずなのだが、数日間の中で、そういった展開が一切、見られない。


 そして、そんな中でも、リオはときおり思い出したかのように、


「リイチ様、お風呂の用意ができました。あとは私が水着に着替えるだけですケド」


 なんて、どこまでが冗談なのか不明であるような言葉を口にするわけだが、それもどこか、無理をしている反応のようにも思えた。


 まるで、なんというか……、急速に溶けていった氷が、また、時間をかけて少しずつ凍結していくような感覚。じわじわと出会ったころのリオに逆戻りしていくようだ。


 正直なところ、これまで俺の語ってきたイベントのすべては、リオの豹変に依存するものである。

 逆にいうと、リオの変化がなくなれば、それはただの主人と、ただのメイドの関係になるわけで、語ることはなくなってしまう。


 よって。


 それから数か月の間、とくに何が起こることもなく、鬼炎家での俺の生活は淡々と進んでいった。


 リオは、まるで初めからそうであったかのように、冷静さを取り戻し、あのふざけた性格が、何かの間違いだったかのように、完璧なメイドとして俺に仕えていた。


 俺も、そんなリオの態度に、やりずらさを感じなかったわけではないが、わざわざ『俺をからかってくれ』なんて言う理由もなく、静かな時間の流れに身を任せているだけだった。


 そして、時は経ち――夏が来た。


    ◇


 下校の時間。

 リオは今、完璧なメイドとしての姿勢を維持したまま、俺の横をスタスタと歩いていた。


「そろそろ夏休みですね、リイチ様」


 リオの言葉を実感するよりも先に、『夏休みっていつから、いつまでだっけ』という疑問が生まれてしまった。


「夏休み……?」

「まさかリイチ様、夏休み、ごぞんじないんですか」


 無表情のまま、若干、柔らかくも感じられる語調でリオは言う。夏になり、その服装は涼やかなものになっていた。

 

 少し前であれば、俺はその態度に、違和感を覚えただろう。

 今考えてみると、夢にも思えるほどの、リオの性格豹変。

 数か月前から少しずつなりをひそめ、今では、そんな態度はほぼ、見られない。


 それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。

 あんなに迷惑がっていたはずなのだが、ああいった側面もリオの一部だと知ってしまうと、今度はそれが出てこない分、何かを偽られている気になってしまう。


 ……我ながら面倒くさいやつである。

 

「もちろん、知ってる。ただ最近、学校と家を行きかうだけだからな……。夏休みは、家で鍛錬と勉強するだけだろ」

「あら。それなら心配いりませんよ」

「ん?」

「我が校は、一年時から夏期講習があるような学校ですから。夏休みにはいっても、かわらずに学校と家を行きかうだけです。当然、三年なら過酷中の過酷です」

「……なるほど。っていっても、大学、もう決まってるんだよな?」


 そうらしい。

 俺の進路はがっちがちに固められているのだ。

 リオはつまらなそうに、「それでも夏期講習に出るのです。それが

スタンスなのですから」とよくわからないことを言った。


 まあどちらでもいい。

 俺からすれば何も変わらないのだ。

 変わったとすれば、それはリオの態度だけである。


 リオは、まるで心配していないように、言った。


「それにしてもリイチ様、少しお疲れのようですね」

「そうか?」

「ええ。最近はとくに顔色がすぐれません」


 深く考えずに答えてしまう。


「リオが、最近、冷たいからな。そりゃ、疲れも取れないさ」

「……、……む」

「ん?」


 なんだか、どこか懐かしい感じの声がして、俺は思わずリオを見た。

 リオの頬は膨れていた。

 とっても久しぶりにみた、感情丸出しの表情だった。


 予期せぬ展開に、心臓がドクンとはねた。


「リイチ様、それは、ずるいです」

「な、なにが」

「わたしは、いつも、リイチ様のことを思って、判断してきたんです」

「はあ……?」


 なにをいいだすんだ、こいつは。

 俺のことを脅しまくっているのに。


 しかしリオは、まるで気にしないように、対応を変えない。


「はあ、じゃありませんよ。リイチ様が、色々なお悩みをお持ちになってしまって、勉学がおろそかになってはいけないと思って、わたしも色々と努力したんです。それがなんですか」


 リオは、ぷりぷりとしていた。

 やはりとっても懐かしい感覚だった。


「リイチ様、なにを、笑っていらっしゃるんですか」

「ああ……? すまん、笑っていたつもりはないんだけどな。なんだか懐かしくて」

「懐かしい? たった一、二か月、おとなしくしていただけじゃあないですか」

「それでも、やっぱり、懐かしいんだよ」


 いつもならば言葉を濁すような場面でも、俺の言葉はすらすらと出てきた。それも偽ることのない本当の気持ちばかりだ。

 

 リオがどう思ったのかは分からないが、意義あり!、といった感じだった雰囲気が、若干、ほぐれてきた。


「リイチ様は、わがままです。さびしいっていったり、うるさいっていったり。リオには、よくわかりません……」


 不思議だ。

 年下のリオが……、なんだか今のリオの姿が、年下どころか、小学生ぐらいの女の子に見えてくる。

 それぐらい、幼い感じで、言葉を重ねていた。リオのこの変化はどういうことだろう。


 俺は、なんだか、子供をからかうような気持ちで答えた。


「とはいえ、静かなリオも素敵だからな。もうしばらく、静かでいいや」

「……今のリイチ様、きらいです」

「そりゃ、残念だ」


 ふはは、と笑ってやると、やっぱりリオは頬を膨らませた。

 それから、「でも、リイチ様」と呟く。


「お疲れなのは、確かでしょう?」

「まあ、そうかもな。色々と突っ走ってきたから」

「そこで――」


 リオはスマホを取り出すと、画面を数回タップしてから、俺へと差し出す。


「これを見てください」

「ん」


 画面を見る――風呂上りかなんかの、リオの、バスタオル一枚の自撮り写真だった。妙に谷間を強調して撮影されている。


「……なんだこれは」

「あ、まちがえました」

「わざとだろうが」

「はい」


 悪びれる様子がない……。

 だが、同時に、少しの懐かしさを感じているのも事実。


「すみません、リイチ様。こちらです」


 再度差し出される画面に映っていたのは、一枚の画像だった。

 文明を置き忘れてしまったような、深い山の中に経つ旅館……のような建物がうつっている。

 

「旅館……か?」

「いえ、ここは水無家の別荘のようなものですね」

「別荘……」


 すごいな、と言おうとして、鬼炎家の人間であれば、そんなもの世界中に持っている感覚を忘れちゃいけないのだと思いだす。

 威厳の鬼炎家。

 肩が凝る。


「リイチ様、わたしの前ぐらいでは、緊張しなくていいですよ。メイドなのですから」


 さすがリオというべきか、全てを見抜かれているようだ。


「そうか……、まあ、そうかもな」

「ベルトを外して楽にしてください。手伝いましょうか」

「そうだったよな、お前は、そういうやつだった」


 なつかしさを通り越して、はずかしさすら感じない。


「で、その別荘がどうしたんだ」

「え? ここまで言って分からないのですか?」

「わかるわけないだろう……」

「避暑地ですよ、避暑地」

「はあ……?」


 リオは、そんなことも知らないのか、というような感じで答えを口にした。


「夏休みですから。リイチ様を、水無家の別荘――避暑地へ、ご招待いたします、という話です。すこしぐらい鬼炎家から離れなければ、リイチ様が倒れてしまいますから」

「……ふむ。たしかにそれは、ある」


 残念だが、緊張の日々であることは間違いない。

 少しは気を抜く必要があると思っていたが、どこへいっても鬼炎家の圧は消えない……が、こんな山の中の別荘なら、たしかに忘れることもできそうだ。


 正直、ありがたい。


 リオはしれっと付け加えた。


「わたしの父も来ますので」

「……?」

「母も来ます」

「は……?」

「結婚前の挨拶みたいですね」

「おい、待て」

「うそびょーん」

「真顔で言う嘘じゃねえだろうが。それ、どこまで本当なんだ」

「さあ、どうでしょう?」


 くすくすと笑うリオを見て、思う。

 急に静かになったり、急に元に戻ったり。

 何がなんだかわからないが――夏休みは、どうにも何かがありそうだ。


 けれど、ストレスが多い今、リオの提案は、俺にはとっても魅力的に思えたのだった。

 飛んで火にいる夏の虫――とならないことを祈る。

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