第17話 朝の道場で、からまれてます。

 体育館の一件があった後、何かが変わりそうな予感がしていたが――予感は予感で終わり、俺の専属メイド〈水無リオ〉は、何事もなかったかのように俺に仕えていた。


 だが、収穫はあった。

 以前からの疑念――俺の母親とリオとの関係。


 すべてが分かったわけではないが、判明したこと。


 ――リオは、俺の母親に、生前、会っている。


 問題はそれが、『いつ、どこで、なぜ、なんのために、どうやって』出会ったのか、ということが分からないこと。


 5W1Hで言ってみれば、一つしか分かっていない状況。

 分からないことだらけだ。


 これから俺はどうすればいいのだろうか――。


   ◇


 休日の早朝。


 俺はいつものように朝早くに起きて自主鍛錬をしていた。

 朝早くとはいっても、新聞配達をしていたころに比べたら、十分な睡眠時間を確保できている。


 指南役による実技指導が行われるのは10時頃だ。

 それまでは古武道だが合気道だか、なんていえばいいのかわからない『護衛術』みたいなものを繰り返し行っていく。

 これも俺が鬼炎家の人間であるための課題の一つであるから、真剣に行わなければならない。


 こんなことをするのも、鬼炎家がいたって、普通に当たり前のように、命を狙わ存在だからだという。

 ちなみに嘘でもなんでもなく、人がさらわれたり、殺されそうになったりすることは年に数回あるようで、今はそうでないにしても、昔は命を落とすことは鬼炎家にとっては当たり前だったらしい。

 というより六大名家か。

 

 よって、鬼炎家の籍に入る女性は子だくさんを求められるというのだが、なんだか時代錯誤な価値観の気もする反面、少子化においては正しいわけで、俺はこういう細かいことすべてがモヤモヤしてしまうタイプである。


 閑話休題。


 一の型、二の型、三の型――近頃では、自然と出てくるようになった動きを行いながら、今までの状況を整理していく。



 1、俺には幼少から父親がおらず、記憶もない。母親と二人暮らしで、貧乏だったが、中学生までは何の不自由も感じなかった。


 2、バイトをしながら母親と暮らしていた。高校は通信へと変わり、通学ではなくなったが、やはり毎日、楽しかった。


 3、ある日、母親が病気になった。命にかかわるもので、余命宣告があった。闘病生活をささえながらの勉強、バイト。金には困っていたが、生活が破綻することはなかった。


 4、母親が逝去した。アパートに住む住民や大家さんが助けてくれる生活の中、なぜか俺のもとにきたのは、国による未成年保護制度の話ではなく、鬼炎家による交渉だった。つまるところそれは、〈鬼炎家の人間として生きるか、否か〉


 5、俺は父親の血であるという〈鬼炎家〉に入ることを決めた。とはいえ鬼炎家に関する大した説明はなく、俺に用意された洋館と、使用人と、そして〈鬼炎家の人間として認められるためのプログラム〉を提示されただけ。


 6、そして俺は、毎日〈鬼炎家の人間としてふさわしいか〉という監視にも似た挑戦をこなしながら、生活している。これらは全て、母親が逝去してから一年以内の出来事。



「こんなもんだよな」


 口にだして思考をストップ。

 箇条書きを頭に書いていくのは、やはり思考がまとまって良い。そういえば、それもリオに教わったんだっけ。


「リオ、か……」


 水無リオ。

 やはりただの使用人ではなかった。

 鬼の火消しを担う特殊な家系の一角を担う水無家。その血を継ぐもの。


 これまでの使用人たちの態度を見て気が付いたが、リオと俺に対して気を使っているように見える。つまり、俺からしたらリオも含めて使用人だが、使用人からしたら仕える対象には、リオも入っているのではないか。


 そのリオが俺の母親と生前、出会っていた――いつのことだろう?

 さっきの箇条書きに照らし合わせて、推測するに……。


「母さんの行動パターンが変わって、なおかつ、何かが変化したころが怪しいわけだから……、そうすると3番あたりの時期か」


 母親が死を実感し、俺の生活が変わっていくことが約束された時期。

 以前も思い返したことだが、たしかにそのころ、母親はひとりでふらりとどこかに行くことが増えた。


 もちろんそれは、『病院にいってくる』とか『少し気分転換に散歩してくる』いう理由がほとんどだったが、今思うと、なんだか、少し疑わしい。


 俺の脳裏に、母さんの、強そうでいて、優しそうな、全力の笑顔が浮かんだ。

 人を騙すような母親ではなかった。

 だが、リオのことは、俺は何も聞いていない。

 記憶の中の母親は、まるで生きているかのように、動き回る。

 だが、死者は、記憶以上の、新しい言葉は語らない。


「母さん……、なんで……」


 ぽつりと漏れた言葉と共に、型の動きもとまり――。


「やだ、リイチ様。ひとりマザコンプレイです?」

「うお!?」


 背後から、リオの声が聞こえて、思わず飛びのき、戦闘の構えを取ってしまう。


「小道具のおっきいおっぱい、いります?」

「いらねえよ!」

「そうですか……リオのはおっきくないと……」

「大きさの話じゃない」

「数ですか? ふたつなら、すぐご用意できますが……」

「ひとつも、いらねえ!」

「朝からお元気ですねえ……、リオは昨日、リイチ様が寝かせてくれないので、眠くて仕方がありません」

「勉強に付き合わなくてもいいって言ってるだろ……」

「主人より先に、主人のベッドで寝てもいいメイドなんて、どこに居るんですか……」

「主人のベッドを使うメイドとは一体……」



 視界にうつるのは、どこか、楽しそうな雰囲気のリオ。

 無表情ではないので、からかいモードなのだろうが、仕事はきちんとするらしく、手にはタオルとスポーツドリンクを持っていた。


「さて、リイチ様、時刻になりましたよ。体術指南役がこられるまでは、学術の時間です」

「お、おう」

「……お母さん、って言ってましたっけ? やっぱり、いっこぐらい、おっぱ――」

「いい、間に合ってる」

「え? 自給自足タイプですか?」

「言ってろ」


 なんだか、今まで考えていたことが見透かされているようで、手だけを伸ばして、タオルを取る。


「なんで、及び腰で、タオルを取ってるんです……?」

「べ、べつにいいだろ」

「お子様ですねえ、リイチ様は」


 くすくすと笑う、リオ。


「……なにがお子様なんだよ」


 別にイライラしているわけではないが、なんだか含みがあったので思わず尋ねてしまった。


「ええー? そんなこと、メイドのリオに言わせるのですか?」


 胸を張るように後ろに手を回したリオが、首を傾けながら近づいてくる。

 

 やっぱり顔は……かわいい。

 黒い髪が、道場内の窓からはいってくる太陽光を受けて、溶けかけた氷柱みたいにきらきらと輝いている。


 なんだか、ライオンに狙われたウサギみたいな気持ちを思い出して、俺は一歩を後ずさり、それでも、負けちゃいけないぞという気持ちが出てきて――なさけないことに、また腰が引けていた。


 リオは、俺の下半身を指さした。


「男の人が、えっちなことを考えるのは、ふつうだとおもいますよ? だから、そんなに、腰を引いて、隠さなくても、リオは早朝のテントを責めま――」

「――ぜんぜん、へいき!」


 俺の姿勢は一瞬で、綺麗になった。

 めっちゃ綺麗な姿勢だった。

 もちろん俺の体は、いたって普通だ。


「あら? そうでしたか。わたし、思春期の男性に無理なく仕えるように、きちんと講義も受けているんですよ? ですから安心してくださいね」


 お前が一番安心できないんだよ、とは言わない。

 言ったところでで、わかってもらえるわけがないからだ。


 だが、これだけはつっこんでおこう。


「その講師に言っておけ。下ネタばかり、講義するなって」

「あら。上のお口ネタならいいんですか?」

「言い方」

「リオのちいさい、ピンク色のおくちをいっぱい、開いて――」

「表現力の話じゃないからな!」


 なんなの、こいつ……。

 朝からすごい疲れた……。


「まあ、リイチ様。落ち着いてください」

「お前のせいだろ……いや、その講師のせいだ」


 その時だった。

 俺の言葉を聞いたリオの、頬が『ぷうっ』と膨れた。

 黒髪に、白い肌、切れ長の目に、プロフェッショナルな給仕の動き――なのに、どこか幼く見えるのはなぜだろう。


「こういうの、きらいじゃないくせに」

「はあ?」

「リイチ様、わたし相手だから、そう思うだけじゃないんですか?」

「意味がわからねえ」


 なんの話だよ。


「べーつに? きっと、あれですよね。ばいーん! ぼいーん! きゅっ! みたいな女性だったら、鼻の下のばして、ひょっとこみたいに喜ぶんでしょ」

「どんな喜びかたをすれば、そう表現されるんだ……」


 あと、普通には『ぼん、きゅっ、ぼん』だろう。

 ばいん、ぼいん、きゅって……、きゅってするとこ、おかしいだろ……。


 リオは頬を膨らませたまま、振り返ると、


「朝の朝食できてますからね! わたしが、つくったんですから、食べてください! 残したら全部、上のお口につめますからね!」


 およそメイドとは思えぬ高圧的な指示を出して、すたすたと去っていってしまった。


 道場に残された俺。

 手持無沙汰になり、金属製の水筒にいれられたドリンクを飲む。


「……うまいな」


 それは俺が昔から大好きな、輪切りレモン入りの特製はちみつドリンク。

 そういや、これだって、どこで知ったのやらと思っていたが、……俺の母親に聞いていたのならわかる。


「母親に、聞く、か……」


 母親の話し相手の、リオ。

 それは何を話すのだろうか。

 うちの母親も下ネタが大好きだったので、リオとは気が合ったことだろうが……、友達関係では、さすがにないだろう。


 鬼炎家と関係をきって、生活していた俺の母親。

 父親の死はただの事故死。これも疑ってしまえば、信じられるものがなにもなくなる。


 そして、鬼炎家に仕える水無家――リオ。

 挨拶さえしたことのない、他の鬼炎家のメイドらも、こういう仕え方をしているのだろうか?


 まさか。そんな仕えかたしてたら、……鬼炎家に消されるよな、さすがに。


「と、なると……」


 だからきっとこれは、鬼炎家は関係ないことだ。

 父親の死亡原因だって、鬼炎家のことだから、今回には関係ないはず。


 つまるところこれは――俺と、俺の母親と、そして、水無リオの問題なのだろう。

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