第16話 体育倉庫で、からまれてます。part2
目の前のリオは、閉じ込められたというのに、実に楽しそうに笑っている。
監禁? 軟禁? いや、この場合二人とも閉じ込められているのだから、その言葉は当てはまらない。
なのに、なぜだかリオが優位に思えてしまう――この状況には、じつにその言葉が適切な感じがした。
「先輩、どーしましょーか?」
「どうするもなにも……」
「なにか、します……?」
「ここから出るだけだろ」
「出る」
「そうだ」
「出る前に?」
「出るだけだ」
「へえ……でも、先輩、その前にいろいろ、教えてあげましょうか? 知りたく、ないですか? いろんなこと」
ペロリ、と口をなめるリオのその行為に、どんな意味があるのかは分からない。分からないがなんだか、見てはいけないものを見てしまったように、俺の視線は下がる。
「い、いいです」
「……本当に?」
リオは、垂れていた長い髪を耳にかけた。
色白の肌、切れ長の目、長く黒く艶やかな髪。まるでお嬢様のような造形は、嘉手納さん曰く、本当にお嬢様だから。
リオは一歩、一歩と俺に近づいてきた。
体に密着しすぎている学校指定の体操着は、不必要な肌の露出はほぼない。なのにハダカよりも官能的に見えてしまうのは……いったいなぜなのだろうか。
「先輩」
「な、なんですか」
「敬語なんて、かわいーんだ」
片方の口の端だけを上げるように、笑うリオは俺の目の前までやってきた。
下がり続けていた俺はと言えば、背後に壁がある状態。これ以上は下がれない。
図体ばかり俺の方がでかく、それ以外の全てはリオが勝っているような錯覚を覚えた。
「先輩、本当に、なんにも知らないんですか……?」
「な、なにもって」
「なにも、知りたくないんですか……?」
そういって、リオはもう一歩、近づいてきた。
それはもう、接近というよりも、密着に向けての一歩のようで、俺の開き気味だった足の間に、リオの靴が割り込んだ。
すぐ目の前にリオの顔。
髪の毛からやけに良い匂いがして、頭がクラクラしてきた。
どうしたことだろう。
先ほどまで動いていたと思っていたリオの表情が、無表情に近いものに変化していた。
――これは、いつものパターンではないのか?
「先輩……」
桃色の唇が、動いた。
近くでみると、唇の粘膜がゆっくりと離れては近づくさまが、手に取るように分かってしまう。
「先輩、本当に、知らないんですか」
「し、しらないって言っているだろうが」
そもそも何の話なんだ――そう返そうとして、ふと、気が付く。
先ほどから、俺は、リオに脅しに使われる何かを撮影・録音されることを恐れていた。だからこそ、そういったハラスメントにあたる行為に抵触しまいと、後ずさってきたわけだ。
だが、どうもリオの言葉には、なにかしらの意図を感じないだろうか。
リオの顔をみる。
無表情だ。
ふと、おかしさを感じる。
こういった、状況におかれたとき、リオは大抵、表情が豊かに動く。今だって、もしも、俺になにかしらの容疑をふっかけようとしているのであれば、そういう表情になっているべきだ。
であるのに無表情――なにか、おかしい。
俺の脳裏に、ふっとよぎる言葉。
先日の不可思議な話の最後。
嘉手納さんの別れの言葉。
『お嬢の事、くれぐれもよろしく頼みます』
あれから考えていたこと――リオは俺に何か隠し事をしている。
それが何かは知らないが、嘉手納さんの言葉と、俺の直観、そして突如として変容したリオの態度が全て無関係とも思えない。
この状況……もしかすると、好機といえるのは、俺のほうなのか?
邪魔はいない。
誰に話を聞かれることもない。
そして、リオは、なにかの答えを求めている――。
俺は眼前のリオを見た。
詳しくいえば、リオの視線に、自分のそれをぶつけた。真正面から、ぶつけた。
それはハッタリを掛ける上で、重要な行動であった。気持ちで負けていては、すぐにブラフはバレる。
そう、ブラフだ。
ハッタリだ。
答えがない以上、相手から言葉を引き出す以外の道はない。
「知りたいって――もしかして……例の、話のことか」
俺は言った。言い切った。
例の話? それってなんですか――そんな風に聞かれたら、俺だって聞きたい。例の話ってなんですか? 俺が聞きたいことを、逆に、リオの口から引き出さなければならない。
これは、誘導尋問といってもいい。
俺は今、偶然ではあるが、真実に近づくためのチャンスをつかんでいるのかもしれない。
まったく準備がなかったために、出たとこ勝負の会話となる。だがそれが逆に相手の信頼感を得るだろう。
「例の、話」
リオは、わずかにだが、目を開いた。
俺は確信を持つ。
リオはやはり、何かを確かめるために、今、俺に近づいてきたのだ。
まるで獣が襲うべき標的を見極めるように、瞳の奥にうつっている真実を見つけるように――。
俺は二発目のジャブを入れた。
「嘉手納さんから、聞いたぞ……少しだけだけどな」
「そ、」
リオは呼吸を忘れたように、口を開いたまま止まった。
俺も止まってはいたが、俺の場合は、下手に言葉を吐くのは控えるべきだからである。相手にしゃべらせなければ、ボロがでるだけだ。何もしらないのだから。
リオは言った。
「それは、どこまで……嘉手納さんは、どこまで話していたんですか」
どこまで――新しい課題だ。
この話には段階があるということか?
まずは正直に、言えるところまでを話してみるか……。
「鬼炎家には、火消し家というのがいて、そこに水無家が属しているってこと。それぞれが、別々の鬼炎家の本家の人間に仕えていて、リオの場合は、それが俺ってこと」
「あとは?」
リオの表情から完全に表情が消えていた。
立ち位置は変わらず、依然として俺の瞳を覗き込むような位置だ。
俺はツバを呑み込んだ。
視線を逸らしてしまいそうになるが、ここで逸らしたら何かがバレてしまいそうだ。
俺はぐっと耐えた。
同時に、次のハッタリを求められていることを知った。
なんたって俺が知っている事実――嘉手納さんからの話なんて、要約してしまえばこれくらいだったのだ。
「あとは……」
「あとは?」
「それは……」
俺はこれまで抱いてきた一つの疑問をぶつけることにした。
今の俺には、それしか弾がなかったともいえる。
「それは……リオが、俺の母親と、会ったことがあること」
今度はリオの喉がうごく番だった。
喉に言葉がつっかかっているかのように、必死に口を動かしているように見えた。
「……そう、ですか。嘉手納さんにも、困ったものですね。そんなことをお話になるなんて」
嘉手納さんには悪いことをしてしまった。このあとフォローはしておこう。
だが、今はもっと大事なことがある。
リオの言葉は、ただ一つの事実を肯定していた。
リオと母親が、生前、会ったことがあるという事実――それを今、俺ははっきりと確信した。
料理の味。
母親の武勇伝。
そのほかにも細かいことが色々と――前々から感じていた違和感が氷解していく。
直接俺の母親と話さなければ分からないような情報が、リオの口から出ていたことに、とりあえずの説明はついた。
だがすぐに、次の疑問が首をもたげた。
なぜ――なぜ、リオは俺の母親と会ったことがあるのだろうか。そして、それはいつのことなのだろうか。
新たなる疑問は一瞬にして、思考を埋めた。
今までの論理がすべてどこかに消えてしまうくらいに、圧倒的な疑問だった。
そこを狙ったわけではないだろうが、リオの言葉は結果的にそこを突いてきた。
「リイチ様。それで、お母様と私が交わした会話の内容は、ご存知ですか?」
「あ、ああ……そうだな、えっと」
思考がすぐに、ハッタリモードに戻らなかった。
――マズイ。
自信のない返答。
ハッタリに必要な自信の消えてしまった俺の行動。
とっさに視線を上に向けてしまった。
それが決定打となった。
「ああ」とリオは言った。
確信したような、単純な返答だった。
「それ以上は、ご存知ないのですね」
さすがというべきか。
視線だけで主人の言いたいこと・やりたいことを察する必要のあるメイドならではだ。
……ここまでか。
俺は諦めて、静かにうなずいた。
これ以上ハッタリを続けることは、逆に不信感を与えてしまう。嘉手納さんにも迷惑をかけているのだろうし、一度、引くことにしよう……。
だが、ここまで情報を引き出せたのはデカい。
「ああ、そうですか、そうですか。嘉手納さんにも困ったものですけど、それは仕方のないことです。それにしても、そうでしたか、それは安心しました」
リオは、はじけるような笑顔を浮かべた。
それが、作られたような、笑顔に見えたのは――見間違いだろうか。
「リイチ様。続き、します……? まだ、閉じ込められたままですし……」
わざとなのか、胸を押し上げるように、さらに近づいて来ようとするリオへ、俺は既に気が付いていた事実を指摘した。
「……スマホで外部に助けを求めてくれ」
「あれ、気が付いてました?」
実に単純な解決方法。そんなこと、分かっていたかのように、リオの行動は迅速だった。
リオはにっこりと笑うと、その笑顔をくずさないまま、ピッとどこかに電話を掛けはじめる。
俺は外部に連絡をとるリオから離れると、その顔を盗み見た。
なにも変わらないリオ。
しかしどこか変わっているリオ。
リオと母親は――なぜ、どこで、いつ、会っていたのだろうか。
それはまさか……俺の今の境遇に関係があるのだろうか?
答えは、リオの表情には見られなかった。
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