第15話 体育倉庫で、からまれてます。part1
体育の授業が終われば、一転して片付けが始まる。
俺は体育教師の理解に難しい理論――たとえば、日付を足したり引いたり、曜日から連想されたり――のすえに、提示された方針により、使用したボールの体育倉庫搬入を命じられた。
俺とは別に、ボールを集める生徒が数名、任命されている。よって俺だけが特別に専任されたわけではない。
こういう教師の独裁的な判断みたいなものは、金持ち学校だろうが、普通の学校だろうが大差はないらしい。なんだか一般的な中学校に通っていた頃が少し懐かしくなった。
体育は四時限目だったということもあり、昼休みの残り時間を考えなければ、活動時間には十分に余裕がある。
正直なところ広大な敷地すぎて、サッカーボールがあった体育倉庫の場所があやふやなのだが、焦らずに確認をしにいこう。
ボールを集めている同級生がこちらを気にしていないのを幸いとして、俺は片付けるべき体育倉庫の確認へと向かった。
しばらく歩きまわって、ようやく位置関係を把握する。
どうやら体育倉庫はいくつか存在し、用途別に分かれているらしい。
さて、そうなるとサッカーボールをしまう倉庫はどれにあたるのだろうか――。
――と、考えているときだった。
「先輩、体育倉庫までご案内しましょうか」
しばらく進んだところで、リオに出会った。いや、出会ったというのはおかしいだろう。どう考えても待ち伏せされていた。
色々と問題はあるが優秀には違いない専属メイドは、主人が今現在どのような課題の前にいるのかを把握できるらしい。
周囲にはバレない程度にキョロキョロとしていたのだが、リオのまえでは効果がなかったというわけか。
「よく俺の悩みがわかったな」
「先輩、あんなにキョロキョロしていたら、誰でも分かりますからね?」
「お、おう」
誰でもわかるのかよ……。
ということは、誰でもわかっていたのに、俺は誰にも助けてもらえなかったということか。
……うん。深く考えるのはやめよう。
「友達いなくて、かわいそう……でも、リオはずーっと、側にいてあげますから。わあ、嬉しい。さあ、先輩、喜んでくださーい」
「じゃあな。俺は忙しい」
「あ、ちょっと、せんぱーい。まってくださいよー」
俺は元の場所に戻って、周囲を見る。ボールを集めている生徒はいつの間にか消えていた。
見事に誰もおらず、カートがぽつんとグラウンドに置かれているだけだった。まあ、ボールの数も多いわけではないし、ボール集めもすぐ終わったのだろうと思う。
「さっさと片付けて、飯を食うからな」
「はーい」
リオが俺で遊び始める信号を察知したので、早々にサッカーボールの入っているカゴを片付けようとする姿勢を見せつけた。キャスターがついているので、作業事態は一人でも容易に可能だ。
「よし、いくか……」
俺がカートを押し始めると、リオの声がそれを止める。
「先輩、先輩。サッカーボールはこちらの体育倉庫ですよ? それとも、リオのこと、どっか人気のないとこに、誘ってます?」
リオは意味もなく手を胸の前で交差させて、首をかしげた。柔らかそうな物体が2つ、寄せられて、薄すぎる体操着の下でおしあげられた。
俺は視線をそらしてから、言った。
「……誘導、よろしくたのむ」
「はーい」
目にとても悪い……いや逆なのかもしれないが、とにかく俺にとっては、見たくない光景。奴の前に立つのは控えよう。
ひとまずはリオに先頭を歩いてもらい、俺もそれに続けば問題はないだろう――と思っていたら、背後は背後で、なんだかくねくねと動く腰が目に毒だった。いっそ主人命令で段ボールでもかぶらせようかと思うが、それはそれでヤバい奴なので、俺は視線を下げて歩くに努めた。
◇
第三体育倉庫。
扉は空いていたので、そのまま入る。
やたら広く、さまざまな部活の備品がおいてあった。なかにはなんの部活で使用するのかもわからない、形容しにくい物体などもおいてあり、黒曜学園の混沌さが嫌でもわかる場所のようだった。
俺とリオは倉庫の奥にまで進んでいた。俺がカートを押して、リオがそれに続く。たいした会話はない。
かなり広い倉庫だ。L字型になっていて、ボールは一番奥らしい。日中帯ということもあり、明かりをつけずとも問題はなかった。
「ここに置いておけばいいんだよな」
「ええ、それで、ここの端末に、体育教師から預かっているカードを触れさせれば終わりです」
リオの言葉に、はて、と首を傾げる。
「カード? そんなの借りてないけど……」
「そんなはずはありませんよ。それがないと、何もできませんし」
「つってもなあ……」
……いや、ちょっと待てよ。
記憶がよみがえる。
そういえば、ボールを片付けているやつの一人が体育教師からカードを預かっていた。そいつも、たしか、ボールのカートにカードを触れさせていたな。
俺はカートの側面を見た。小さな液晶付きの端末が設置されている。
触れると『ボール、40個確認済。最終使用、×月×日』と表示された。
「こういうシステムなんですよ」
リオも一緒になって覗き込んでいたようだ。
声に反応して横を見れば、すぐそばにリオの顔があった。俺はドキリとしたのを悟られないように、姿勢を戻した。
リオはそのまま言葉をつづけた。
「黒曜学園は備品の数がすごいですからね。管理はすべてAIを使っているんですけど――それにしても先輩、先輩。まさか、クラスでいじめられてるんですか? カードをもらえないなんて、かわいそーですね?」
「ああ、いや……」
なんとなくだが、理由はわかる。
カートにボールがおさまるまで、俺は倉庫の場所をおおまかに理解しようと、場を離れていた。帰ってきたころにはカートだけが置かれていた。
もしかすると、そこでなんらかの手違いか、引き継ぎ忘れなんかが起きてしまったのだろう。
悪いのは黙ってその場を離れた俺だ。もっときちんとクラスメイトと意思疎通をすべきだった。こんな生活になってからというもの、毎日の勉強や鍛錬に必死で、クラスメイトとまともに話すこともなかったからな。昼休みも基本的にリオと一緒だし。
黙っていた俺をどう思ったのか、リオは、驚いたような表情を大袈裟に浮かべた。
「いやだなあ、先輩! 冗談ですって! いじめられても、その代わりに、わたしをいじめて、楽しんでくださいね」
「いじめなんて楽しくないだろ。そういう冗談はやめろ」
「もちろん、陰湿ないじめはいけません。でも男女の……楽しい、いじめ、ならどうです? 経験、あります?」
「うるせえ」
口で否定しつつ、体でも否定を示す。
俺はリオから離れた。なぜって、リオが少しずつ近づいてくるから。
「あれ、先輩、なんで離れるんですかあ?」
「お前が近づいてくるからだろうが」
「えー? そういうこと、女の子に言っちゃいけないんだー」
まるでライオンに狙われたうさぎのような気持ちで、俺は体育倉庫の奥へ奥へと追いやられていく。かかとがボールのカートにぶつかったところで、逃げ場がなくなる。
「せーんぱい。なんで、逃げるんですかあ?」
「イヤな予感がする」
「えー? そんなこと、ないですよう」
リオの手にいつの間にか、スマホが握られていた。あいつ、何をする気だ。まさか鈍器のように俺の頭を叩くわけじゃないだろう。ならば何かの撮影しかありえない。もしくは録音か?
ようやく気が付く。この場所――体育倉庫は、場合によってはリオと二人きりになってしまう大変危険なスポットだった。はやく脱出しなければならない。そしてカードを手に入れて、任務を遂行しよう――。
――その時だった。
『よーし、昼飯いこうぜ!』
『おし、閉じろー、カードカード』
『ピピ――ロックされました』
なんというか、とても不安になる会話と合成音声によるメッセージが聞こえてきた。
俺とリオは、二人をそろって、出入口のほうを振り返る。とはいえ、L字型の建物のため、視界はまったく開いておらず、音の方を見ただけだ。
俺達の会話は再開されず、出入口に降り始めたスコールのような一瞬の喧騒はすぐに消え去った。
リオはわざとらしく、『んー?』と口元に人差し指をあてる。
「そういえば、おかしいことに、カードがないのに、扉が開いていましたね。普通は、ロックがかかっているはずなんですけど」
たしかに、体育倉庫の扉は開いていた。
リオが何もいってこないので、俺も気にしなかったが、どう考えてもシステム的には出入口だってカードで開錠しなきゃおかしい。
「それが開いていたということは、元々誰かが開けていたということか」
授業はブッキングすることがある。それは前も言った通り。そして黒曜学園は規模がでかく、体育が一番、ブッキングする。
他の学年・クラスの生徒がなにかしらの理由で開錠し、荷物を取りに戻り、また戻ってきてしまったあと、扉を――。
リオは俺の思考を引き継いだ。
「他の生徒が扉を閉めたようですね?」
俺はわかりきっていることを、あえてリオに尋ねてしまった。
「つまり、どういうことだ?」
「確かめに行かずともわかりますが――」
リオは、これ以上ないほどに、にっこりと笑った。
「――わたしたち、今、密室空間に、ふたりっきりみたいです。ね、リイチ様?」
つまるところ、閉じ込められということだ。
いや、わかっていたけども……これは、相当、まずい。
命ではなく、既成事実という意味で。
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