第13話 思い出の中では、からまれません。

 母さんの体調が悪くなったのは、突然のことではなかった。なにか具合が悪そうな日々が続いていたのはよく覚えている。

 ただ、劇的に生活が変わったのは、病院へ受診した後のことだった。


 いつもくだらない下ネタばかり口にする母さんにしては、やけに深刻そうな顔をしていた。


「お母さん、余命がさ――」


 そうして始まった会話を、俺はもう詳しく覚えていない。

 だけど、自分が最後に口にした言葉だけは覚えている。


「大丈夫。俺も頑張るから!」


 なにが大丈夫なのかは今をもってしても分からないが、とにかく俺はそうして、母との二人三脚を始めた。


   ◇


 だが、人生とはうまくいくことばかりではない。

 そんなこと知っているつもりだったが、それでも幸せだったので、気にならなかったのだろうと思う。


 お金はないけど、毎日、笑っていた。

 オンボロアパートで、他の住人が巻き起こすアクシデントに、あえて首をつっこんでいく母親をフォローしながらの日々。

 怖いけども、人情を忘れない大家さんに、家賃滞納を待ってもらう日々。


 すべて、うまくいっているとは程遠い毎日だったけれど、やっぱり、俺は楽しかったのだ。


 だが、母がその生を終えた時、俺は人生で初めて、人生の苦さを知った。

 結局のところ、人生において、大事なのはお金や、上手くいくことではないのだと思う。


 生きる意味――そのための大事な人、思い、記憶、場所。


 そういったものが人を生かす。

 そういったものが人生に潤いをあたえるのだろう。


 そうすると、つまるところ、今の俺の生きる意味はなんだろうか――考えてみると、母の最期の言葉に行き当たる。


 末期の母は、元気だったころには想像もできないほどにやせほそった腕を持ち上げて、俺の手を握ると、まさか一分後に呼吸を引き取るとは思えないほど、はっきりと言葉を並べた。


「リイチ。あんたは、わたしたちの宝。あんたには、未来を切り開く、力がある。あんたには、人を支える力がある。だから、頑張れ。一人じゃない。リイチは一人じゃないから、まだまだ頑張れるよ。絶対に、あきらめるな、リイチ、頑張るんだよ……!」


 そうして母はその生を終えた。

 親戚がいないにも関わらず、参列者だけは多かった葬式は、母親の人徳を象徴しているかのようだった。


 無念だろうね――誰がともなく母をそう評したし、俺もそう思ってはいたが、母の死に顔をみると、なにか、その顔はやりきったような晴々としたようなものに見えたから不思議なものだ。


 何をやりとげたのか――それは俺にも分からない。

 どう考えても短い人生。

 子供のことを一人で残していき、やりたかったことは未達だろう。

 なのに、なぜこんなに、やりきったような顔をしているのか。

 俺は不思議でならなかった。

 

 母はいったい、何をやりきったのか。

 母はいったい、余命宣告の後、なにをしていたのか。


 そういえば、母は、一人でどこかに行くことが増えていた。

 当時はとくに気にすることもなかったけれど、最近は、なぜかそれが気になる。


 母さん――母さんは、いったい、なにをやり遂げたんだ?

 記憶の中の母は、答えを教えてはくれなかった。

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