第11話 信号待ちで、からまれてます。

 放課後。下校時。

 リオと二人で歩く帰路。


 通学路にいくつか存在する大通りの信号にさしかかった。歩行者信号は青から赤へ変わるための点滅を繰り返しているところだった。

 二人で立ち止まる。自然と横並び。ここは待ち時間がなかなか長いので、タイミング次第ではかなりの時間、待ちぼうけとなる。


 リオが言った。


「……え? おっぱいって言いました?」

「なにも言ってないだろ……」


 こいつはいきなり何を言い出すんだ。

 周りを見るが人はいない。まあそりゃそうだ。リオが何かしらの変貌を見せるときは、必ず二人きりのときなのだから。

 むしろ、居る時に変貌したら、何か別のミッションが始まっているということで、なおさら警戒せねばならない。


 リオはツンとすまし顔だ。

 まるで俺を犬かなにかだと勘違いしているような不遜な態度。しかし見た目は黒上ロングのクール系なので、とてもやり辛い。


「リイチ様が、なにか言いたそうな顔をしていらっしゃったので聞いてみたのですが」

「言いたいことなんて何もないぞ」


 正直に言えば、言いたいことなんてめっちゃあるんだけど。

 もちろん、そんなことを言うわけがない。言ったところで何かしらの揚げ足取りが発生するに決まってる。俺のほうが口が弱いことはいい加減理解したからな。


「ですがリイチ様? 今日一日、私のことをチラチラと見ておりますよね」

「見てない」

「主に胸あたりに視線を感じます。乳頭よりも、谷間ですね」

「言っていて悲しくならないのか、お前は……?」


 わざとバカにしたような言い方をしたのだが、リオはこれっぽちもダメージをおっていないようだった。

 むしろ、さっとスマホを取り出すと、慣れた手つきで画像を表示させた。


「悲しいなんてとんでもないことです。リイチ様のようなお方に奉公することができて、リオはとーってもしあわせですよ?」


 画面をこっちに見せながら、スマホを右に左に振った。

 忘れそうになるが、事の発端となった例の画像だ。俺が熱を出したころの、見ようによってはメイドにセクハラしている主人のように見える写真。


 リオはなんだか嬉しそうに口を開いた。

 すでにクールモードは解除されているようだ。


「どの角度からでも、先輩を包囲してますからね? 簡単には、逃げられないですよ? それとも諦めて、メイドのリオちゃんの胸に顔をうずめて、現実、わすれてみますか?」

「さらに脅されるだけだろうが……」

「わ、ざんねん。ばれちゃいました」

「そういうときはもう少し、残念そうにしろ――そして不毛にしかならんから、この話は終わりだ」


 もちろん、先日の嘉手納さんとの会話の時に感じた違和感――その正体を探るための質問が、ないわけではない。

 とはいえ、リオに聞いてもすんなりと答えてくれるわけがないし、なにより、それに関する質問は一度聞いてしまったが最後のような気がする。

 もしもその一回で真実にたどり着けなければ、なんらかの対策を講じられてしまうと考えている――もちろん全てが俺の杞憂である可能性もあるのだが。

 だが気になるものは気になる。たとえそれが、ただの言いがかりレベルの証拠だとしても、一度気になってしまうと、どうしても確かめたくなるのが人間というものだろう。


 なんだか、俺らしくもない気がする。

 いや……昔はこんなふうに悩んでいることもあったっけ?

 最近は、悩む前に、努力をしなければならぬ環境に身を置いているせいか、リオと話をしているとき以外は、何も考えていない気もする。

 そういえばリオに『なにも考えずにただただ勉強をするのは、効率が悪いですよ、リイチ様。やり方を変えましょう』と言われたことが多々ある。やはり俺は最近まで、思考停止をしていたのかもしれない。

 動き始めたのは、最近――それこそリオが豹変したあたりから。

 確かにそのあたりから日常生活の記憶の量が増えている気もする――。


 ああでもない、こうでもないと俺が考えていると、隣で信号を待っているリオが俺を見上げた。


「先輩、青ですよ」

「……ん」


 考えすぎていたか。これはこれで問題だと思うのだけど。


 信号を見る。

 赤だ。


「赤じゃないか……」

「え? 青ですよ」

「お前の目は節穴か。どうみても赤信号だろうが」

「先輩の耳こそ、きちんと耳掃除された方が良いのではないですか? 年下で後輩で専属メイドのふとももに頭をのっけて」

「ピンポイントすぎるだろうが」


 リオは繰り返した。


「それにしても、青です」

「だから赤信号だろ」

「下着の色の話をしていたんじゃないですか」

「……いい天気だなぁ」

「ええ。青空が綺麗です。わたしの下着の色みたいな綺麗な青――さて、今日の『リオちゃんの下着の色は何色かな?』の答え合わせは何時何分にしましょうか」

「毎日の習慣みたいに言うのはやめろ」

「毎日、メイド服の前をたくしあげさせて、答え合わせをしているくせに……」

「本気で誤解されるからやめろ……!」


 俺の言い方に何かを感じたのだろうか。

 リオはここぞとばかりに豹変した。


「えー、先輩、かわいー。下着くらいで恥ずかしがってたらダメじゃないですか。たかが布ですよ? それとも先輩、わたしの制服で興奮してるんですか? ねえねえ、先輩」

「甘ったるい声を出すんじゃない」


 リオの顔が無表情になった。


「そのようなことでは、いざ本番に下着を脱がすときに困ります。あなたさまは鬼炎家の次期当主候補の1名なのですよ」

「甘ったるい声のほうがまだよかった……」


 なんかもう、クールに言われると俺が間違っているような気分にさせられる。バカな話には、それ相応のテンションってものが必要らしい。


 リオの会話の展開が無理やりな気もした。

 いつもみたいに、追い詰めて端っこに寄せてくるような感じが薄い。

 まるでどうしても触れられたくない会話から、俺の意識を引きはがしているように見えてしまう。

 まあ……俺がうがった見方をしているだけかもしれないが。


 まあいい。

 この話はしばらく自分も忘れよう。

 でないと、何かがどんどんズレていってしまいそうだ。


 それに、だが。

 仮にもしも、リオにもなんらかの理由があるのなら、それはいつかきっと教えてくれる理由なのだと思っている。

 

 こいつは確かに分からないところもある。

 だが一つだけ確実なのは、なんだかんだいって俺のことを助けてくれているということだ。

 聞きたいことは沢山あるが――今は黙っていよう。

 だって、リオは俺の数少ない味方なのだから。


 リオの声がした。


「リイチ様、青です」

「下着の話はもういい」

「信号の話でーす」

「……いくぞ」

「ぷー、くすくす、先輩、かわいーんだ」


 多分、こいつは俺の味方だから。

 だから、今は聞かずに信じていよう 

 ……味方だよな?


「それにしても先輩って、いっつもわたしのおっぱいを見てますね。ほんとうに、さみしがりやなんですね。お母さまの変わりはできませんが、それでもよろしければ、枕にしてもいいんですよ?」

「しません、みてません、だまれ」

「写真は撮りましたよね」

「撮ってま――っく」


 雨の日に谷間を撮っていた。

 嘘はつけない。


「……撮りました」

「やだー、先輩、嘘つけない性格ですもんね、そういうところ、わたし、かわいーとおもうんですよ? どう思います?」


 キャー、と一人で騒いでいるリオを放っておいて、俺は歩みを進めた。

 リオも体をこちらに向け気味に歩いている。

 背後に視界は届かず、気配なんかで何かを感知することも無理だろう。


 そんな時である。

 リオの背後に影が見えた。


 視認――交差点の右折車線から、バイクが猛スピードで突っ込んできたらしい。

 右折時の待機が待てなかったのか、それともただの危険運転か……!


 俺はとっさに、リオの手を引いた。


「――リオ、こっち!」

「え?」


 そのままリオの体を胸に抱いて、後ずさる。映画みたいに飛び込むような真似はできない。最低限の回避行動。半年とはいえ鍛錬をしているせいか、随分と思い通りに体が動いた。


 一拍を置き、バイクが甲高いエンジン音を鳴らしながら通過していく。

 リオが通るはずだった進路上だ。

 もしも気が付かなければ、事故になっていたかもしれない。


 反対側から歩いてきた人間がバイクの背を視線で追う。

 俺達に話しかけてくることこそしないが、連れのいる歩行者は一様に『あぶないなあ』といったような話をして、横断していた。


「ったく。ああいうバカがいるから事故がなくならないんだ……リオ、大丈夫か」

「……あ、はい、どうも、先輩」


 たん、とリオが俺の胸を押す。

 緩やかに、リオと俺の体が離れた。


 苦しかったのだろうか。

 リオの顔はやけに赤かった。

 それともまさか、引き寄せた時に何か異常事態が起きてしまったのだろうか。


「リオ、大丈夫か? 顔が赤いみたいだけど、引っ張ったときに、足でも捻ったか?」

「……べ、」

「ん? なんだ?」

「べ、べつになんでもないです! 顔も赤くなんてありませんから! 先輩、なにいってるんですか!?」

「い、いや……十分赤いと思うんだが……痛みとか、我慢してないよな?」

「してません! なんですかもう! そんなに人の顔色のことに固執して……! 下着の色は気にしないくせに!」

「人として正しいだろうが」

「男として、間違ってるんです! でももう知りません! もうっ!」


 はあ。なんなんだこいつ……。

 人が助けてやったのに、お礼の一つも言わないぞ。


 それどころか、俺の胸をぽかぽかとグーで殴ってきた。


「もう! 先輩の、ばか! どんかん! とうへんぼく! えっち! おんじん!」

「なにをキレてんだよ……」


 心配してるってのに、意味が分からない。

 結局、俺に対する罵詈雑言?、は帰宅するまで続いた。

 いや、恩人とか言ってるし、感謝はしているのだろうか。わからない。


 まあいいか…… そんなリオだが、俺の数少ない味方であることには変わらないのだろうから。

 ……多分、だけど。

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