第9話 三番目のリオ(scene1)

 そよく晴れた休日のことだった。

 俺は一人で散歩をしている。

 なぜ一人なのかといえば、それは数時間ほどまえのことに起因する。


   ◇


 日曜日だろうとも、自習と鍛錬は欠かせない。

 いや、むしろ日曜日の自由があるときだからこそ、いつも以上に気合を入れなければならないのだろう。

 俺は周回遅れ中なのだ。


「失礼いたします、リイチ様――わたしはすぐに出かけますので、そのままお聞きください」


 ドアのノックと共にリオが入室。使用人の方々には、俺の部屋に入ることの制限はしていない。


 「ん、なんだ?」


 首だけで振り返り、リオの気配を確認。

 うん。たしかにリオだ――ノートに視線を戻した。


「しばらく必需品の買い出しにいかねばなりませんので、不在となります。申し訳ございませんが、何かご入用の時は他の使用人をお呼びください」

「ああ……うん、わかった」


 俺は歴史の暗記に四苦八苦しながらも、なんとか答える。

 ノートにうつる文字がどうも、歪んで見える。疲れているのだろうか。


「残念ですが、さびしがらないでくださいね」


 非常に残念ではなさそうな声音だ。 

 クールモードのときはいつもこんな感じである。


 俺は勉強の手を一度止めて、体ごとふりかえった。


 リオが居る。

 いつも通りの無表情な、クールモードのリオだ。


 俺はそれを確認したあと、「いってらっしゃい」とだけ返した。それだけで十分だろう。毎回毎回、あんな絡み方をされていては、勉強に身が入らない。


 机に向きなおる。

 リオも固執はしなかった。


「では失礼いたします』

「うん」


 ドアが開き、閉まる音。どうやらリオは出かけたらしい。

 室内に静寂が戻る。


「えーっと、この時の条約が……何年だっけ……」


 なるべく物語立てて時系列を覚えようとしていると……なんだろうか。なんだか人の気配を感じた。

 それも背後に。


「……?」


 誰もいないはずだ。なのになにか、おかしい。


 ……まさか、幽霊?

 俺はそおっと振り返る。

 

 リオが居た。


 手にストップウォッチを持っており、無表情は無表情なのだが、どこか顔の筋肉が弛緩しているように見えた。


「……え? リイチ様、1分しか経ってないですよ。たった1分でわたしが出たドアを振り返っちゃうほど、さびしくなっちゃったんですか? やだー、かわいー」


 全然、かわいくない。

 むしろ、背後に無言で立たれていて恐怖を覚えた。

 だが、そんなことを言っても、このなんちゃってクール系メイドには効果などないのだ。

 

 俺は一呼吸おいてから、ゆっくりと言った。


「はやく、いって、こい」


 英語でいうなら。

 ごー あうぇい。


「はーい」


 どこかウキウキとした感じにもとれる、リオの言葉を聞きながら、俺は勉強を再開した。


   ◇


 というのが大体、二時間ちょっと前。

 その後、体がなんだかバキバキになってしまったので、広すぎる敷地内を散歩していたのだ。勉強をし過ぎているのかは知らないが、少なくともそのうち腰が悪くなるんじゃないだろうか、なんて心配は生まれてきた。


 昔は、朝から新聞配達をしていたので、部活に入っていなくても体力や筋肉は自然とついていた。だが今は、なんでもかんでも面倒を見られているので、こうして意図的な運動をはさまないと、すぐに色々とダメになってしまう。


 散策は楽しかった。

 一人だと少し味気ない気もしたのは、すぐに錯覚だと思い込むようにした。


 よく分からないオブジェや、なんだかよくわからない生物が泳いでいる池や、迷路みたいな通路を抜けて、自分にあてがわれた洋館に戻ってくる。


 すると。

 館の駐車場に一台、見覚えのある車が止まっていた。


 黒くて、ぴかぴかで、無意味に長い高級車――つまり、俺に用意されたという送迎車だ。


 普段は、別の場所のガレージに駐車されているため、ここで見るのは珍しい。

 なぜ珍しいのかといえば、俺が送迎車を使わないからだ。


 おそれおおいことに、俺専属の運転手も存在している。

 名前は『嘉手納(かでな)』さん。

 少し小太りで、少し頭がはげている。そして、とってもおおからな人だ。俺はこういう人が大好きなのだ……が、運転手としての仕事は与えてあげられていない。


 なぜなら、俺は送迎を良しとしていないからだ。

 登校も歩いているし。


 本当に申し訳ないことをしていると思う。仕事を奪うなんて、大げさなことはいわないが、でも、それに近いことをしている気はする。

 だがどうしても、自分の性質に合わないのだ。車のドアさえ、自分の手で開けられないというのは。


 それにしても――どうしたのだろうか。


 ここに車があるということは、使用したということか。ならば、俺の送迎以外にも、嘉手納さんには仕事が用意されているのだろうか。

 鬼炎家のルールを詳しくは知らないけれど、そうであれば、俺も嬉しい。


 毛はたきで車の埃をとっていた嘉手納さんが、近づく俺に気が付いてくれた。

 いつものニコニコ顔だ。


「ああ、ぼっちゃん、お帰りですか」

「ええ。散歩してきました――嘉手納さんこそ、どこか行かれたんですか?」

「はい、ちょっと買い物のお付き合いに」


 買い物ときいて、リオの姿が思い浮かぶ。

 そうか。たしかにこの広大な敷地や、立地条件を考えると、車で買いに行かねばならぬものもあるだろう。

 もしかするとリオが使ってくれたのかもしれないな。そうであれば感謝だ。


 嘉手納さんは、毛はたきをトランクへしまうと、一部髪の毛の生えていない頭を、ペチンとたたいた。

 

「いやあ、ぼっちゃん、少し見ない間に成長しましたねえ」

「そうですか? 最後にお会いしたのはたしか……」

「えーっと、三か月前くらいかなあ。正月に、初もうでの時の送迎で」

「ああ、そうでした。あの時は本当にありがとうございました」

「なにを仰いますか。それが仕事だもの」

「ああ、そうですよね……」

「でもぼっちゃん、お車、全然使ってくれないんだもんなあ。つれないよなあ」

「す、すみません」

「はは、いいのいいの、今のは老いたものだけに許されるジョークだから」


 嘉手納さんはニコニコとした顔で手を振る。

 そういえば、この人は、最初からこんな感じで接してくれている。態度も変わらない。初めて会ったときから、俺に対して鬼炎家の威光を感じ取ってないみたいだった。


 それはもちろん、俺としてはとても嬉しいことだ。だって俺はそんなに凄くない。たまたまこうなっているだけなのに、使用人によってはまるで王様に接するかのようにへりくだる人がいる。それももちろん気遣いなのだろうが、俺としては疲れてしまうのだ。


 嘉手納さんは、ぽんぽんと車を叩いた。


「まあ、この車が必要なときがあれば、いってください。すぐに駆け付けますからね。そこがどこだろうと」

「ええ、頼りにさせてもらいます」

「タクシー運転手だったころ、よく、やったもんですよ――」


 嘉手納さん、タクシー運転手だったのか。

 たしかに似合ってそうだ。運転、うまいしな。


「――『前の車を追ってください』っていうカーチェイス」


「嘉手納さん?」


 嘘だろ?


「嘘ですよ、ぼっちゃん」

「で、ですよね……」


 なんだこの、リオがもう一人現れた感じ。


「でもまあ、真面目に働いては居ましたよ。色々あった人生ですけどね。今では全部いい思い出です」


 嘉手納さんは遠い目をした。それは大人が昔を思い出すときにする目だな、と感じた。

 俺も、もしかすると、将来はこんな目をするのかもしれない。いや、もしかすると、今もしているのだろうか。母さんを思い出すときに……。


 嘉手納さんは、少しの時間のあと、俺に視線を戻した。


「この仕事につかなきゃ、妻と息子共々、のたれ死んでいたでしょうからね。当代様には感謝しかありません。ですからぼっちゃんにも、命をかけて、つかえますからね。どこでも呼んでくださいよ」

「はは、頼もしいです」


 俺は笑ったあと、ふと、先ほどの疑問も口にした。


「俺のこともそうですけど、リオの送迎とかも、お願いしてもいいですかね。あいつ、たまに無理している気がするから。もしかしたら、今も使ったのかもしれないけど」


 俺はいい。勉強をして、鍛錬をするだけだから。

 だがそれに付き合っているリオは自分の時間を犠牲にしてまで、俺のことを見ていてくれる。たまに朝方の顔色が悪い時もあるのだ。

 あんな奴ではあるけど、感謝はしてもしたりない。倒れてでもしたら、俺はそれこそ勉強に手が付かない。


 嘉手納さんは、ニコニコとした顔をくずさないまま頷いた。


「もちろんですよ、ぼっちゃん。お嬢あっての、水無家。水無家あっての、私ですからね。当代様からも我々はきつーく……いや、情けなく? まあ、親心満載で頼まれてますから、ご安心くださいな」


「……ん?」


 ちょっと今、情報量が多すぎて、脳が追い付かなかったぞ?


 お嬢?

 水無家、当代?


 鬼炎家では……ないのか?




(scene2へ続く)

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