第8話 登校中に、からまれてます。

 前にも言ったかもしれないが、俺は徒歩通学だ。

 住処から私立黒曜学園は、決して近いというわけではないが、黒くて長い高級車で送迎されるほうが逆に疲れてしまう。


 俺の通学には必ず使用人がつくという。

 今のところそれは専属メイドの水無リオであるので、当然今も、リオは俺に合わせて徒歩通学をしているのだが……。


「リオ。前から言ってるけど、お前まで徒歩通学に合わせなくていいんだぞ」


 隣を無表情で歩くリオに向けて、俺は言う。

 当初は必ず数歩後ろを歩いていたリオなのだが、どうにも監視されているようで居心地が悪く、頼み込んで隣を歩いてもらうようにしたのだ。


 リオはこちらに視線を向けることなく、答えた。


「リイチ様。まさか主人を歩かせて、自分だけが車に乗るメイドに、まっとうな仕事があるとお考えですか」

「……まあ、ないか」

「ええ。できるのは”その道”のメイドぐらいかと」

「どの道かは不明だが、この話はやめることにする」


 なんか罠が潜んでいる気がするからな。


「……ちっ」

「お前いま舌打ちしたろ。まじで聞こえてるからな?」

「舌打ち、ですか?」

「してたろ、いま」

「聴覚検査の件ですが……?」

「そんな検査があってたまるか!」

「てへっ」

「無表情で言うセリフじゃねえ」

「あまり感情を高ぶらせない方がよろしいですよ――あ、お気をつけて、リイチ様、そこに犬のフンが落ちていません」

「お、すまん――って落ちてないのっ!?」


 信じられない。

 こいつ、最近はクールモードとうざがらみモードの切り替えが上達してがやる……!


 ちなみにリオは学園内だと基本的に『先輩』と俺を呼ぶ。

 家だと『リイチ様』。

 学園外だと、その時々によって変わるといったところか。

 ご主人様、とは呼ばせていない。当初はそうだったのだが、どうにも恥ずかしくて仕方がなかったのだ。

 

「はぁ……」


 思わずため息が出てしまうと、リオがまるで不思議そうな顔をせずに、不思議そうな言葉を口にした。


「いかがなさいましたか」

「いや、べつに……」

「お疲れですね。原因はお分かりですか?」

「原因に聞かれるとは思っていなかった」

「……? 美少女に苦痛を感じるのですか……?」

「お前、まじでさ……」

「ありがとうございます」

「褒められたと勘違いできる言葉をどこに見出したんだ」


 俺がやれやれと肩を落としていると、その肩にあたたかな手が乗っかった。

 右肩だ。


「ん?」


 顔を右に向けてみれば、なんてことない、リオの左手が乗っかっていた。別に、手をかけるとか、そんな感じではない。

 もっと、優しい感じ。それはまるで、撫でるような、慈愛にみちた動きだった。


「先輩は、肩に力が入り過ぎなんですよ」とリオは言った。

「もっと力を抜かないと、疲れちゃいますよ」


 だから原因が言うな――と答えようとしたのだが、なんだか言葉が出てこなかった。


 どういうわけか、リオの手がやけに温かく感じる。服越しにも関わらず、体温が乗り移ってくるような感じ。肩を中心に、体が暖かくなっていくようだ。


 リオの意図を探ろうとして、表情を見る。

 変わりはなく、普通だ。

 いつものような前兆もみられない、初めてあったときと変わらぬ無表情。


 ふと、気が付く。

 今日はいい天気だ。

 雨で無けりゃ、天気さえ気にしなくなっていたようだ。

 昔は洗濯物のせいで、常に気を配っていたはずなのだが……。


 今一度リオを見る。


 黒く長い髪が、歩くたびにさらさらと揺れている。太陽光を受けて、それはまるでビロードのように輝いていた。

 クールさを強調する切れ長の目と、長いまつげは、こちらを見ずに進行方向だけを見据えている。

 肩に置かれた手だけが、俺とリオとの接点だった。


「……俺、そんなに肩肘張ってる感じか?」

「ええ。お勉強中の後ろ姿など、まるで〈妖怪カベ男〉のようです」

「どういう表現だそれは」


 いやまあ、分かるけどな。

 ようするに『□』といった感じに見えるくらい肩があがっているということか。


「リイチ様は、過緊張気味ですね。もっと体から力を抜いたほうがよろしいかと」

「そうか」

「はい」


 母親が死に、この鬼炎家とのつながりを提示され、養護施設ではなくココに来ることを決めてから、気が抜けるようで抜けない日々だ。

 正直なところ、リオがいなければ、話し相手だって存在しない。

 そう考えると、こいつは俺にとっての休息みたいな存在になっている。


 もしかして……と思う。

 リオは俺が緊張しないように、わざとおかしな態度を取っているのだろうか。

 本当は、クールなのに、無理をして、うざったいほどに絡んでくるのだろうか。


 俺がリオを見ていると、リオはふっと何かに気が付いたように、こちらを向いた。


「先輩」

「ん、なんだ?」

「今気が付いたのですが」

「おう」

「こうして肩に手をあてて歩いていると――まるで先輩をリードにつないで散歩しているみたいですね。先輩、犬みたいでウケます」

「よし、わかった。お前のその強靭な精神なら、一人で送迎者に乗れるだろ、今からでも乗ってこい」

「やめてください。わたし、その道のプロではないので、無理です」

「だから、その道ってなんだよ」

「興味、あります?」


 あ、やべ……。


 クールだったはずの、リオの頬の筋肉が若干緩み始めた気がした。

 前兆だ。

 これは面倒くさいことになる前に、回避だ。


「全く、興味がない」

「えー? 先輩、絶対に興味ありますよ。だってわざわざ二回も話題に出すんですから。その道ってやつに、興味がなければそんなこと言いませんって」

「興味ない」

「うっそだあ。先輩、先輩、私と、その道、歩いてもいいんですよ……?」

「歩かない」

「あ、先輩、おっぱい落ちてますよ」

「落ちててたまるか!」


 はぁ……。

 やっぱりこいつ、俺で楽しんでいるだけだと思う。

 メイドって、大変そうだし。俺こそ、ストレス発散の対象なのかもしれないな。


 ……でも、そういえば。


 リオは本来であれば『メイドをつけられるぐらいの存在』であるって、誰かから聞いたことがあるんだよな。

 たしか、最初の頃使わせてもらっていた、車送迎時――運転手の……誰だっけ。あの人のよさそうなニコニコしたおじさんが言ってたんだっけか。


 数回の送迎で遠慮することになってしまったから、それ以来、話をしていなかったが――。


「――こんど、詳しく聞いてみるか」

「あ、先輩、ハトが地面に居ますよ」

「ハトは地面に居ねえよ」

「え? いますけど……」


 クルッポ、クルッポ。

 ハトが道路を歩いている。

 そりゃそうだ。鳥だって、空にいるばかりじゃ疲れてしまう。


「うん、すまん。また騙されたと思った」

「リイチ様。そのようになんでも人を疑うのは、鬼炎家といえども、鬼畜の所業かと思われます。もっとお心を広く持つべきかと」

「……ちくしょう、なんも言えねえ」


 もういいや……疲れたのでまた今度考えよう。とにかく今は学校だ。


 そうして続く、二人きりの通学路。

 リオの手は、結局、登校中の生徒の姿が見えるまで置かれていた。

 その日は一日、体が軽くなったような気がしながら、過ごすことができた。


 余談だが……リオは俺の肩から手を離したあと、その手を自分の心臓の上あたりに押し当てていた。


「~~~~っ!!」


 などと見悶えているのだが、まじで意味がわからない俺は、怖くなったので少し離れて歩いたのは内緒にしておこう。

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