第5話 自習中に、からまれてます。

 ちょっとだけ俺の話をさせてくれ。

 暗い話に聞こえるかもしれないが、そんなに重くとらえてくれなくていい。

 この話をしないと、なぜ俺が『鬼の一族』なんて呼ばれる一族に拾われたのか説明しようがないからだ。


 複雑な話ではない。


 俺には物心ついたころから父親の記憶はない。

 母からは事故で死んだと教えられていた。

 結婚当初から家庭は貧乏。

 遺産もなく、保険金もなかった。

 だから父の死後、母親は夜遅くまでがんばって働かなくてはならなかった。

 リイチは自分の好きなことをやりなさい、と母は言っていた。だから俺も母を支えたくてバイトをいくつもやっていたというわけだ。それが俺のやりたいこと。


 母が病気になったのが俺が中学生の頃。

 収入は半分以上消えたが、なんとかやっていた。

 おかしいと思うべきだった。

 よくよく考えてみれば、生活費にくわえ治療費、さらには高校の学費が捻出できたのはおかしい。

 生前、俺を安心させるために母が見せてくれた貯金額は、遊びながら何年も生活できるほどの額だった。

 死ぬそのときまで母の傍にいられたのは良いことであったが、それでもあの貯金額を疑問に持つべきだった。

 

 つまり? 

 母は一つだけ嘘をついていた。


 俺の父親が日本における六大名家の一つ、鬼の一族『鬼炎家(きえんけ)』の子息だということ。

 貧乏人どころか、貯金がないどころか、保険金がないどころか、俺の父は数十兆円以上の資産を有する家の血をひいていたのだ。


 でも嘘は一つだけだった。

 父は確かに事故で死んでいた。本当は生きていた、なんて劇的な展開はなかった。

 父は鬼炎家から離縁を言い渡されており、母も当然同じだったが、とある条件を呑むことにより、鬼炎家から金銭的支援を受けたわけだ。


 わかるだろう。

 父はただ一人、鬼炎家の長男であった。


 母の最後の言葉は、「ごめんね、理一。あんたは父さんと母さんの自慢の息子だ」

 俺を一人にするという事に対する謝罪かと思ったが……、もしかすると違う意味があったのかもしれない。


 俺は何も恨んでいないというのに、母は律義にあやまってから呼吸を止めた。いやそれは逆で、己の最後をさとったから最後に謝ったのかもしれない。

 とっても気丈な母だったので。

『ヤンキーだったんだぜ、わたしはさ。負けたことなかったんだから。あんたのお父さん以外にはね……ああ、もちろん父さんは写真の通りモヤシみたいで本好きでうでっぷしも弱かったけどね。惚れたが負けってやつさ』と、これが母親の自慢話。


 そして時は過ぎ、母の体が小さいツボに入り、狭いはずだった部屋がやけに広く感じるようになったことにいつまでも慣れないままだったあの日――オンボロアパートの前に高級車が止まったのだ。


 つまり俺は、鬼炎家ただ一人の子の子。

 唯一の直系だった。


 これで話は終わりだ。

 それが半年前。

 

 俺は今、高校三年になり、黒曜高校に通っている。


 よくわからん、メイドと。


   ◇


 割り当てられた部屋で勉強をしていたのだが、ぼうっとしていたら昔のことを思い出してしまった。なぜこんなにお金のある家に、貧乏人だった俺がいるのか――考えるたびに、母親の言葉が思い浮かぶ。


 ……のだが、先ほどから、背後に居るメイドのせいで、思考がまとまらず、現実に戻ってきてしまっていた。


「リイチ様、お勉強の手が止まってますよ? もしかしてリオのおっぱい、思い出してます?」

「……出してねーよ。お茶くれ、お茶」

「あら。亭主関白ですね」

「亭主じゃねえ」

「ご主人様関白? はい、お茶です」

「関白から離れろ……あっちいっ!? 熱湯じゃねえかよっ!」

「リイチ様、手が止まってますよ?」

「お前のせいだよっ」

「え、やっぱりおっぱいですか……?」

「もうやだ……」


 うざいぐらいに構ってくる女。

 メイドの水無リオである。

 高校二年、つまり年下なのに、俺をバカにしまくってくる。


     *


 二十分ほどは集中できたが、やはり今日は、どうも心が散らかっている。

 おそらく適温であるだろう紅茶を入れなおしてくれたリオが、俺の手元を覗き込んだ。


「リイチ様。手がとまってますけど? なんか考えてるんですか。そんな暇あります? ないですよねえ。だってリイチ様、あんまり成績良くないですし。でも手が止まってるっていうのはこれ、不思議ですよ。後輩の私ですら教えてあげられそうな問題なのに。それとも教えてほしいんですかね」

「……お前は、俺を応援しているのか、けなしているのか、どっちなんだ」

「こちら、適温の紅茶になります」

「常に適温であれば、『適温です』とか断る必要ないからな……?」

「先輩が好きだとおっしゃっていたアールグレイです。が、アールグレイって言っておけばそれっぽいから言った感が大分ありましたので、わたしが先輩のお子様の舌に合いそうな、フルーティーな茶葉をえらんでおきましたよ。よかったですね?」

「はいはい……」


 俺は紅茶を口に含む。

 ん……?

 たしかに……うまい。

 そしてたしかに過去に「アールグレイが好き」とリオに伝えたが、知っていた茶葉の名前を口にしただけだ。

 あの頃のクールなリオにちょっとでも良いところを見せたかっただけなのであった。こいつの本性を知っていたら、そんなこと言わずに無視をしていた。ちくしょう。


「ちなみにリイチ様? 眠気覚ましのカフェインは確かに効くのですが、同時に分解するための――」


 本当になんだこいつ。

 ぺらぺらぺらぺらと蘊蓄まで口にし始めた。

 さっきから、口を閉じない。

 たしかに昔を思い出して勉強の手を止めているのは悪かったが、これじゃあ勉強再開だってできやしない。

 あと一口、紅茶を飲んだら無視をしてはじめよう。


「――肝臓に負担をかけますから、お気を付けくださいね――あ、先輩、おっぱい見たいですか? 赤い下着をつけてきました」

「ぶふぉ」


 思わず紅茶を吹き出した。

 ノートがびちょびちょになってしまった……。

 ていうかこいついま、なんて言った?

 記憶を捨ててきたなんて見間違いだった。こいつ、まだ引きずってやがる。


「リイチ様、いかがなさいましたか。お疲れでしたらホットアイマスクでもお持ちいたしましょうか。リオはリイチ様のご体調を管理するためにおりますので……」

「そこでクールモードに戻るんじゃねえ! なにが『おっぱいが見たいですか?』だ」

「リイチ様、メイドは性的な部分の処理を請け負うものではありませんよ。今のお言葉は忘れておきます」

「お前に利点がありまくりじゃねえか……もういい。さっきのことはなかったことにしてくれ。お互い水に流そうぜ」


 以前話したキスの写真とかいうのもとりあえずは忘れよう。

 回収を諦めはしないけどな。


「リイチ様。タオルになります、どうぞ」

「ああ、ありがとな……」

「リイチ様、お勉強の進捗はいかがですか」

「お前がくるまでは順調だったぞ」

「……嘘つき」

「なんて?」

「さすがリイチ様。さすが鬼炎家の血をひくモノでございます」

「今でこそわかるが、お前の嘘はだいぶひどいな。なんたって、性格から嘘つきだ。みんなを騙して生きてるってのは大変だろ? 高校でもそのテンションで過ごしてくれてかまわないぞ」


 ノートを見ながら口だけを動かす。

 しかし反論が返ってこない。

 どうしたどうした、くやしいのか。

 俺は振り返って様子を確認したが――。


「むぅ~~~~」


 なんか赤ちょうちんみたいなメイドが居た。

 リオが頬をぷくっと膨らませて、怒りを表現し、ふくれていた。

 なんかめっちゃ怒ってるんだけど……。


「お、おいリオ。そこまで怒らなくても」

「オコッテナイDEATH」

「いや、死を感じたんだが……」

「なんのことでしょうねー。リオは性格ブスだからわかりませーん」

「ブスなんていってないだろ」

「ふんっ」


 その時だ。

 がちゃり、とドアが開く。

 リオはふりかえって、会釈した。


「おつかれさまです、木之下さん」


 使用人の男性、木之下さんが顔を出す。

 一見すると背中に絵がかいてあるような印象をうける小太りの男性。

 料理人である。

 かなり有名なホテルから引き抜かれたシェフらしい。この人が俺とリオの弁当を作っており、その味は、控えめにいっても、やばいくらいうまい。


 木之下さんは「ぼっちゃん、お夜食はどうしますか。今日も夜までお勉強でしょ」と尋ねてきた。


 リオは俺のほうへ、ふたたび顔をむけると、木之下さんに見えないように『べー』と小さいベロを出してきた。

 こいつ……まじで、完璧な体制で俺だけをおちょくってくるな……ほんとにうざい。


 まあいい。今は夜食だ。


「ああ、いつもすみません、えっと――」


 どうしようか、と考える。

 今日は疲れたし、雨で体も冷えたので、あたたかくて甘いものが食べたくなった。

 夕食はおもめだったから、それこそ軽いものでいいのだが。


 でも……そんなにこっちから注文しても悪いよな。

 当然、木之下さんは一から料理をつくるのだ。

 材料とかもわからないし、お任せにしよう。


 だが、俺が答えるより先にリオが口を開いた。


「リイチ様は、本日、甘くてあたたかいものをご所望です。本日のお食事内容を考えますと、軽めのものがよろしいかと」


 木之下さんが目だけで『それでいいんかい?』と確認してきた。


「……えっと」


 リオを見る。

 誇るような満面の笑み。

 無言でも分かる。

 言外に『あたりでしょ? はやく頷きなさい』と言っている。


 なんだかリオを出し抜きたくて、NOと言おうとするが、実際には大正解である。

 俺は渋々と頷いた。


「あいよ」と木之下さんがドアを閉める。


 バタン、という音の後、部屋に静寂が訪れる。

 リオの表情は再びクールモードに戻っていた。

 なんでこいつはこんなにコロコロと器用にモードを変えられるのか、と感心していたが、じっとみていたら、リオの口元が「むふふ」と緩んでいた。


 黒上ロングのクール系美少女が、いやらしい笑みを浮かべている……。


「今、絶対に『リオの言う通りにうなずくのいやだわぁ、でもあたりだわぁ』って思ってたでしょ? あたりなんだから、早く、うなずけばいいのにねー?」

「……うるせえ」


 精一杯、言い返してみるが、実際、俺のほうが子供っぽい気がする。

 代弁してくれたんだし、感謝ぐらいはしておかないとかな……。


「はぁ……まあでもそうだな……」


 正解だよ。

 そして母親はよく言っていたっけ。


『素直に感謝できるような人間にならなきゃだめだ』ってさ。


 つーわけで。

 俺は諦めをつけるように、もう一度だけ大きく息を吐いた。

 さて、感謝するか――。


 その前に、リオは言った。


「そういえば母乳も、あったかくて甘いですね? やっぱり、先輩はお母さまを亡くしてさみしいから、おっぱいを示唆するようなものを御所望で、だからリオのおっぱいが――」

「――だまれ。そして勉強するから、でていけ」

「はーい。では、リイチ様、後程お夜食をお持ちいたしますね」


 クールに去る背中を見て、嘆息の続きが出てしまうのを、抑えることはできなかった。

 紅茶一つ運んでくるだけで、これだけとは、先が思いやられる……。

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