第4話 自室で、からまれてます。

 雨がどんどん強まる中、それでも無事に我が家――というにはまだまだ慣れていないのだが――に帰ってくることができた。


 監視カメラで俺の姿を認識した『防犯用AI』が、でかすぎる黒い門を自動で開けてくれる。同じくデカすぎる庭をえっちらおっちら進んでいき、やっと、やはりデカすぎる玄関口にたどり着いた。


 玄関の上にバルコニーが広がっているので、玄関前は屋根がせり出しているような形になっており、雨にも濡れることがない。


 俺とリオは使用人の持ってきたタオルをうけとって、玄関口で思い思いに体や髪を吹いていく。

 肩が随分ぬれてしまったが、リオが用意してくれた傘のおかげで、被害はそれだけであるのだけど。


「ありがとな、傘の手配。まあ、濡れずに済んだよ」

「いえ。先輩こそ……あの……傘の……角度とか……」

「ん?」


 リオは珍しく、口ごもった。俺の肩を見ている。

 こいつはクールに話す生き物だったし、最近の口調もうざったい。その分、こうして口ごもることは少ない。


「あの……だから、あ、あり」

「蟻?」

「い、いえ……その、……か、か、か……」

「蚊?」


 なんだこいつ。いきなり虫の話をしはじめたぞ。

 俺は濡れた肩にタオルを押し付けながら、言った。


「言いたいことがあるなら、言えよ。お前が何を言い始めても、もはや驚かない。まさか傘を用意したからって、それだけで脅してくるわけじゃないよな。脅迫もそこまでいけば才能だ」

「――な」


 俺がリオの目をしっかりと見ながら言うと、リオは口を半開きにして何かを言おうとしたようだ。

 だがすぐにスッと顔から表情が消えた。


「なんでもありません、リイチ様。失礼いたしました。では私はこれで」

「あ、おい……ちょっと……!」

「なんですか? わたしはメイド服へと着替えるわけですが、まさかそれを見ていたいということでしょうか? ご命令とあらば――」

「――いい! いってくれ! 見る気はない!」

「かしこまりました。では、失礼いたします」


 いつものようなクールなプロメイドモードに戻ると、一人で家の中に入ってしまった。

 濡れたブレザーを使用人に渡しているさまは、あいつこそお嬢様のように見えるのだが……。


 そういえば、この前、料理人から変な話を聞いたんだよな。


『いやあ、リイチ様。そうはいいますけどね? 彼女も、本来なら、専属メイドがつくような存在なんですよ? ここだけの話』


 なんて。


 いまいちよく分かっていないが、どうも、俺が引き取られた一族の遠い親戚らしいのだ。

 じゃあそれがなんで、親も居ないこの家の中でメイドなんてしているんだなんて思うのだが――それは俺にも分からない。


「そう考えると、あいつがなにを考えているのかも分からないけどな……」


 最近の脅しの数々。

 クールだったはずの美少女が、恐ろしいほどうざったい感じで脅してくる変化。

 ……そんなことの理由、分かるやつがいるんだろうか。


     *


 濡れた衣服を着替え、軽くシャワーを浴びる。

 色々あったけど、やっぱり生活基盤が使い放題ってのは本当にストレスがない。

 いままではガス代、水道代、電気代をどうやって減らすかということに心血を注いできたからな。生活のためではあるが、現代社会で縛りプレイをしているのは、辛いことが多いのだ。


「失礼します、リイチ様」


 リオが当たり前のように入室してきた。

 制服ではなくメイド服を着ている。


「――っ! せめてノックしてくれ……っ」

「え? ノックですか?」

「う、うん……?」

「ノックをするほどに何かがあるのでしょうか? 何も変わらないものと存じます。この前も、ノックをして許可を得ましたので入りましたら、リイチ様は半裸でいらっしゃいました。むしろなぜあの状態で私を入室させたのかすら理解できませんでした。そういう趣味ですか? なんなら今から見てさしあげましょうか?」

「な、なんかごめん、もういいわ……あと半裸だったのは、すまん……」


 なんかコイツ、めっちゃ怒ってる気がするんだが。

 語弊がないように言っておくと、クール状態のリオが正論を口にすると、早口になって情報過多にもなる。だからこのセリフは案外、いままでのリオのままである。

 だが語気が強い感じから、とっても感情がこもっている風に聞こえるし、その感情はおそらく怒気のようである。


 ああ、もう面倒だ。


「なあ……なんか、お前、怒ってない?」

「怒っています」


 正直に言うんだ……。

 こういうときって、「いえ、お気になさらず」とか言うのかと思ってたら、普通に怒っているらしい。


 リオは表情を変えずに続けた。


「とはいえリイチ様には関係のないこと。お気になさらないでください」

「絶対関係あるだろ……」

「そういえば――」


 リオはスマホを取り出した。


「ここに私のスマホがあります」

「見りゃわかるが……」

「この中には、様々な画像データが入っています」

「それで脅されてるんだから、知ってるが……」

「キスの写真とか」


 キス?

 接吻のことじゃないだろ。

 だってそんなことしてないし。

 ってことは?


「キスって、魚の?」


 リオはげんなりとしているようだった。


「魚……なわけないです。キスというのは接吻のことですよ」

「そっちのキス!?」


 絶対に冤罪だろ!?


「ええ、それも私とリイチ様のキスの写真です」


 部屋のなかに数秒の沈黙が訪れた。

 俺は断言した。


「よくわからないが、消せ」

「いやです。絶対に消すことはありません」

「それ、本当に俺か」


 あれか。

 この前の看病の時にとられたのか。

 え? でもそれなら、こいつが一方的に俺にキスをして、それを写真にとったってこと?

 俺、被害者じゃねえか――なんて考えて、リオの唇を見てしまう。

 桃色のぶっくりとした唇。

 ……俺が被害者じゃねえか。多分。


「熱を出しているときに隠し撮りしたのか」

「いえ、別の日です」

「別の日?」

「そもそも、このキスはリイチ様からしてきたものですが?」

「は、はあ!?」


 俺がこいつにキスなんてしてるわけないだろうが!

 自慢じゃないが俺はキスをしたことがない!!

 大きなお世話だ!

 

 しかしこいつが嘘をつくとも思えないんだよな……。

 つまり……どういうことだろうか。

 写真を見てみないと分からない。

 だが、こいつが見せてくれる気配はない――そうだ。

 その時俺の脳裏に、あの写真が浮かんだ。

 谷間の写真である。

 これをネタにして、その写真を引き出せばいいんだ!


「ふっふっふ」と俺は笑ってしまう。

「……? 頭がおかしくなりましたか、リイチ様」

「お前、その写真を俺に見せる気はないな?」

「ええ、ないです」

「消す気もないよな」

「あるわけがないです」


俺は画面を数回スマホをタップして画像データを呼び出した。


「これを見ろ!」

「……?」


 リオは俺が自信満々に差し出したスマホを見たが、しばらくは何が何だかわからなかったようだ。

 たしかに多少ぶれているし、撮影角度を理解していないと、写真にうつっているのが自分であることも認識し難いだろう。

 

 だが気が付いてしまえば単純な構図だ。

 ただの盗撮である。


 ……うん、そうなんだよな、これただの盗撮なんだよな。

 今更ながら、罪悪感が出てきた……。


「え……? あ、これって……え!?」


 リオはしばらく首をかしげて画面を見ていたが、突如としてボッと顔をあかくした。

 大分、新鮮な反応だ。

 罪悪感を忘れるぐらいには、してやった感がある。

 これまでされてきた脅しを考えれば妥当だろう?


 だが、リオの反応は俺の予想をさらに超えていった。


「それ……わたしですか」

「え? あ、ああ。そうだけど……だから、つまりだな、言いたいことは――」

「わたしの……胸、とか、先輩、興味あるんですか……」

「え!? い、いや……は? なんて!?」

「わたしの胸……見たいですか?」


 そういう理由でとったわけじゃないのだが、胸に興味がないのかと言われたらそれは嘘になる。だが、リオの胸に興味があるかといえば……。


「先輩! どうなんですか!?」

「ちょ、ちょっと落ち着け! これは交渉材料なんだ、場合によっては消してもいいがそのかわり――」

「――きちんと撮らせろということですか!?」

「ち、ちげえよ! ただ消すだけだ!」

「消していいんですか!? わたしのおっぱい、見たかったんじゃないんですか!?」

「おっぱいとか言うんじゃない!」

「な、なんなら、もっとうまく撮りたいとか思ってんじゃないですか!?」

「思ってねえよ! ていうか、そういう理由で撮ったんじゃねえってば!」

「じゃあどういう理由で撮ったんですか……?」


 リオの目が潤んでいた。

 いつの間にか俺の目の前までせまってきている。

 否応なしにその胸元に目がいってしまう。

 すごい谷間である。すごい谷間が迫ってきている。


「先輩……どうなんですか……」

「いや、その、あの……」


 さきほどからなぜか、リイチ様呼ばわりじゃなくなっている。

 俺が脅しているはずなのに、逆に窮地に立たされている気がした。


「先輩……、なんでそんな写真……撮ったんですか……?」


 うう……なんだこいつの甘えたような声は。

 クールビューティーじゃなかったのか。

 うざい脅しをしてくる後輩じゃなかったのか。


 これじゃあ、なんだか、誘惑されているみたいじゃないか……。


 ダメだ。

 俺には耐えられない!


「ええい! 俺が悪かった! それだけだ!」


 俺は叫んで、データを削除した。

 こんなことになるなら、写真など不要だ!


「あ!? 消したの!?」

 リオも驚きの声をあげる。

「信じられない……本当に、もう……」


 信じられないのはこっちのほうである。

 せっかくの交渉材料……自分で放棄することになるとは思わなかった。


 とりあえず自習の時間になるので、リオには出ていってもらったが……あいつ、最後までジト目だったな。なんだか、やけに固執されていたが、最近のアイツの行動はよくわからないので、気にするだけ無駄か。


 それにしてもキスの写真とやらは、確認して削除しなきゃいけない。

 なんでこんなことになったのやら……。

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