第3話 昇降口で、からまれてます。

 放課後。

 リオが教室まで迎えにきた。


「先輩、帰りましょう」

「ああ、わかった……」

 

 この半年間。

 俺は、専属メイドに違和感を覚え、しかし生活の中で信頼し、寄りかかってしまい、そして弱みを握られた……。

 俺の反応は初期の頃に戻ってしまった。

 それも全ては、こいつの裏の顔を知ってしまったせいだ。


 とはいえ、帰宅はせねばならない。

 リオと一緒に帰らねばならないということだ。

 駄々をこねても仕方がない。


「……よし、帰るか」


 俺が立ち上がると、周りから『わー』と声が聞こえてきた。

 え? またなんかやったか? なんて身構えるが、皆の視線は外に向いていた。


 空は快晴――のはずだったが、向こうの空が黒くなっている。

 こちらはまだ太陽がみえるが、駆け足でもしてきたのか、雨だけは先に降ってきた。

 お天気雨らしい。狐の嫁入りともいうか。


 どうにせよ、迷惑な天気である。


 リオが外を見ながらぼそっとつぶやく。


「雨、降ってきたようですね」

「だな。それにしても俺、傘持ってきてないぞ……」


 送迎車という選択もあるのだが、俺はそういった全ての権利を辞退しているのだった。

 どうも元が貧乏気質のため、お金持ちの生活というのが肌に合わないようだ。

 それに歩かなすぎると、健康にも悪いし。


 リオは制服をきたまま、やけに短いスカートがずりあがるのも気にしないように、深々とおじきした。


「ご安心ください。大変失礼ながら、先程、他のものに傘を届けていただいていたのです」

「そうか。それは助かる」


 無表情のリオに思わず本心からの笑顔を向けてしまう。

 やべ。つけ入るスキを与えてしまった――と思うが、プロメイドモードの彼女は、態度をかえぬまま、「では参りましょう。本日もご自宅にて鍛練が控えておりますから」と促すだけだった。


「お、おう」


 若干の警戒心を持ちながらも俺はバックを持って、リオに続く。


 母が死んだ②年。

 高校最後の年である三年生がはじまってすでに三週間が経過していた。


     *


 転校生という形で入ったこの学校だったが、なんとかなじめてきたような気がする。

 もちろん、俺が引き継ぐことになった『鬼にまつわる家名』が多分に影響しているのだろうが。


 さて、どんな金持ち学校だろうが登下校をするには昇降口というものをくぐる。


 俺は下駄箱から靴を取り出し、昇降口に立った。

 外は雨。

 豪雨にはほどとおいが、数分も外に突っ立ていれば濡れ鼠になるレベル。雲は厚く、天気の崩れは長引きそうだ。


 俺はリオを見た。


「で、傘は?」

「はい。こちらに」


 リオは抑揚のない声とともに、大きな傘を一本、差し出してきた。


「ありがとな」

「いえ」


 立派な傘だが、傘は傘だ。

 とくに戸惑うことなく傘を開き、俺は外に出た。当然、濡れない。


「んじゃ、帰るか」

「はい」


 リオのほうへ振り向くと、彼女は何もささずに、雨を一身に受けていた。


「……は?」


 いや、なんで、こいつ傘差してないの?


「お前の傘は?」


「ございません。そちら一本のみです。先輩はおきになさらずに。わたしは後ろからついていきますので」


 いやいやいや!?

 それってつまり、俺だけが濡れずに歩いて、俺に従うこいつはびちょびちょのまま帰宅するってことだろ!?


 いくらメイドだからって、周りの目ってもんが……。


『おい、見てみろよ。あいつ、さすが、鬼の一族の息子だぜ。あの可愛い女、たしかメイドなんだろ?』

『ええ? なにあれ。まさかメイドの傘を奪ったの? メイド虐めって、あんなにどうどうとするもんじゃないでしょ』

『お、俺、水無さん、助けてくる!――お、と、とめるな! 鬼の一族なんて怖くないぞ……!』


 ほらみろ!?

 大変なことになってんじゃねえか!!


 俺はリオを見た。

 もちろん傘を差し出して、こいつが濡れないようにするためだ。


 傘の軸が押し出された反動でしなる。

 撥水性の生地がリオの頭上をおおう。

 天から降り注ぐ雨粒が、今度は俺にふりかかる。


 そして、水無リオは俺にだけみえるように、ニヤリと笑って言ったのだった。


「先輩、先輩。どうしたのですか? まさか――わたしと相合い傘で帰りますか?」

「な、んだと」


  ◇


 やられた。

 そう思ったときには既に遅かった。


 リオは俺の手に、自分の手を重ねて、傘を押し返した。

 同時に自分も移動して、見事に俺と同じ傘の下におさまった。


 周りの奴らもそれを見て、『まあ……、そりゃそうか、ふたりか』とか『虐め……、ではないか』とか『くそぉぉぉぉぉぉ、うらやましかぁぁぁぁぁぁ』とか好き勝手騒いでいる。


 同時に、わざときこえるように、

『あいつら付き合ってんのか?』

『まさか。メイドと主人だぞ』

『ま、経緯的には同レベルでお似合いじゃあねえの?』

 なんて、金持ちらしい揶揄が聞こえてきた。


 当初から、こういった陰口は一定数あるし、それについては諦めている。


 とはいっても、入学当時は、陰口なんてものに耐性がなかったものだから、俺も落ち込んだものだ。

 そんなとき、水無リオという唯一の味方が『ご主人様、どうかおきになさらずに。ご主人は、どこにいらっしゃっても、お母様の自慢の息子さんでしょう?』なんて支えてくれたものだ。


 とても嬉しかった。

 感謝までしていたのに。

 なのにどうしてこうなった?


 こんな陰口を言われて、リオはどんな顔をしているのだろうか――なんて思って見てみる。


「~~~~~~~っ!!」


 顔を変にしかめながら、内腿をしっかりとしめて、身悶えしていた。

 下唇をぎゅっとかんで、目をつむっており、顔はどこか赤い。

 こいつの精神がわからない……。


 これ、笑ってはいけないときにでるやつか?

 これと同じ反応を、年末の特番でよくみるな……。

 真面目にやろうとして、でも笑いたくて、だから困ったような顔になるやつ。

 こいつ、まさか人生を楽しむために、『一人、笑ってはいけない専属メイド』とかで遊んでないだろうな……。


 まあいい。

 気にするだけ負けだろう。


「じゃあ、帰るか……」


 声を掛けると、いままでの反応が嘘みたいに、背筋がピンと伸びる。


「はい、先輩。かえりましょう」


 俺と目が合うと、そのクールにみえる切れ長の目を、半月状にほそめた。

 明確に分かる。

 こいつ、ばれないように笑っている。

 口だけが小さく動いた。


(先輩、よかったですね。こんな可愛い子と、相合い傘で帰れるなんて、人生で初めてじゃないですか?)

(……うるせえ、さっさと歩け)

(えー? 恥ずかしいんですか? まあまあ、良いじゃないですか。こんなに可愛いくても、わたしはメイドですから。不自然なことはありませんよ)


 なんか、こいつ、自分のことを可愛い可愛いと連呼していて、ウザいな……。


 それに一つ気になるのだが。


 たしかにこいつは可愛いのだろう。

 しかし俺からすると、こいつはクール系の可愛さなので、その表現がしっくりこない。

 だから言ってやった。


(一ついっておくけどな)

(くっつくな、ですか? でも、くっつかないと濡れちゃいますからねー。仕方がな――)

(ちげえよ。お前は自分を可愛いとかいってるが、俺から言わせればお前はキレイ系なんだよ。可愛い可愛いなんて、可愛い子ぶっても、滑稽だ。クール系美人だと自覚しろ)


 よし。

 言ってやったぞ。

 これで少しは静かになるだろう。


 つっても、少しはふくれているだろうが――ん? なんでだ? ふくれているどころか、顔を真下に向けて、俺のほうに目もくれないぞ。


 まさか、傷ついてしまったのだろうか。傷つけてしまったのだろうか。

 理想の自分というのは誰しも持ってるだろうから。俺はそれを壊した?


 ……どうしようか。

 少しは謝っておくか。

 日頃からバカにされてるとはいえ、やりかえして傷つけていいわけじゃないしな……。


「ごめん。悪口でいったわけじゃないんだ。気にしたならすまなかった」

「……べ、べつにいいです」

「そうか……?」

「え、ええ……ぜんぜん、へーきです……」


 リオはうつむいていた顔を、俺とは反対側にむけた。体がすこし震えている。

 

「あのさ……、なんかお前、笑ってない?」


 そっぽを向いていたリオがこちらに向き直って、きっとした視線を向けてくる。


「その指摘は意味不明です」


 クールビューティー。

 しかし、その口元がぴくぴくとひきっており、やはり笑いたくても笑えない表情に見えた。

 リオは何度か口を開こうとしたが、笑ってしまう状態を回避できなくなるためか、言葉を発することはできないようだった。


 ……謝った俺がバカだったぜ。


「……ほら、いくぞ」

「は、はい……~~~~~っ、先輩、帰りましょう」


 本当に勘弁してくれ。

 なんでこいつは、二人きりになると、こんなにウザい対応ばかりしてくるのだろうか。


     *


 こうして俺たちは帰路についたのだが、なにせひとつの傘である。

 大きいとはいえ、高校生二人が完全に入るということにはならない。


 傘は俺がもっている。

 俺はなるべくリオが濡れないように、傘を調整しなければならなかった。


 これがとても大変だ。

 俺が濡れないようにすれば、リオが濡れるし、その反対も同様。


 結局、俺の肩を犠牲にすることにして、リオを守ることに成功した。

 俺の苦労を知ってか知らずか、リオは俺の肩をチラチラと見ている。

 感謝ぐらいしろよ……、とも思うが、そもそもこれはリオが手配してくれた傘なので感謝をするのは俺のほうだった。

 これで五分五分ということにしておく。


 リオは先ほどより笑いをこらえる反応は収まっているようだが、それでも様子がおかしい。

 時折、手の甲をつねっているので、俺があたふたと雨と戦っている様が面白かったのかもしれない。


 なんか一言、ぶつけてやらないと気が済まないぞ――そんな気持ちで、やつを見たのだが、俺の意識はいっぺんに別の方向に向けられた。



 透けている。

 透けていた。


 なにがって、そりゃ雨に濡れたワイシャツが、だ。

 具体的には、水無リオのはおっているブレザーの下に着ている白い薄手のワイシャツが。

 雨に濡れたせいで、ぴったりと肌にはりついていた。

 いつの間にか、肩どころか、胸のあたりまでぬれてしまっていた。


 今、明確に意識したのたが、こいつは胸がかなり大きいようだ。


 張り付いたワイシャツは、下着などを無視して、大きな胸の谷間周辺にぴったりとはりついていた。

 うちの学校の制服はブレザーであるが、女子生徒はそこにリボンかネクタイかの選択ができる。

 リオはいつもネクタイをしているが、雨で生地が濡れることを嫌ってはずしているらしく、第1ボタンがはずれている。それがなお、谷間を強調していた。


 リオはいまの自体に気づいていないようだ。

 かわらずに、


「~~~~~~っ」


 と、なにかを思い出しては一人で耐久レースをして、ほっぺたをつねったりしているだけである。


 しばらくは無言であるく。

 そして唐突に気がついた、


 あれ……?

 これってチャンスじゃね……?


 この状態はとても恥ずかしい姿のはずだ。

 写真を撮られでもしたら、それこそ脅しのネタになるほどに。


 そうか。

 脅されているのなら、それを覆す材料を手にいれるしかない……!


 俺はその発案に、衝撃を覚えた。

 それって盗撮で、犯罪ですよね――般的な論理が吹き飛んだその時、俺はスマホをさりげなく取り出していた。


 カシャリ、と音がなったのは、俺がカメラで濡れる谷間をとったから。


 だが、強くなっていく雨はつねに傘を叩きつづけていた。

 カメラの音はたしかにリオに耳に届いたはずだが、俺のはすぐにカメラをしまっていた。


 一拍遅れで、「ん?」という顔を向けていたリオだが、時は既に遅い。


 こうして俺は、先日からはじまっていた意図の分からぬメイドの反乱に、一筋の光明を見いだしていた。


 メイドの谷間データ、というちょっと世間には公表できない武器ではあるが。

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