第2話 食堂で、からまれてます。
唯一の肉親であった母親が生きていたころは、通信高校で学びながら、バイトに明け暮れる人生だった。
それが今では金持ちばかりが集まる超有名私立高校に通うことになっているのだから、人生というのはよく分からないものだ。
それでも母親が亡くなってから半年以上が経てば、色々と慣れてしまう部分もあるのだから、人間ってのはたくましいものだとおもう。
……いや、一つだけ、慣れてしまってはならないヤツもいるが。
*
著名な政治家や学者、スポーツ選手を世に輩出し続ける教育機関の名は『私立黒曜学園(しりつこくようがくえん)』という。
幼稚園から大学までの完全エスカレーター式の私立学校。
入学を許可されるものは莫大な入学金を支払うか、卒業後の活躍を期待できる勉強・運動の有才能者のみ。
名前ぐらいは知っていたが、まさか自分が通うとは知らなかった。
高等クラスだけでも生徒数は千人。
金持ちと天才ってそんなに居るのかよ……と愕然としたものだが、金なんてものは俺が持っていなかっただけで、あるところにはあるらしい。
噂では家族が身売りをしてまで金を作ってる家もあるとかないとか。
学歴ってそこまで大事なことだったのか……。
金が集まるからか、金を集めるからかは不明だが、学内設備の凄さにも驚かされた。
当たり前のように学食は複数あるし、学食ごとにメニューもスタイルも違う。
プールやジムも複数あるし、コンビニも全社ある。
貧乏人だった俺からすれば、どこかの社長のような生活を、高校生たちが過ごしていた。それも当たり前であるかのように。
昼休み。
学食はおおまかに和洋中と分かれており、その日の気分でいく先を変えるのが主流だそうだ。
中には座席だけをつかい、食事はお抱えのシェフやメイドに用意させてるやつもいた。
では、俺の場合は?
アンサー。
専属のメイドが弁当を持ってきてくれるので、基本的には教室か、学食で席だけを使用して食べることになる……。
*
キーンコーンカーンコーン、となって昼休みを知る。金持ちでも同じチャイムなのは違和感があるようなないような。
学食組はダッシュで教室を出る。
走っているのは十中八九、運動部の生徒だ。
「金持ちは走りませんよ、走らせるんです」とは俺のメイドの偏見による意見。
そのメイドは今、俺の目の前に立っていた。
教室である。
2年の教室に、1年のメイド生徒が立っているのである。
本来なら目立つはずだが――さすが黒曜学園。
メイドが同行している生徒にいちいち過剰な反応はしない。
夏はパラソルを執事に持たせるお嬢様だっているのだ。
リオは整った顔を崩すことなく、俺を見下ろす。
「ご主人さま、お食事をお持ちしました」
「……だから、学校でご主人さまはやめてくれ」
「つまり、学校で『イヌ』と呼んでもいいのですか……?」
「普段からそんな呼び方をしているような雰囲気をだすな。先輩、でいいだろ……」
「わかりました、イヌ先輩」
「イヌを忘れろ、命令だ」
「かしこまりました、命令ではしかたありません」
クールな様子で話しかけてくるその美少女こそ、先日、態度を豹変させた俺のメイドである。
名を水無リオ。
俺のことをご主人さまと呼ぶメイド。
半年前から俺の身の回りの世話をしてくれている。
さすがに学校では指定の学生服を着ているが、その佇まいはいつだってメイドとして模範的なものだ。
黒く長い髪は胸元まで伸びており、一本の髪の毛すら跳ねていない。
背筋はピンとし、そろえた指先は腰の前からうごかない。
清楚なたたずまい。
肌の色素は薄く、唇は桜のはなびらみたいにふっくらして、ピンク色だ。
美しいモノを前にすると人は詩人になると、どこかで読んだことがあるが、まさしくそんな感じである。
初めて「ご主人さま」と呼ばれた日には、常識の天地が入れ替わった気がした。
いままでの俺は、大家さんに土下座をして家賃を待ってもらうほどの生活だったのだ。
それが、いきなり「ご主人様」である。
何度でも言うが、人生は本当にわからない。
*
さて。
先ほどは「メイド一人ごときで、黒曜高校の生徒はざわつかない」と表現したが、あくまでそれはメイドという存在に限ってのことである。
リオが教室内にいるだけで、生徒(主に男子と一部の女子)はざわついていた。
それもそのはず。
最近知ったのだが、このメイドはメイドでありながら、学校内に存在する美男美女追っかけクラブ『円卓の騎士』に『姫』認定されている美少女のひとりなのだという。
なんじゃそりゃ、と思う話だが、事実なのだから受け入れるしかない。
とにかく俺のメイドは高校内のアイドル的存在なのだ。
それにしても、金持ち集団でも美男美女には弱いんだな……。
金持ちって意外とヒマらしいし。
金はあるから、会報とかオリジナルグッズの完成度は半端ないらしい。
閑話休題。
俺の机の前にぴたりと立ったリオは、弁当のはいったバスケットを差し出した。
まるで機械なような正確性。
メイドの鑑である。
しかし俺を見下ろす様は、どこか高圧的に見えなくもない。
「先輩、バスケットのなかを開きましょうか?」
「……おう、ありがとう」
「いえ、お気になさらずに。仕事なので」
「はい……」
「元気がないようですね」
「そんなことはないけどな……」
お前のせいだよ、とは言わない。言えない。
「そうですか。では昼食タイムにうつりましょう」
「ああ、そうだな。早く食べよう」
そして一人になろう。
だがリオは逃げようとする俺の前に立ち塞がった。
「先輩。一つご提案が」
「……なんだ?」
「よろしければ本日は学食の席で召し上がりませんか? たまには気分を変えるのもよろしいかと」
リオは笑うこともなく、無表情のまま言った。
だが、先日の豹変ぶりを知っている俺からすればそれは悪魔の甘言にも聞こえたのだった。
◇
学食。
そこでも男を中心に視線を感じる。
メイドを帯同しているからではなく、リオが美少女だからだ。
だが、俺の脳裏には今、豹変したリオの笑顔がこびりついている。
リオが先頭。俺が後についていく。
人垣があってもリオが進むと自然と開く気がするのは気のせい……じゃないのだろう。
それは俺がやっかいになっている『家名』の問題でもあるのは間違いがないけど。
「先輩。この席にしましょう。よろしいですか」
「ああ。大丈夫だ」
開いていた席につくと、リオが俺のためにバスケットを開く。
当初こそ重箱だった弁当は、今では俺の要望でいたって普通のバスケットへと変わっていた。
リオ曰く『理一様のお弁当箱ですので、普通なわけがございません。なんとこのお弁当箱は防弾製です』と誇らしげに胸を張っていた気がしたのだが……どこの世界に弁当箱で銃弾から身を守る奴がいるのだろうか。
いや、リオならやりかねないかもしれない。
豪華なお手製弁当。
誰の手で作られたかといえば、それはもちろん家付きのシェフの手によるものである。もちろんリオの手製弁当ではない。
だが周りからは、怨嗟の声が聞こえてくる。
『く、くそ、リオちゃんの手製弁当……っ』
『売ってくれないかな……。電子決済できるかな……』
『金で買えるわけねえよ……、あれは金では買えねえんだ……』
すまん。
調理したのはサングラスをかけた見た目が怖いオッサンなんだ……。
「じゃあ、いただきます」
「はい。どうぞ」
眼の前に広げられた料理の数々。
肉を一口。それからご飯を口に運ぶ。
冷めていながら……いや、冷めることを想定して味付けされているだろう牛肉は、たったひとかけらで、ゴハン一杯を平らげられるほどの味だった。
おいしさに、ふと気が緩む。
周りの景色が遠くなり、どこかふわふわとした気分になった。
俯瞰的に自分が見える感覚と共に、これまでの記憶がよみがえる。
やはり美味しいものを食べるというのは、人生の幸せに直結している。
思えば色々あった半年だった。
厳密には中学から続いた流れだから、都合三年ほど。
あれから考えれば、今はまるで夢のような日々だ。
豪華な家。暖かい布団。そしておいしい食事――母さんにも食べさせたかったけどな、なんて考えて少しだけ落ち込む。
視線は自然と落ちた。
「先輩」
その時である。
リオに呼ばれて顔をあげると、目の前に肉が浮いていた。
いや、浮いているのではなく、リオが箸でつかんで、こちらに差し出しているのだ。
「あーん」とリオが言う。
「……は?」と俺は固まる
どうやら、あーんをされているらしい。
いや、そのまんまなんだけど、頭がテンパって何が起きているのかわからない。
リオは口を開かない俺へと、肉をさらに近づけた。
「あーん」
「ちょ、まて」
「あーん?」
「わ、わかったから」
当たり前のように、俺らを囲んでいた言葉が激化した。
『あいつ、リオちゃんの何なの!? なんであんなことされてるの!?』
『いや、メイドと主人だろ……ああ、それにしても、むかつくぜ。うちのパパより金持ちな奴は全員死ねばいい』
『うちのメイド、平均年齢43!』
『それはご褒美だろ』
『え? お前……性癖……』
カミングアウトを含めて、黙っていてほしい。
「はい、先輩。あーん、してください」
ゆらゆらと上下する肉。
リオの顔は無表情のまま。
半年前に出会ってからなんら変わらないと思っていた態度。
メイドの居る生活ではあるが、こんなことをされるのは初めてのことである。
それは目には見えない変化を、端的に表す行動だった。
「ひ、一人で食えるから!」
身を引いて、拒否。
「なるほど。一人で召し上がれるとおっしゃる」
「お、おっしゃいました」
「そうですか、そうですか」
リオは空いた手で、スマホを操作。画面をくるりとこちらに向けた。
俺にだけ見えるように写真が提示――なんとベッドに寝ている俺が、リオの太ももに手を置いている写真だった。
「な!?」
こんなことした覚えがない!
冤罪だ――いや、まさかこれは俺が寝ている時にさらに捏造された写真か!?
口をパクパクとさせていると、リオの口が小さく動いた。
「いいのかなー? 先輩。リオがいま、このスマホを落としたらどうなるでしょーか?」
「っく……脅す気か」
先日。
理由は分からないが、メイド――水無リオは裏の顔をみせた。
出会ってから、ずっと無表情をつらぬき、同学年とは思えぬプロのメイドとして接してきていたはずなのに。
なぜか完全に別人の笑顔を見せてきた。
見せつけてきた。
そして俺を脅してもいる。
解熱した日に見た笑み。猫が人間に化けて笑ったら、こんな感じに笑うんだろうなと思わされるような笑い方。
リオは追い打ちをかけてきた。
「ご主人様。はやく召し上がってください。いつものことではないですか。それともリオの腕を疲れさせて、またマッサージをしようとしているのですか? 主人がなぜメイドの柔肌二の腕をマッサージされるのでしょうか? 二の腕フェチですか?」
「いつもではないし、たまにも頼んでないし、マッサージもしてない――あとご主人さまは極力やめてくれ」
呼ばれると背筋がぞわぞわする。
「そうでした。ごめんなさい、先輩。ご主人さまは二人きりのときだけでしたね。主に自室で? ベッドのうえで? いえ、リオが下ですから、ベッドのうえのしたで?」
リオは依然として小声。
しかし俺の声は大きかった。
「ちがうだろ! そもそもお前、『理一さま』って読んでるだろ!? うえのしたも、ない!」
「そうでした、理一様。お許しください。リオを叱るなら、お屋敷の、あの暗い部屋でお願いします……リオはあの仕打ちも耐えられます……」
リオも合わせて通常のボリュームへ。
その声で、周囲も当然ヒートアップ。
『ちくしょう、俺は今何を見せられているんだ……』
『不純異性交遊! 風紀委員長ー!』
『あいつ意外とやってるな……』
ああ、もう、なんでこんなことに……。
無表情のリオが、小声で付け足した。
「ねえ、先輩、早く食べてくださいよ。どんどん目立っちゃいますよ。それともこの写真、学内SNSに載せちゃってもいいです?」
「な――」
「わたしたち、噂になっちゃいますねえ。私は大丈夫ですけど、先輩はそれでいいんですか? それが嫌なら、はやく、あーんってして?」
写真がばらまかれる?
それはダメだ。
ダメなのだ。
なぜなら俺はこの家に拾われて人生が変わってはいるが、その代わり、きちんとした人間にならねばならない――そう、当代の祖父と約束したのだ。
その中に『女に気を取られるな、女に従うな』という前時代的な規則さえあった。
まあ、父と母の話をきいた以上、そんな約束をさせられても仕方がないとは思うが。
それが、こんな写真が出回ってしまったら、一瞬で俺は路頭に迷う。
今度こそ、一人だ。
生前の親父とは話したこともなく、母は死んでしまい、全てに絶望し、六畳一間に位牌だけを置いて泣いていたあの日。
ボロアパートの前にリムジンが止まり――俺の人生は豹変した。
さみしいのは嫌だ。
一人はさびしい。
俺には頑張らなければならない理由があるのだ。
俺はそれまで走り抜けようと決めたのだ。
こんなところで、脅されている場合ではないのだ。
俺はリオの目を見てから、口を大きくあけた。
「あ、あーん……」
「口、あけるだけじゃダメですよ。笑顔で口をあせてください。リオから食べるお食事はさいこー! っていう見た目で」
「お……おなじことだろ!?」
「写真」
「っく」
「はい、先輩。あーん」
「あ、あーん」
「はい、先輩。おいしいですか?」
肉の味がしなかった。
「先輩、かわいーんだ。顔、真っ赤じゃないですか(小声)」
カシャリ、とスマホの音がしたとき、「ああこれ、また脅される写真が増えただけじゃね?」と思ったのだが、時は既に遅かった。
周囲の目が誤解を招かないように、切に祈りながら、俺は弁当を口にかき込んだ。
周りからふと、聞こえてきた。
『なんかあの二人……恋人みたいだな』
『いやいや、あんな無表情な彼女はいねえだろ』
『金で雇われているだけで、リオたんは被害者なのさ』
ほら見ろ!
どうしてくれてんだ!
俺は人生をかけて、リオを睨んだ。
そしたら、こいつ、どんな顔をしていたと思う?
無表情がくずれかけていたのだ。
眉がぴくぴくと動いている。
まじめな表情を維持するために顔をしかめているのだろうが、崩壊ギリギリに見える。
周りになんとかバレないように、口元を引き締めて、
「~~~~~~~~~~~~~っ」
なんて、悶絶しているらしい。
ときおり、座りずらさをアピールするように腰を浮かしたりしていたが、なんだか、ふとももをすり合わせたりしていて、落ち着かない様子である。
結論。
はずかしがって顔が少々赤いようにも見えるし、もしくは笑いをこらえているだけのようにも見えた。
まあ、絶対後者だろうな。
こいつは俺をからかって遊んでいるのだ。
それも半年もの間、俺のまえで猫をかぶり続けて、やっとこさ見つけたネタで俺をゆすっている。
理由は不明だが、とんでもないメイドだ。
担当を変えてもらうことはできるだろうか――いや、学校での監視を含めて、こいつは優秀な存在だ。変わりが簡単に見つかるとは思えないし、俺がそんなワガママを言える立場ではないことも明白だ。
今は我慢。
こいつの行為を訴えても、俺の立場が良くなることはなさそうだ。今はなんとか、乗り越えながら、契機を見るしかない。
「~~~~~~~~~~~~~っ」
俺の決意をよそに、リオは自分のほっぺをつねっている。無表情を維持しようと必死なようだ。
……なんなんだ、このメイドは。
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