第8話 いわゆる近未来ってやつなのかも
俺にとっては当たり前なんだけど、ここ数十年で、科学は大きく進歩したらしい。強いて例を挙げるなら、AI技術の発達と『NLS』の開発とかかな。
AI技術で言えば、あの可愛いサポート妖精AIのフィーを思い出してくれると良いと思う。AIが世に出回るようになってから、データの収集と蓄積は更なる加速を見せた。結果、今やAIはフィーのように、設定した範囲でおおよそ違和感のない受け答えをするようになっている。
もちろん、AI技術が使われるのはゲームの中だけではない。俺が今乗っているこのバス(ちゃんと遅刻して、予定より1本遅いバス)もAIが自動運転をしている。自家用車という概念は完全な嗜好品となり、公道を走ることができるのは自動運転車だけ。横断歩道も信号も撤去されて、代わりに、道の対岸へ行くための歩道橋や地下の連絡通路が整備された。
(一昔前は交通事故で数千人死んでたらしいけど、今じゃ2桁行くか行かないかだったはずだし……)
その事故も、自殺志願者による飛び込みが大半を占めるし、大抵は感知センサーが反応して未遂に終わっていると聞いた。怪我を負っているのはむしろ、搭乗者の方だと聞く。本当に迷惑な話だ。
と、バスが停留所に停まって、乗客が乗り降りする。そんな乗客の中に、ウタ姉がしている物とはまた違うヘッドギアをつけた子供が居た。小学校低学年くらいの、眼鏡の男の子。彼は右腕が義手らしい。それでもしっかりと機械の手を動かして、バスの柱を握っている。
この
五感が脳のどこに作用し、運動した時にどのように脳が電気信号を放つのか。それら脳波を正確に読み取る技術。それが、NLS。その技術を応用して、目の前の子供も、ウタ姉も、
(で、このNLS技術があるからこそ、フルダイブ型MMORPGがある、と……)
NLSがあるからこそ、フルダイブ型ゲームのハードウェア『シナプス』が生まれ、アンリアルをプレイできるようになった。NLS開発者の
(あざます、
心の中で
たどり着いた正門の前には「入学式」と書かれた立て看板があって、多くの生徒が家族と一緒に写真を撮っていた。
そう言えば俺も3年前、両親と、ウタ姉と一緒に中学の入学式で写真を撮ったことがあった。今も家の玄関に飾ってあるその写真では、俺を含めて全員が笑っていたように思う。
(でも、もう二度と、4人で写真を撮ることは出来ない……)
ウタ姉と入学式の日取りが被っていて良かった。あの義姉のことだ。多分、入学式の日取りが違ったら、この場に来て写真を撮ろうとしたはず。
そうすればきっと、両親と笑えていたあの時と今を、比べることになってしまう。両親を失ったという事実が、より明確になってしまう。
(ウタ姉を悲しませちゃう……)
そうならなくて良かった。俺はほっと息を吐いて、嬉しそうに家族で写真を撮る人々の横を通り抜けていく。そのまま1人で正門をくぐって、新しい学校へと足を踏み入れようとした、そんな俺の手を、
「間に合った!」
後ろから柔らかい手が握った。聞き馴染みのある声に続いて香ってきたのは、今朝嗅いだばかりの大人の匂い。まさかと思って思わず振り返って見てみれば。そこには、パンツスーツを華麗に着こなす、
「ウタ姉? どうしたの、そんなに急いで。それにその服……」
「えへへ、早くコーくんに見せたくて。お姉ちゃん、急いできちゃった」
首筋にほんのりと汗をにじませ、やや息を荒らげながらも、茶目っ気たっぷりに笑うウタ姉。その仕草や表情は、漂わせる香りとは裏腹に、どこか子供っぽい。
「それより、どう? お姉ちゃんのスーツ姿は?」
飾り気のない、シンプルなレディーススーツ。スカートではなくパンツを選んだのは、やはり、義足であることを隠すためだろう。でも、そんなこと、今は関係ない。
背中に届く長さのやや明るい髪は、お団子にしてまとめられている。全体的に細身ながら、きちんとメリハリのある身体のライン。あと、俺から返って来る言葉など分かっていると言わんばかりのドヤ顔。どれもが、「
「うん、めちゃくちゃ似合ってる! なんかこう、大人って感じ」
「そう? ありがと」
「てか、ウタ姉。どうやって来たの?」
着替えて、しかも化粧をしてから来たと言うことは、ウタ姉は俺よりかなり後に出たはず。にもかかわらず、ウタ姉は俺に追いついて見せた。一体どういうからくりがあるのか。好奇心から尋ねた俺を、だけど、ウタ姉は無視した。
「あ、すみません。ちょっとこの子と私の写真撮ってもらって良いですか?」
近くの人に声をかけたウタ姉が、俺の腕をむんずと掴む。そして、さっきまで俺が1人で眺めていた「入学式」と書かれた看板の方へと引っ張っていく。
「ちょっ、ウタ姉……?」
「コーくんと私の晴れ姿。お父さんたちにも、見せないと。あ、ちょっとだけ待ってくださ~い。汗かいちゃったから、前髪とお化粧のチェックだけ……」
あれよあれよという間に立て看板の横に立たされる俺。看板を挟んで、反対側。手鏡で化粧が崩れていないかを確認するウタ姉。もともと化粧は薄い方だし、別にすっぴんでも可愛いと思うけど、これもある種のマナーらしい。
(あれ、そう言えば。俺が起きた時にはもう、化粧してたような……?)
まさか最初から俺を驚かすために準備をしていたのではないか。そんな淡い期待をする俺をよそに、
「よし、カンペキ! 私、可愛い! 写真お願いしま~す!」
言って、ウタ姉は携帯を渡した人に手を振った。
半ば強引にウタ姉に携帯端末を渡された、誰かの父親。別に自分の子供でもないのに、俺たちの写真を撮ろうとするその顔には、柔らかな表情が浮かんでいる。その表情は、前にどこかで見たような気がして――。
「はい、コーくんも笑って、笑って! 今から撮る写真、私の宝物になるはずだから!」
そう言って嬉しそうに笑うウタ姉は、やっぱり子供っぽい。
「それじゃあ、撮りまーす」
男性が手を挙げて、携帯を構える。その時になって、ようやく思い出した。いま俺たちを撮ってくれようとしている男性の優しい顔。そして、今、ウタ姉が浮かべている笑顔。どちらも、玄関にある写真に写る両親とウタ姉が見せる笑顔と一緒なんだ。
そして、2人の表情を見ていたら、なんでだろう。いつの間にか張り詰めていたらしい表情筋がほぐれていくのが、自分でも分かる。
「……うん! コーくんも良い笑顔! お願いしま~す!」
ウタ姉が手を振った数秒後、シャッター音が鳴る。撮ってもらった写真を見れば、そこには背が伸びた俺と、少し大人びたウタ姉が映っていた。両親の姿はない。けど、俺も、ウタ姉も。あの日と変わらない笑顔を浮かべることが出来ている。
両親が亡くなって、3年。短かったようで長かったその月日は、俺たち
「いい写真! 後でお父さんたちに報告しないとね?」
「うん、そうだね。……あと、ウタ姉。来てくれて、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして!」
おくれ毛を耳にかけて微笑む姿は、やっぱり色っぽい。でも、この人は気付いてるのかな。自分が結構、無理をしてるってこと。
「ところでウタ姉。大学の入学式の時間、大丈夫?」
俺が携帯端末の時間を指し示して見せると、ウタ姉は途端に顔を青ざめさせる。やがて、長い長い沈黙の後、小さくため息をついて、腕を組んだ。
「……どうしようか、コーくん?」
「急ぐ以外、なくない?」
「残念。実はそれ以外にも1つ、私には選択肢があるの。それは諦め――」
「母さんたち、悲しむよ?」
「――行ってきま~す!」
亡き両親が悲しむと聞いて、慌てて駆け出すウタ姉。今朝の、のんびり、ゆったりとした大人っぽいウタ姉も好きだけど、こういう少し抜けたところも、俺は魅力的だと思っている。
「バス、間に合うかな~!?」
義足だということを感じさせない足取りで遠ざかっていくスーツ姿。不意に吹いた春風が、散り始めた桜を空に舞い上がらせる。なんとなく、新しい春が始まりを告げた気がした。
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