第7話 この義姉こそが、女神です

 隠しボスを見つけたあの日から、大体2週間後の4月1日。俺は、新しく通う高校の入学式の日を迎えていた。自室の姿見で、先日届いたばかりの制服に袖を通す。色は上下ともに黒。春先ということで、中には薄手のベストを着る。ネクタイは出る直前にするとして、ほぼ完成した制服姿の第一印象は……。


「ぶかぶか……」


 その一言に尽きた。採寸の際、未来への希望(身長)を(義姉が)存分に込めたために、何ともまぁ、制服に着られている感がすごい。それでも、中3の頃の身長より5㎝も伸びていたし、手足の長さも数センチずつだけど変わっていた。


(この前スケルトンの攻撃を受けたのも、身体が大きくなってたからなのかな)


 式から帰ったら早速キャラの調整をしないと。頭の片隅に記憶しておいて、俺は部屋を出る。向かう先は、今日も美味しそうな匂いを漂わせている1階のリビングダイニングだ。毎日、炊き立てのご飯や、焼き立てのパンを用意してくれているウタ姉には感謝しかない。


(できる限り早く自立して、ウタねえを楽させないと)


 決意と共にリビングダイニングの扉を開くと、そこにはウタ姉こと小鳥遊たかなしうたうの姿があった。


 背中まで届く茶色い髪。目鼻立ちこそ日本人らしく平坦なものの、顔は小さくてパーツも整っている。モデルやアイドルをやれば人気が出ると思ってしまうのは、身内贔屓びいきだろうか。朝からご機嫌に鼻歌を歌うその声も、聴く人を落ち着かせるような包容力がある……ような気がする。エプロンをして、差し込む光に照らされて朝食を盛りつける姿は、どんな新妻よりも新妻感があるに違いなかった。


「あら。おはよう、コーくん」


 俺に気付いたらしいウタ姉が、やや明るい色をした瞳を俺に向ける。垂れた目元と言い、俺を呼ぶ優しい声色と言い、本当になんと言うか、エロい。しかも今日はすでに化粧をしてるからか、色っぽさも増し増しっていう。この人が義理の姉……つまりは家族であることに打ちのめされた夜が、何度あっただろうか。


 俺が中2、ウタ姉が高2の時、彼氏とのファーストキスの話を嬉しそうにされるまでは、結構ガチ目に恋をしていた自信がある。いや、何なら今も好きだ。けど、恐らく、親愛の域を出ることはないだろう。


「うん、おはよう、ウタねぇ。……どうかな?」


 制服を見せる俺。ウタ姉は調理の手を止めて、じっくりと俺の全身を見る。


「……うん、似合ってる! さすがコーくんだね」


 手塩にかけて育てた弟が、高校生になったことがよほどうれしかったのだろう。目に薄っすらと涙を浮かべて笑うウタ姉。でも俺の目は、彼女の頭……両耳の上についているヘッドギアに向いていた。ぱっと見は黒い角にも見えなくもないそれは、脳波を読み取る、NLSと呼ばれる機械だった。


「朝ごはんもありがと。俺が運ぶよ」

「そう? じゃあ、お願いしちゃおうかな」


 エプロンをたたんで、一足先に食卓へと向かうウタ姉。彼女が動くたびにスカートが揺れて、無機質な機械――義足が見える。2年と少し前。俺が中学1年で、ウタ姉が高校1年の年末。家族で旅行に行った俺たちは、不慮の事故に遭った。俺の義理の両親は即死。ウタ姉も膝から下を失った。


(俺が、居たせいだよな……)


 実は俺の生みの両親も、もう既に他界している。母は俺を身ごもった時に末期のガンだったらしい。俺を生むために抗がん剤治療を拒否し、出産。その後、奇跡的に命をつないでいたけど、俺が3歳になる直前に亡くなった。母を……妻を愛していた父はそのせいで心を病み、3年後に自殺。1人になった俺を、母の妹家族であるウタ姉たちが引き取ってくれたのだった。


(だけど、そんな育ての両親も死んで。ウタ姉は障害を負った)


 俺のせいではないと、ウタ姉は言ってくれる。でも事実として、俺は4人の命を奪い、1人の人生を台無しにしてしまった。ウタ姉から、人生も、青春も、両親も、奪ってしまった。そんな俺が、ウタ姉のために出来ること。それは一生をかけて彼女を支え、養い、つぐなうことだろう。


(……っと。暗い顔をするとすぐウタ姉は心配するからなぁ。笑顔で、っと)


 朝食――目玉焼きとトースト、ウィンナー、マカロニサラダ――が乗った皿を2つ、俺は食卓に運ぶ。続いて、瞬間湯沸かし器のお湯を使ってれたインスタントコーヒーも用意した。


「「頂きます」」


 2人で手を合わせて、朝食を食べ始める。


「ウタ姉も今日、大学の入学式でしょ?」

「うん。コーくんの晴れ舞台が見られなくって、お姉ちゃん残念」


 苦笑しながら、マカロニサラダを口に運ぶウタ姉。彼女もまた、この春から国立大学に通う大学生だった。


「俺も。ウタ姉の入学式、見に行けなくて残念だよ」

「ふふっ、そう? お姉ちゃん、今日ついにスーツデビューだよ? 帰ったら見せてあげるね」


 さすがに、調理をするときには匂い移りや汚れを気にしてスーツは着られなかったらしい。普段からエロ……大人っぽいウタ姉が、どんなスーツ姿を見せてくれるのか。今から期待せずにはいられない。


「うん、めちゃくちゃ楽しみしてる」

「コーくんも。ちゃんと、人と話すようにね。ノルマは5人。前後左右のお友達と、プラス1人」

「それは……、まぁ、頑張る」


 ウタ姉が示した課題に、俺はとりあえず頷いておく。保護者として、俺の交友関係について心配してくれているのだ。


「興味がない人にも、きちんと興味を持つこと。……分かった?」


 これは、ウタ姉の口癖みたいなものだ。彼女だけではない。亡き義理の両親の口癖でもあった。どうやら母が死んでから父が自殺するまでの約3年間。少し特殊な環境で育った俺は、他者への興味と言うものが薄いらしい。……自分では、分からないけど。


「大丈夫、心配しないで、ウタ姉。中学みたいに、上手くやるから」

「上手くやるんじゃなくて仲良く――」

「あ、こんな時間だ。ご馳走様、俺そろそろ行くから」


 ふと時計を見てみれば、もう既に家を出る予定時刻の15分前になっている。入学式の前に制服が乱れたりしないように、今日は1本早いバスで通学する予定だ。そうでなくても、イベントの時は何が起きるか分からない。いつも以上に時間には余裕をもって登校したかった。


(って、急がないために急ぐっていうのも変な話だけど!)


 急いで歯を磨いて、顔を洗って。最低限、人に不潔感を与えないように髪を整える。自室に戻って紺色のネクタイを結んでみるけど、これが意外と難しい。手元の携帯端末で動画を見ながらどうにか結んで、通学用のカバンを手にした時にはもう、予定時刻になってしまっている。


「やっば……、バスくるじゃん!」


 急いで階段を下りて玄関へ向かうと、むすっとした顔で仁王立ちをしているウタ姉の姿があった。


「ウタ姉。話は夜にでも聞く――」

「コーくん、こっちに来て」


 急ぎたいけど、俺は何があってもウタ姉には逆らえない。逆らいたくない。渋々歩み寄った俺の首元に手を伸ばしたウタ姉は、続いて顔を寄せてくると……。


「これで、良し!」


 俺の首元にあるネクタイを、結び直してくれた。俺が驚きのあまり固まっている間に、離れていくウタ姉の顔。香ったのはシャンプーか、それとも香水か。大学生になってより一層大人っぽさを増した気がするのは、気のせいかな……?


「それじゃあ、入学式とお友達作り、頑張って来てね。行ってらっしゃい!」


 右手を上げて見送ってくるまでのこのナチュラルな新妻ムーブ。……たまらない。


「……うん、行ってきます」


 開け放った玄関のドアから吹き込む春の風が、俺と、ウタ姉の髪を柔らかくなでてくれた。

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