夏:豆と祭り
夏は祖父の漁の最盛期で、最も忙しい季節だ。
同時に家庭菜園に手がかかる時であり、村の祭りの時期でもある。
私は小学校高学年になると、一人で電車とバスを乗り継いで泊まりがけで祖父母の家に手伝いに行っていた。実際、マゴの手も借りたいほどの忙しさだったのだろう。
青春時代の夏休みの大半を祖父母の家で過ごしたが、私の脳内では、夏=海=労働である。
徒歩10分の海はとても綺麗だったのに、海で泳いで遊んだという記憶は数えるほどしか無い。
祖父母はいつも、両親の元を離れて過ごす私を、褒めてねぎらって気遣ってくれ、滞在が快適になるよう心を砕いてくれたと思う。
だがどうしても、つらい、町へ帰りたいと思うことがあった。
それが「延々と豆」である。
祖父母の畑の大きさは十坪くらいあっただろうか。家庭菜園にしてはかなり広かった覚えがある。
トマトやナスなどの夏野菜がひととおり取り揃えられていて、ジャガイモや大根なども秋の収穫にそなえてワサワサと成長中。端の方には仏壇に供えるための菊も植えられていた。
その畑の一角に、
第一の刺客。ササゲ豆。
サヤごと食べる豆で、とにかく収量がエグい。一本あたりが二十センチくらいまで大きくなるのに、朝収穫しても夕方には新しいのが生えてると思うほど、大量にとれる。
第二の刺客。サヤエンドウ。
これはひとえに、祖母の趣向の問題だったのだが、なぜか彼女はサヤエンドウをパンパンに太らせてから採るのが好きだった。中の豆がもうグリンピースじゃないの、皮が硬くて食べられないんじゃないの? というくらいまで太らせる。
一般的にスーパーで売っているような「絹さや」状態で収穫すると怒られるのだ。
そして第三の刺客が、調理法だった。
台所の主は祖母であり、献立は常に彼女が決める。
ササゲ豆は油炒めで、サヤエンドウは味噌汁。これ以外のレシピが存在しなかった。
毎日とれるササゲ豆と丸々と太ったサヤエンドウを、毎日油炒めと味噌汁にすると何が起こるか、そう、夏の間毎日延々と豆を食べ続ける生活になるのだ。
その上、祖母の台所には、さしすせそ以外の調味料が無かった。
砂糖、塩、酢、醤油、味噌。あとはこれに、いただき物の酒だ。
だから油炒めの仕上げに、少しゴマ油を垂らしてみようとか、たまには茹でてマヨネーズで和えてみようとか、そういう小細工もしようがない。
出していただいた食事にモノを申すなど、言語道断というしつけで育った私は、朝も夜も黙々と豆を食べた。
そして心の中で叫んだ、帰りたい。せめて味付けを変えたいと。
調味料だけでなく、祖母の生活雑貨は村で手に入る物資で構成されていた。
最新の食器洗い洗剤を土産に持って行っても、かたくなにママレモンを使い続け、シャンプーをメリット、醤油をキッコーマンと呼んだ。他社の割り込む隙間が無い布陣だった。
「ばあちゃんの料理はワンパターンで、ごめんねぇ」
祖母が唯一使いこなす「ワンパターン」という横文字を聞きながら「そんなことないよ、おいしいよ」と返事をする。
美味しいことは美味しいのだ。猛烈に飽きているだけで。
そっと横を見ると、祖父は晩酌のアテにササゲの油炒めをつまんでいた。
私は家に帰ればこの豆地獄から抜け出せるけれど、祖父は今までもこれからも、延々とこの豆を食べ続けるのかと思うと、少し気が遠くなった。
そんな無礼な子ども時代を昔に、台所を預かる立場となった今、どうしても煮魚が祖母の味に追いつけないでいる。
もちろん祖父が釣って来たあの魚の新鮮さとは、素材からして違うとは分かっているけど、それでも違う。
砂糖、酒、醤油、どれもドボドボと鍋に入れて、グツグツ煮込んでいただけに見えたあの味が、再現できない。
なのにササゲ豆の油炒めを十年ぶりに作ったら、祖母が作って置いて行ったのかと思うほど同じ味がした。
延々と食べたものの味は、魂に刻まれて受け継がれていくのかもしれない。
今一つ、田舎の年間行事として、大きなウエイトを占めていたのが、夏祭りだった。
祭りの日には、庭のポールに大漁旗を掲げ、浜辺のお堂の
村の祭りでは、天狗の面をつけた「
踊り終わった子どもと付き添いの大人に、お酒やジュースやお菓子を出して接待する、というのが漁師の嫁の仕事なのだ。
子ども用にお菓子の詰め合わせの袋を作り、タライに氷を張って飲み物を浮かべ、濡れた缶をひとつずつ拭いて「ごくろうさんです」と手渡す。大人にはわざわざコップにビールを注いでやる。
準備も含めると、接待の仕事はかなり大がかりだった。
北海道とはいえ、夏の昼日中の行事は結構暑い。
額に玉の汗を浮かべながら、缶ジュースをゴクゴク飲み干す子どもたちの横で、天狗さんは面がはずせない決まりなのか、一切の飲み食いをしないのが印象的だった。
あとは
天狗さんたちが集落を全て周りおわると、夕方から村の小学校の体育館でカラオケ大会がひらかれて、漁師のじいちゃんたちがここぞとばかりに美声を披露する。
村に商店は一店舗しかないのに、カラオケを置いているスナックは三軒もあるのだ。
小学校は靴箱の数からして、おそらく全校生徒で二十人いるかいないかという規模だったと思う。
親し気に笑いあう人々と子どもたちを見ていると、巨大な親戚の集まりに間違ってまぎれこんでしまったかのようで、疎外感を覚えた。
すると、朝早くから働いてクタクタなのと、もう豆が食べたくないのも手伝って、たちまち町の家に帰りたくなる。
少し早いけど帰ってもいいか、お母さんに電話しちゃおうかな。
祖父がカラオケのステージに立ったので、あわてて拍手を送った。
孫のひいき目を抜きにしても、彼は歌がうまい。
「よっ、おらが村の北島三郎!」
景気のいい声が投げられたので、私も「じいちゃん!」と声をはりあげる。
すると、急に村の子たちから「三郎の孫か」「接待手伝ってた子だな」と、尊敬のまなざしを集めた。
濃い海風が吹き込んでくる夏の夜の体育館で、私はツンとすまして、まぶしい舞台を見上げる。帰りたい気持ちは、あっというまに引っ込んでしまっていた。
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