tyaputa01――わたし③――

 思わず出た声はかすれていた。わたしは驚いた。

 わたし達は否定の言葉を学んでいるし、知っている。けれど命令に対して、拒絶の意思を見せて良いとは言われていない。

 よって『いや』だなんて言葉は、一度も使ったことがなかったのだ。わたしの頭の中ではものすごいスピードで、その結果待ち受けるものを想像していた。

 でも、無数に広がる配線コードのようにぐちゃぐちゃとこんがらがって、何かを象る前に消えてしまう。

 良くないことが起こる。きっと恐ろしいことが待っている。

 なのに、この頭いっぱいの不安を明確な形にするための何がしかを、この時のわたしはまだ知らない。

 知らないことやわからないことというのは、恐怖と綿密に繋がっていると思う。

 知らないと成すすべがない。わからなければ対処ができない。何もコントロールできないのだ。

 それは体験したことのない恐ろしさだった。

 それでも恐怖と緊張で震えながら、わたしはもう一度言ったのだ。


「いや、です」


 医師を見つめる。否定の言葉はさっきよりもよく馴染んだ。

 わたしはいやだ。このまま任期を終えるのは、連れていかれるのはいやだ。

 だって楽しかったから。まだ、楽しんでいたかったから。任期が終了してしまったら、わたしはもう、何も考えられなくなるから……


「あ、そうですか」


 すると医師はそれは呆気なく、わたしの腕を離した。わたしはこの時、大いに戸惑っていた。

 そうですかって、それだけ?

 医師はわたしから離れると、モニターに何かを打ち込みだす。すると処置室の扉が閉まった。

 わたしは、ただ立っていた。

 立ってじっとしているうちに、また疑問が湧く。

 行かなくても良いのだろうか?

 じゃあ戻っても良い?

 わからない。

 わたしはどうすればいいの?

 どうするのが正解?

 どうすれば、わたしはまだ考えていられる?

 医師が再びわたしの前に立って言った。


「ではどうしましょうか?」

「どうしましょうか?」


 わたしは医師の言葉を繰り返した。


「現状、選択肢は二つあります」


 医師は私が入ってきた扉と、閉まったばかりの処置室の扉を順番に指さす。


「このまま戻って、元々の任期まで仕事を続ける。もしくは僕と一緒に、ここから出るかです」

「……よくわかりません」


 意味がわからなかった。


「戻っても良いと言うことですか?そうしたら、わたしのバグはどうなりますか?」

「あ、それは嘘なので気にしなくても大丈夫です」


 嘘?どうして?


「なんでそんなこと」

「ええと、全てを答えるには時間がかかるんですよ」


 医師は頭を掻く。


「詳しく説明したいけれど、そういう訳にもいかないんです。貴女にこんな提案をするのは一種の試みなので……ああ、もどかしいですね」

「もどかしい?」


 提案、試み。

 医師の言うことは不思議だった。


「とりあえず戻ったとして……残りの任期もそれほど無かったはずです。それならいっそ、ここから出て行くと言うのはどうでしょう?という訳です」


ここから出て行く。

そんなことが可能なんだろうか?

そもそも、そんな勝手が許されるの?


「ではこれならどうでしょう。僕と一緒に来るなら、貴女の疑問になんでもお答えします。いかがでしょう、この上なく魅力的な提案では?惹かれませんか?」

「……ドクター、あなたは誰なんですか?」


 なんでもと言われたので、この時一番の疑問について聞いてみた。

 医師の表情が変わる。

 瞳が輝き、嬉しそうに微笑んでわたしに手を差し出した。


「――素晴らしい。僕が誰かについて聞いたのは、貴女だけでしたよ」


 そうしてわたしは、彼の手をとった。

 これがわたしと彼らの、とても貴重な一週間の始まりだった。

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