第3話:記憶のデブリ
今、僕らは秒速約8kmで宇宙を漂っている。
デブリとよばれる宇宙のゴミを拾うのが僕らの仕事だ。宇宙船からパージされたゴミをひとつずつ拾ってキャリアに回収していく地味だが危険な仕事だし、命を落とす者もいる。その分給料はいいけど。
「OK、もうすぐ終わる。座標と出力を計算してくれ。」
「はい。あの、一つ質問しても良いですか?」と突然相棒が切り出した。
「仕事中に珍しいじゃないかマーカス。なんだ?」と僕は切り捨てられて宇宙を漂うタンクをシップに固定しながら答えた。
「何故この仕事を始めたのですか?」
「特に理由はないよ。気が付いたら飛んでいたんだ。あと金回りがいいからかな」と僕はまんざらでもない気分で、しかしわざとつまらなそうに答えた。そういうお前は何で、と聞き返そうと思ったが、それはもう十分解っていたのでやめた。
そう、もう2年前のことだ。
あれはゴミ同然の古いシップを直して、デブリの回収屋として登録するためにナビゲータを募集していたときのことだ。
僕は「航宙歴1年以上で、できればデブリ回収歴があり、NSS座標演算処理ができる者」という条件をつけた。期間は定めなかった。宇宙でゴミ拾いなんかをやる奴は二通りの人間しかいない。一つは何らかの使命感にも似た信念でデブリを拾いつづける者。そしてもう一つは手っ取り早く稼いで辞めていく者。大抵が後者で、僕自身もその一人だった。そのため、希望する人材も実はいつでも辞められる身軽な人の方が都合が良かった。
さほど待つこともなく、三人の志願者が現れたが、その中で一人、座標計算はおろか宇宙科学、量子力学の基礎知識も皆無で、しかも航宙経験なしの者がいた。それがマーカスだ。低賃金で真面目に働いてくれるから暗にルナリオンを希望していたが、何のスキルもないやつが来るとは思わなかったのでさすがに驚いた。
「つまり、書類の手違いとか、冷やかしとか、字が読めないとかではなく、全て了解した上で面接に来たの? え~と、マルクス君」と僕は興味津々でたずねた。正直、当時の僕はルナリオンにやや偏見を持っていた。でも「こいつ」は何かが違う。そう思った。
「はい。でも私を雇ってください。座標計算はできませんが覚えます。6種類の言語をBランク以上で話せます。」
「それだけのスキルがあれば一級通信士でも、大気環境鑑定士でもカリスマ美容師にもなれるよ。長い目で見たらそっちの方がかなり稼げるから。」
「給料はいくらでも構いません。私は飛びたいのです。宇宙に出てみたいのです。」
「宇宙に出たければパシフィックスペースラインにでも乗ればいいよ」と、僕はわざとはぐらかしてみた。
「そのように出たいのではなく、自分の力で宇宙に出たいのです。」
「だったらまっとうな仕事について、免許を取って、自分のシップを買えばいい。」
「そうじゃないんです! なんていうか……その、」とマーカスは少し高揚した声で答えた。どういう意味じゃないのかは分からなかったけれど、「そうではない」ではなく『そうじゃない』という地球なまりに何だかとても好感が持てたのを今でもはっきりと憶えている。6種類の言語をBランク以上で話せるというのは伊達じゃないようだ。
興奮すると地球なまりで話して、宇宙にあこがれて、6種の言語を自由に使いこなせて、自分の気持ちをなんとか伝えようとことばを探すルナリオン。時代も変わったものだ。それだけルナベースも豊かになったということかもしれない。
結局、僕はこの変わり者が気に入ってしまい、僕の船に乗せることにした。
「よーし、いいじゃねぇか。気に入ったぜ。要はてめぇがどれほどのもんか試してぇんだろ? オレはそういうバカをさがしてたんだよ。いいか、雇う雇われるじゃねえ。今からおれたちゃパートナーだ! 座標計算から何から全部教えてやるよ。よろしくな、相棒」と僕はすごい地球なまりで採用決定を通達した。
これが、僕とマーカスとの出会いだ。
この2年間のマーカスの成長ぶりは大したものだった。時には答えられないような鋭い質問にこっちがしどろもどろになることもあった。センスもいい。データはいつも計測誤差の範囲で収めていた。ただ相変わらず量子力学だけはかなり苦手だけど……
「ジュンさんは長い間、大学で心理学を研究していたのですよね? 研究職には就かなかったのですか?」と、マーカスは控えめにたずねた。心理学については楽しそうに話すのに心理学を研究していた頃の話は全然しない僕に気を使ったのかもしれない。
「研究職はね、仕事を見付けることが仕事なんだ。いや、研究職に限らず、ホワイトカーラの仕事は仕事を見つけるという仕事なんだ。僕たちブルーカーラは見つかった目の前の具体的な仕事を実行するのが仕事だ。船を動かしたり、ゴミを拾ったり。僕にはそっちの方が向いていたから。」
僕は何故か言い訳をするように答えた。あの頃がなつかしい。
印象に残る記憶の断片はいつだって突然飛び込んでくる。
データを打ち込みながら突然「あーもう!」と叫ぶ女性統計手の横顔。
教授のつまらない冗談。
ロールプレイング中に突然僕とクライエントの二人だけが取り残されてしまったようなあの感覚。
音だけはやかましくて全然涼しくならない研究室のクーラー。
分析結果のエラーを見つけて顔を青くしている若い解析手の表情。
少女の涙と予想外の失恋。
観察していることを忘れて思わず見入ってしまったあの子どもたちの遊び。
ふと胸をくすぐるようなあの感覚のあとに、決まって現れるノスタルジア。
『なつかしいかい?』と、僕の中の僕が言う。
『ノスタルジーってやつだね』
『いいや、もうこりごりだね』別の僕が答えた。
何故、これらの記憶は、こうも生々しい感触でもって現在の僕に働きかけてくるのだろうか? 何か大切なものをしまう時のような、秘密の日記を特別な人にだけ見せる時のような「あの感触」を想起させるのだろうか? まぁ考えても仕方ない。僕はあえて機嫌の良差そうな声で言った。
「さ、こいつをやっつけて飯にしよう。今日はミートソース味だ」積み込まれたゴミの山に掴まり、僕は無理に元気な声を出してシップの位置をたずねた。
「過去をなつかしがれるのは…」とつぶやいたあとふと考える。
今が幸せだからなのか?
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