第4話 叔父さんの職業
新幹線から降り、絆創膏の貼られた手でキャリーケースを握りしめ、ユキはアオイの背中を追いかけていた。耳の中に入ってくるのは、人の足音やざわざわとする話声。
今まで飛び込んだことのない大勢の人々の中をキャリーケースを持って歩き回り、ユキはすぐに人酔いした。エスカレーターに乗り、店が立ち並ぶところへと出てきた。
こんなに狭い場所にこんなに人が集まることをユキは知っているつもりだった。ふらふらと歩いていると、アオイに手を握られて、早々と外へ出た。外の空はすでに暗かったけれども、周りが明るすぎるせいで星が全く見えない。
秋田県に居た時の楽しみと言えば、星を見ることぐらいだったためだ。田舎はとにかく星が綺麗に見える。学校の帰り、真っ暗な中を、星を眺めながら歩くことがユキの習慣だった。
外のベンチに座りながら、頭痛のする頭を抱えていると、隣でアオイはユキの背中を撫でながらどこかへ電話をしていた。
「ああ、東口のタクシー乗り場。そう。姪。具合悪そうだから早く来て。仕事?行けるわけないだろ。今日は休むって言ったろ。いけないって。はあ?暴力事件?わかった」
電話を切り、スマホをカバンの中に仕舞うと、ユキは少しばかり心配になった。
「会社で、何かあったんですか?」
「今ちょっと、会社がイベント中でね。心配しないでいいから」
「イベント?」
経営者ということしか聞かされていなかったために、ユキはイベントという物が、会社の中でどういうものなのか分からなかった。
「ま、心配しないで大丈夫だから」
しばらくそこに座って両手で顔を覆っているとアオイが立ち上がった。顔を上げてみると、一台のベンツがやってきた。同じようにユキも立ち上がったけれども、こんな車がやってくるなんて思っていなかったために、呆然としていた。
「さあ、行こう」
「あ、はい」
キャリーケースを車の後ろに乗せ、ユキは後部座席に、座った、運転席にはまだ若い男性が運転をしていて、荷物を運び入れると、車はすぐに出発した。カバンの中からスマホを取り出し時間を見てみると、もうすでに夜の八時。アオイの家に着くころには九時近くになるかもしれない。
とても眠い、気を抜くと、瞼が落ちてきて、深い眠りに落ちてしまいそう。目をこすりながら外の景色を眺めていた。
それでもトロリトロリと瞼が落ちてきて、頭の中がシャットダウンされそうになる。
「いったん本店の方に来てもらえませんか?顔を見せてもらわないと、と夜桜グループの柏木さんが」
「わかった。でもまずユキちゃんを家まで連れて帰らないと」
アオイはスマホを見ていた。
「でも、行って戻ってくるって言ったら、結構かかりますよ。一度挨拶してもらえればいいので」
「駄目だ」
「大丈夫です。叔父さん。私待って、いられるから」
ゆっくりとそうつぶやいて、ユキは頭を肩に置いて、眠りに落ちてしまった。疲労がうかがえるその顔は眠りながら、強張っている。
「眠っちゃいましたね」
眠ってしまったユキを見て、アオイは小さなため息をついて、それからジャケットをまくり、腕時計を見た。
「わかった。本店まで行く。でも俺が戻ってくるまで、ここでユキちゃんと待っていてくれ。でも絶対に触らるなよ。触ったら殺すからな」
「そんなこと、怖くてできませんよ」
歌舞伎町へと入り、一軒の店の前で車が止まった。アオイだけが車から降りて、車の中にはユキと薫だけが残った。薫は振り向き、眠りこくるユキを見つめた。長い黒髪に、細い体。手足が長く、スタイルが良い。冬に近いというのに薄い服を着ている。
「寒そうだし、ブランケット掛けるぐらいならいいか」
後部座席へ移動し、後部座席の背もたれにかけられていたブランケットを広げて、ユキの肩から膝まで覆い隠した。そこで、真っ白い顔が見えた。長い睫毛の隙間から涙が溜まり、ユキの顔を流れ落ちた。
「おか、さん…」
つい二週間とちょっとの前に母親が事故死をし、家のことを整理して、学校の手続きが終わると、アオイは颯爽とユキを連れてこっちへ戻ってきたのだ。それを考えると薫の心が締め付けられた。もう少しぐらいあっちに置いてやっても良かっただろうに。いろいろなやらなくてはいけないこともたくさんあったのだ。たった一か月で母親の死を咀嚼することなんて出来るはずはない。
「可哀そうに」
後部座席から出て、運転席へ戻ろうと腰をかがめた。
「何してるんだ薫」
その声に驚き、薫は扉の上に頭をぶつけた。苦しそうに「い、いってぇ」とぶつけた部分を手で触った。後ろを振り向くとアオイが目を細めて立っていた。
「ち、違うんです社長。ブランケットを掛けただけで、寒そうだったんで」
アオイは扉を開けて、中をのぞきこむと、穏やかに眠るユキの姿を見て安堵し、運転席へと乗った。
「車で乗ってきてくれて助かった。じゃあ、頑張れよ」
「はい。お疲れさまでした」
走り去っていく車に楓は頭を下げ、頭を上げると、その淡い光だけが目に残っていた。
「可愛い子だったなぁ」
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