第二十三話 第四階層 フロロース③

「すまない。デーモンシープの肉を手に入れることができなかった」


エリュトーンに報告すると、突然顔が真っ赤に紅潮し、足で床をどんどん踏みつけ始めた。


「なぁ、ん、だぁ、とぉお!?」


唾を撒き散らしながら甲高い声を上げる。


「ひぃ、ひもじいぃ! もう、なんでもいいぃ! 何か食い物をよこせぇ!」

「わ、悪いが、俺たちは食べ物なんて──」


エリュトーンはクンクンと鼻を上下に動かす。


「あああ、あるじゃないかぁ!? 肉を出せぇ!」


ハルのインベントリの中にある肉は、第三階層でドロップしたゾンビの腐肉と、先ほど倒したグリードバイパーの肉だけだった。


「これは、肉といっても生産の素材として使われる肉だぞ?」

「はぁらが減って死にそうだぁ! いいから出せぇ!」


こんなものを食べようなんて、明らかにまともじゃない。食欲に支配され、我を忘れているのだろう。


しかし、ここで渡すのを渋れば、激昂しているこの男に何をされるか分からなかった。


赤黒く変色した腐肉と毒まみれの蛇肉を、ハルはあるだけ全てインベントリから取り出した。生ゴミを発酵させたように酸っぱく、血生臭い臭気が広がる。どちらも五十体分ずつはあり、床に肉が山盛りになっている。


涎を垂れ流し、歓喜の表情を浮かべたエリュトーンは、椅子から立ち上がると、どたどたと全身の贅肉を揺らしながら駆け寄ってくる。


肉を両手で掴めるだけ掴むと、巨大な口に放り込んだ。グチャグチャと音を立てて咀嚼し、ごくりと飲み込む。


「うっ……」


ミオはその光景に気分を悪くしたらしく、手で口を押さえ、目を背けている。


「まずいぃ。だがぁ、手が止まらないぃ!」


苦悶の表情を浮かべながらも、エリュトーンは次々と口に放り込んでいく。全てを食べ終わるのに、時間は五分もかからなかった。


すると、エリュトーンの体がまた一回り巨大化し、肌の色が赤紫色に変色していく。肌艶は変わらないが、ぷっくりとした頬の皮が破けて肉がずるりと崩れ、今にも落下しそうになっている。


もはや見た目は人間というよりもモンスターに近い。一体何が起きているのか。


「エリュトーン様!?」


執事が主人の変化に驚いた様子で近づく。


「邪魔だぁ! どけぇ!」


エリュトーンが手を突き出すと、執事は軽々と吹き飛び、壁に叩きつけられた。


ぐぅぅうううぅぅ!


今大量の肉を食べたにもかかわらず、エリュトーンの腹の虫は鳴くのを止める気配がない。


「まだ足りぃん! もっと出せぇ!」


もう肉はないし、一体何を出せと言うのだろうか。他に似たようなモノといえば、生産の素材となるスケルトンの骨や巨大蝿の死骸ぐらいしかない。


ハルは試しにインベントリからそれを取り出して、全て床に置いた。


すると、間髪置かずにエリュトーンは手を伸ばし、掴んだものを口に放り込み始めた。


バリッ、ゴキッ、グシャ、ブチッ!


食事の際に鳴るとは思えない咀嚼音が、部屋全体に響き渡る。


ミオはいつの間にか青い顔をして、体を震わせながら耳を塞いでいた。


エリュトーンの体はますます大きくなり、着ていた服がビリビリと破けていく。すでに身長は3メートルを超えているだろう。目がまるで虫の複眼のように変化していき、体のあちこちから骨が肉を突き破り、飛び出し始めた。


「もう少しだぁ……もう少しで満腹になるぅ……。何かぁ……何か出せぇ……」


インベントリを隈なく探すが、ハルにはこれ以上何も差し出せるものがなかった。それに気づいたのか、エリュトーンの視線がハルからミオに移る。


「ならぁ、そこの柔らかそうな女子の肉でももらおうかなぁ?」

「……ッ!? きゃあああ!?」


ミオは恐怖に引き攣った顔で叫ぶと、ハルの背後に逃げ込んだ。


この男は食欲に支配され、完全に頭がいかれている。プレイヤーと同様、このNPCも満腹度が凄まじい勢いで減少しているのだろう。


どうする? この局面を乗り切らなければ次の階層へ行くことはできない。


ならば──


ハルはインベントリから青白く光るダガーを取り出すと、自らの左腕を肩から切り落とした。


「ぐうっ!」

「ハ、ハルさん!?」


地面に落ちたハルの腕を、エリュトーンは他の者に取られまいと慌てて取り上げる。


バギッ、バギバギッ! グチャ、グチャ、グチャ、グチャ! ゴクン!


「ぶはぁああ! 朕は満腹なりぃ!」


次の瞬間、エリュトーンの全身が発光し、ハルとミオの目が眩む。二人の視界が元に戻ると、目の前に現れたのは異形の怪物だった。


腐敗して崩れ落ちそうな顔の肉、複眼の目、裂けた口からチロチロ動く蛇の舌。背中には二本の翼が生えているが、骨格はスケルトンの骨で、羽は蝿のものらしい。両腕は蛇の頭に変化しており、でっぷりとした腹の肉はところどころが削げ落ち、あらゆる場所から骨が露出している。


ハルはその醜悪な姿に息を飲んだ。


この姿、まさかこいつがこの階層のボスだったのか……?


「エ、エリュトーン様!?」

『エリュトーン様!』


執事とメイドは、仕えるべき主人の異変を心配して駆け寄る。


「ま、待て! そいつに近寄るな!」


ハルが使用人に向けて叫ぶ。


エリュトーンの目がギョロギョロ動くと、側に来た小柄のメイドに視線が動いた。


すると腕から生える蛇が凄まじい速度で伸び、そのメイドをバクリと飲み込んだ。


『キャアアア!?』


メイドたちは恐怖に満ちた形相で逃げ惑う。しかし、執事は主人の豹変した姿に、唖然として立ちすくんでいた。


怪物の次の標的は執事だった。両腕の蛇はターゲットを引き裂こうと、大きな口を開いた。


「くそっ! うぉおおお!」

「ハルさん!?」


ハルは全速力で駆け出すと、執事をその場から突き飛ばし、自分は地面に倒れ込んだ。


「ぐぅっ! に、逃げろ!」

「……はいっ!」


執事が走り去るのに安堵するが、ふと下半身に灼熱感を覚える。ハルが足元に目を向けると、右膝から下が噛みちぎられていた。


「もっどぉ、もっど食べたいぃぃ!」


今度は標的をハルに変更し、蛇が口を開く。


「させません! ブレスト・バリア!」


ミオがハルの正面に立ち、魔法を唱えた。半透明のドームがミオを中心に広がり、ハルの体も包み込んだ。


「大丈夫ですか、ハルさん!?」

「ああ、助かった」

「傷を治します。グランド・キュアリング!」


みるみるうちにハルの腕と足が再生していく。とてつもない激痛がおさまり、体力ゲージも全快した。


「す、すごい魔法だな……」

「そんなことより、なんで、NPCまで守るんです!? ハルさんの命のほうが大事じゃないですか!」


ミオは潤んだ瞳でハルを見つめる。振り返った彼女の顔は、非難というよりは、何か頼み事でもしているような表情だった。


ハルがなぜ使用人を救おうとしたのか。


それは、彼が憧れるファンタジー世界の冒険者ならば、弱者を守るのは当然だからだ。相手がNPCかプレイヤーかなど、彼には関係がなかった。


「俺は彼らを守りたい。冒険者だからな」

「り、理解できません……。そもそも、冒険者ってそういう存在じゃないような……」

「まあ細かいことは気にするな」

「気にしますよ!」


エリュトーンは裂けた口をさらに吊り上げ、翼をばたつかせる。


「ぶぇっ、ぶぇっ、ぶぇええ! ま、またぐえるぅ! 無限にぐえるぅ!」


再び腕と足が生えたハルをみて舌なめずりをしている。どうやらハルを永遠に食い続けられる便利な餌だと勘違いしているらしい。


「こいつは敵だ! 戦うぞ!」

「はい!」


二人は急いでエリュトーンから距離を取る。そして、ハルは中位魔法を放った。


「ライトニング・ウィップ」


杖の先端に、バチバチと音を立てて雷のエネルギーが集まる。そこからしなやかで細い電撃の鞭が、次々に現れてエリュトーンを打ち付ける。


鞭の当たる箇所がバチッと光り、みみず腫れになって焼け焦げる。その痛みで倒れこみ、のたうち回るエリュトーン。


「ぎゃああぁああ!」


かなり効いている。そう思うハルだったが、つけたはずの傷がすぐさま修復されていくことに驚きを隠せない。


「なんだと……? これならどうだ、エレクトリック・カノン」


炎/雷の混合属性に分類される中位魔法だ。電気を圧縮して生まれた炎熱を大砲の如く打ち出した。


床に倒れているエリュトーンの背中を、太く黄色い光線が貫通する。肉と内臓が一瞬で焼けて蒸発し、直径20センチの空洞ができた。


エリュトーンは再び叫び声を上げるが、またして空洞から肉が迫り出して埋まり、すぐに傷を修復してしまった。


どうやらとてつもない再生能力を持っているらしい。アンブロシアとネクタルを一緒に使用すると不老不死になるという伝説があったが、まさかエリュトーンがそうなってしまったのではないか。


ハルがそんな考察をしている間にエリュトーンは立ち上がった。


「にぐぅ、にぐを食わせろぉお!」


エリュトーンは両腕を左右に伸ばすと、蛇はそちらに向かって胴体を伸ばした。そのまま部屋の壁を貫通して外に出ると、今度はハルの真横の壁を突き破り、彼に襲いかかった。


両脇から迫る蛇の大口を、ハルは噛みつかれる寸前で飛び退く。


蛇の頭は数ミリの距離を空けて交差すると、勢いを殺すことなく上に伸びた後、落下してハルを追いかけようとする。


「ぐるじぃぃ! はやぐ! はやぐにぐを捕まえろぉ!」


苦しげに目から涙を流し、口を歪ませて、エリュトーンは必死に蛇へ指示を出している。


しかしハルにとって蛇の挙動は、グリードバイパーのそれと大きな違いはなかった。これまで散々倒してきたこともあり、パターン化した噛みつきや巻きつき攻撃を避けるのに苦労はしなかった。


たまに攻撃が掠ったとしても、ミオがタイミングよく回復してくれる。


ハルは隙を見て様々な魔法で攻撃を試みていた。しかし、ダメージを与えてもすぐに再生されてしまい、まるで勝利の糸口が見えない。


ハルとミオの満腹度は0%のため、ひどい体の不調に加えて継続ダメージが発生している。ゆるやかに死へ向かっていることに気づいているが、どうすることも出来ずもどかしい。


しかし、異変が訪れる。


「も、も、も、もう、我慢、でぎないぃぃいいい!」


蛇がくいっと頭を回転し、声の主の方へ振り向いた。そして、視線の方向へ一直線に進み、なんとエリュトーンの弛んだ腹に噛みついた。


強靭な顎で肉を食い破り、グチャグチャと不快な音を立てて食らう。幾分腹が満たされたのか、エリュトーンの口元から僅かに歪みが消えた。


抉り取られた箇所はすぐさま再生を始める。


すると、エリュトーンの体がほんの少し小さくなったように見えた。


「ハ、ハルさん! 今、小さくなりませんでした!?」

「ミオにも見えたか? ……つまり、奴に奴自身の体を食わせればいいんだな?」

「きっとそうです! あの人のお腹がペコペコになるまで私たちが食べられなければ、きっと自滅するはずです!」

「ああ。だがそれを待つのも億劫だ。奴は今も腹が減ってはいるんだろう? いい方法を考えたぞ」

「いい方法、ですか?」


ハルはミオに頷くと、杖を持ち上げて魔法を唱えた。


「ダイヤモンド・クラッシュ」


ハルとミオの周囲を白い冷気が覆う。


「ハルさん、これは?」

「蛇はピット器官で熱を探知して、獲物の位置を把握しているらしい。だから、こうすれば俺たちを認識しにくくなるはずだ。それに、あの蛇はそれぞれ自分の意志を持っている。空腹の蛇は、目の前にいた獲物が急に消えたらどうするだろうな」


蛇はピタッと動きを止めた。センサーから獲物の姿が消え、困惑しているらしい。ゆっくりとハルに近づいてくるが、存在を捉えることはできないようだった。


「なぁにじでるぅ! ぞごにいるだろぉ!」


エリュトーンの声に反応し、二匹の蛇は後ろを振り向いた。


そして、新たに検知した熱反応を獲物とみなしたらしい。ゆっくりとそちらに動き始めた。


「お、おいぃ! なぁ、何をしているぅ!?」


そこから一気に加速すると、二匹はエリュトーンの顔と腹に噛みついた。


「ぎゃあああぁぁあああ!?」


蛇は暴れる獲物を気にも留めずに、満足そうな表情で目の前の肉を喰らい散らかす。


するとエリュトーンの体がどんどん小さくなっていく。


しばらくして、もう喰える肉がなくなると、本体を失った蛇もまた息絶えた。


「ふっ。不老不死も行き過ぎた自食作用オートファジーには勝てないらしいな」

「……今、格好良いこと言おうとしました?」

「……格好良くないか?」

「意味が分かりませんでしたし、ちょっとダサいですかね……」


ハルは頭を抱えて悶絶する。ソロのときは、たびたびこんなことを言って、一人気持ち良くなっていたのだ。


どうやらパーティーではあまり受けが良くないらしい。これだからパーティーを組むのは難しいのだ。


「そ、そんなことより、何かドロップ品がありますよ!?」


ミオが話を変えようとしたのだろう。指をさして声を張り上げる。


確かに、ミオの白く細い指の先に、何やら小さな像がある。


拾って確認してみると、名前は炎馬の小像というアイテムで、アーティファクトNFTだった。なんとランクはミシック級で、最大製作数が5とある。


回数制限のない特殊アイテムなので、ハルはおいおいどんなものか使用してみようと考える。


「やりましたね、ハルさん!」

「ああ、なんとかな」


すると、二人の元に駆け寄ってきたのは執事とメイドのNPCたちだった。


「ハル様! ミオ様! 命を救っていただき、ありがとうございました!」

『ありがとうございました!』


まるで人間のような動きと話しぶりのNPCに、ハルは衝撃を受けた。普通の人間が心から感謝の言葉を述べているように感じるのだ。


そもそもこの大迷宮の凝った作りにも感動を覚えていたが、それ以外の細部へのこだわりも凄まじいものがある。


このNPCの顔や髪型などはコスメNFTを利用していると思われ、来ている執事服やメイド服はアーマーNFTなのだろう。それぞれがクリエイターであるノロッパ氏の手によるものだとすれば、その才能と努力は驚くべきものだ。


また、NPCの会話を司るAIもかなりレベルの高いものだ。この部分は運営以外に手を加えられないはずだが、彼らのようなキャラクターのAIはどこから見つけてきたのだろうか。


ミオはメイド達に取り囲まれて、次々にお礼を言われている。終始照れくさそうな笑顔でそれに応えていた。


ザクッ!


「ぐっ!?」

「ハ、ハルさん!?」


ハルは突然、脇腹に感じた強烈な痛みに身をよじる。刃物が服を切り裂く感覚があり、反射的に体を横へずらした結果、直撃は避けられたらしい。しかし、脇腹から血が滲んでいる。


そして、地面には血のついたクナイが突き刺さっていた。


「おっと、今のを避けたのですか? つくづく運のいい男ですねぇ、クククッ!」


妙に耳つく高い声。


ハルが脇腹を押さえながら、声の主に視線を向ける。


すると、そこにいたのは顔全面に嘲笑を貼り付けたフェリクスだった。

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