第二十話 中層の町 オリンポス②
山の頂上には白亜の世界が広がっていた。
町を構成するあらゆる建造物が石灰岩で作られており、扉や看板といった付属物を除けば真っ白なのだ。
町に入ると、NPCと思われる町民に加えて、ハンターギルドジャパンの紋章が入ったマントを羽織る、ギルドメンバーらしき冒険者が道を歩いている。
ふと前方を歩く集団に、見覚えのある顔の男がいた。よく見ると、上層の町ステュクスを案内してくれたケントだった。
彼の顔はひどく痩せこけ、目から生気が消えていた。そして、重い体を引きずるように歩く様はまるで老人のようだった。
あまりの変わりように驚いたハルが声をかけようと近づくと、突然耳をつんざくような怒鳴り声が響いた。
「遅いぞ貴様らぁ! とっとと歩けぇ!」
その声の主は、集団の先頭を我が物で歩く、まるで軍人のような出で立ちの男だった。頭にハンターギルドジャパンの紋章が刺繍されたベレー帽を被り、軍服を思わせる上下服を身につけ、手には金属製のステッキを持っている。
「役立たずのクズどもめ! こんな仕事も満足にできんのかぁ!」
男は再び大声で怒鳴りつけると、手にしたステッキで地面を殴りつけた。するとケントを含むギルドメンバーの集団は小さく悲鳴を上げ身を縮める。
……一体、何だこれは? 冒険者が冒険者を脅している?
ハルは目の前で起きている現実が理解できず、言葉を失っていた。そして、それは昔ギルドメンバーの一員だったミオでさえも同じらしかった。
「なんなのよあいつ、偉そうに!」
沈黙を破ったのは、怒気を多分に含むアイの言葉だった。
「あの人が着ている服は、ハンターギルドジャパンの幹部に配られるものなの。だから、偉いといえば偉いのだけど……」
「何を言っているんだミオ。冒険者は対等な関係のはずだろう? あんな行為、許されるものか」
ハルは幹部らしき男を睨みつけながら吐き捨てるように言うと、男に向かって駆け出した。
「ハ、ハルさん!?」
一拍置いて、ミオが早足にその後を追う。
「お前! この人たちに何をしている!」
ハルは胸の中に充満した不快な何かを吐き出すように叫んだ。
「はぁ? 何だ貴様?」
「いいから質問に答えろ!」
「ギルドの人間じゃないな。ということは……ああ、お前がハルか」
男はハルを無遠慮に上から下までまじまじと眺め、ニヤリと笑った。
「こいつはいい。俺が何をしていたかって? 見て分かるだろ? 仲間の応援だよ」
「あれが応援なわけないだろう! ふざけるな!」
「ククッ、正義の味方気取りか、貴様? なら本人たちに聞いてみることだな。俺の言葉が正しいと分かるぞ」
男は顔に嘲りの色を浮かべ、集団に向けて顎をくいっと上げた。
「俺はお前が来たことを上司へ伝えねばならん。おいゴミども! さっさと仕事を済ませておけよ?」
侮蔑を含んだ目で集団に睨みをきかすと、踵を返し、男は立ち去ろうとする。
「待て! 話は終わって──」
「き、君は……ハルなのか?」
男を呼び止めようとしたハルの耳に、後方から聞き覚えのある人の良さそうな声が届いた。
「ケント! 無事か?」
駆け寄るハルの顔を、彼は目を丸くして見る。そして、小さく乾いた笑い声を上げた。
「はは……。まさか、本当にハルだとは。もうこんなところまで来ているなんて、驚いたな」
ケントは呆れたように小さく首を振ると苦笑する。
「酷い見た目かも知れないが、僕は平気さ。ダンジョンで夜通しモンスターを狩り続け、重量いっぱいに荷物を運べば誰でもこうなるよ」
そう言って、彼はやつれた頬を両手で撫でた。
アイテムは全てインベントリに収納できるため、彼の手にも背中にも荷物は一切ない。しかし実際には、装備品や消耗品なども含め、アイテムの持てる重さには限界がある。
現実世界と同様に、重量が増えれば増えるほど身体への負担は増加する。最大重量の100%ともなれば、全身が悲鳴を上げ、動くのもままならなくなるのだ。ゆえに、通常であれば20%程度が理想である。
「あの男に無理矢理やらされているんだな?」
ケントの様子を見るにつれ、ハルの怒りはさらに増し、鋭い目つきで男の姿を追っていた。
「おいおい、僕は君を陥れようとしていたんだぞ? そんな相手にどういうつもりだ?」
理解できないと言うように首を傾げ、ケントは怪訝な顔をする。
「そ、そうですよハルさん。さっきから、いきなりどうしたんです……?」
ミオもまた、隣で同じように困惑した顔をしている。
「俺は……ああいう冒険者の風上にも置けない輩が大嫌いなんだ。冒険者っていうのは、もっと誇り高いものだろう?」
ハルには、彼が信じてやまない正しき冒険者像があった。それはファンタジー小説に登場する主人公のように、冒険を通じて富や名声を求める存在だ。ときには勇者のごとく、悪と対峙することだってある。
また、冒険者とは自由でなければならなかった。何者にも縛られず、自由に世界を旅する存在。
そんな冒険者に憧れて、ハルはメタマイスに飛び込んだのである。
なのに、先ほどまで眼前で繰り広げられていた光景は、彼の理想とするものとあまりにもかけ離れていた。当然、受け入れられるわけがない。
「君の言うことはもっともだ。だが誤解しないで欲しい。僕は……いや、僕たちは自分でこの道を選んだんだ。ギルドとは対立せず、協調していく道をね」
「な、なぜだ!?」
「こんな仕事でも一日五千円ぐらいの稼ぎにはなる。日本じゃ冒険者の平均月収が十万円に満たないのだから決して悪くないだろ? それにギルドでは仲間や友人もできるし、努力すれば昇進して給料アップだってある。まあ、仕事に失敗すればこうして降格もあるけどね」
ケントは自嘲気味に笑う。
冒険者の収入はピンキリであり、月収百万円を超える者も少なくないが、ほとんどの者が数万円程度である。それと比較すれば、ケントの言うことも間違いではない。
「ギルドの生活も悪くないんだよ。だから、放っておいてくれないか?」
「……本気か?」
「もちろん本気さ。なぜわざわざ安定した道から外れる必要がある? 僕にはそっちの方が意味不明だ。さあ、そこをどいてくれ。今日はこの後、ギルドメンバーとオフ会なんだ」
「え、ああ……」
ハルは足がもつれそうになりながらも、慌てて後ろに数歩下がった。
彼の前を十名程度の集団が、息を切らしながら苦悶に満ちた表情でゆっくりと歩を進めていく。
ハルにはその集団が、まるで異世界から突如現れた異形の生物に見えた。薄汚れた皮膚が全身を覆い、呻き声を上げながら、もぞもぞと這いつくばって進む一匹の化け物。
胃がギュッと締め付けられるような感覚になり、ハルは左手で口元を抑えた。
「大丈夫ですか、ハルさん!? 顔が真っ青ですよ!?」
そう言って覗き込むミオの顔に、ハルは安堵して息を吐いた。
「……ああ、何でもない」
「良かった……。わ、私も……ああいう人は嫌いですから!」
ミオの頭上に、頬を膨らませた不機嫌そうな顔のキャラクターアイコンが表示される。どうやらハルを励まそうとしているらしい。
「ちょっとお兄ちゃん、勝手に突っ走らないでよね!」
いつの間にか彼の右側に、妹のアイが両手を組んで立っていた。
「殺るときはちゃんと私も呼んで欲しいわ。あんな奴、瞬殺なんだから」
「そうだな。次からそうするよ」
「いやいや、何物騒なこと言ってるんですか!? 二人とも!」
ミオが目を丸くして、焦るようにハルとアイを交互に見る。アイはそんなミオを見てクスクスと笑い出した。
「冗談よ、冗談。ミオって真面目ねー?」
「ア、アイ!?」
そんなやりとりをする二人の姿に、ハルは胸から毒気がスッと抜けていくような気がした。
町中を歩き始めると、ハルたちはギルドメンバーの冷たい視線に晒された。彼らに歓迎されていないのは明らかだった。
そして、試しにいくつか店舗を回ってみたが、どれもギルドメンバーで人だかりができており、物理的に入ることができなかった。
メタマイスでは、アバター同士が重なることはできないし、アバターをすり抜けることもできない。
現実世界で密集した人混みを掻き分けて進むのが困難なように、メタマイスでも密集したアバターの中を前進することはほとんど不可能だ。
これがギルドの妨害工作だった。
組織の人的資源を豊富に使って、店舗内外に物理的な障壁を作ってしまうというやり口。非常に単純だが、最も効果的な方法なのかも知れない。
「……こんなやり方をしてくるなんて、卑劣としか言いようがないな」
「完全にイカれてるわね。こんなどうしようもないギルドを作った奴の、親の顔が見てみたいわ」
妹の口の悪さには辟易するが、そう言いたくなる気持ちもハルには分かった。
ギルドがこのような行為をしていることが運営に伝われば、なんらかの対策が講じられるに違いない。場合によっては、メタマイスの仕様に問題があると指摘されてもおかしくはない。それほど異常な状況だった。
ハルは早速、この件を迷惑行為として運営に通報した。通報自体はメニュー画面から簡単にできる。
しかし、こうした通報の件数は一日に数百万件と言われており、何らかの対応がなされるまでかなりの時間がかかるだろう。
「ククッ、クククククッ、何かお困りですか?」
耳につく高音に嫌味を付け足したような声が前方から聞こえてくる。
「フェリクス、さん……?」
ミオは視認した男が当人なのか自信が持てないらしく眉をひそめている。
ハルもまた声の主に目を向けた。間違いない、フェリクスだ。
先ほど見た男と同様に、フェリクスは幹部に支給されるというベレー帽と軍服を着用していた。また後方には先ほどの男に加え、似たような格好の男たちが一列に並んでいた。
フェリクスの目は異様に血走り、興奮しているのか鼻息が荒い。白いはずの肌も赤く紅潮し、額に青筋を立てている。一瞬、別人かと思うほどの変貌ぶりだった。
「……この妨害はお前の仕業か?」
「さあねぇ、クククッ! そうだとしても、素直に言うと思いますか?」
髪を掻き上げたフェリクスの顔全体に薄ら笑いが貼り付いている。
「みなさん、ターゲットの到着です。すぐに準備を」
『はっ!』
軍服の男たちは一斉に敬礼すると、同じ方角に向かい闊歩していく。
間違いなく妨害の指示だが、はっきりと標的の名前を言わないのは通報対策なのだろう。
「なぜこんなことをする? そもそもギルドは冒険者をサポートする組織のはずだ。俺たちの冒険を妨害するのは筋違いだろう?」
そんなハルの問いかけに、フェリクスの口角はさらに上がり、白い歯を見せて嗤う。
「クハハハハッ! まったく知性が感じられない発言ですねぇ。我がギルドは冒険者をサポートしているじゃないですか? ギルドに協力してくれる冒険者のね」
「なにが協力してくれる、だ。黙って言うことを聞く、の間違いだろう?」
フェリクスの血走った目がハルを睨みつける。
「何を言うのも許しましょう。ただ残念ながら、少なくともあなた達がギルドに協力してくれる冒険者でないことは確か。なら、ステージから退場してもらうだけです。凄惨な苦しみを死ぬまで味わいながらね。ククッ! ただ──」
まるで別の人格でも現れたかのように、先ほどとはうって変わり柔和な笑みを浮かべると、フェリクスはミオに目を向ける。
「あなただけは、先日の自分勝手な行動を謝罪するのであれば、この私が再びギルドに入ることを許可しましょう。当然、今のどうしようもないパーティーは抜けて、また私のパーティーに入ってもらいます。ミオ、賢いあなたなら、どうすべきか分かりますよねぇ?」
少し青ざめた表情のミオだったが、左手でハルのローブの袖をぎゅっと掴むと、はっきりとした声で話し始めた。
「わ、私は、ハルさんとパーティーを組めて楽しいです。これからも冒険を続けたいんです。だから、絶対にギルドには戻りません!」
「はぁ。まったく、あなたはこれから味わう苦痛について、何も分かっていないようです。いいですか? 次の階層は──」
「はいはい、もういいかしら? ぐだぐだとしつこい男ね」
いきなり話に割り込んできたのはアイだった。
「いい加減、ミオに嫌われてるって気づきなさいよ。その趣味の悪い眼鏡は飾りなのかしら?」
「は、はぁ!? 突然なんですか、あなた!? ……む? どこかで見た顔ですね。……ま、まさか?」
「ふふっ、気づいたかしら」
ハルとミオの前に立ち、両手を腰に当ててふんぞり返るアイ。それに対して、フェリクスは瞠目して立ち尽くしている。
「あ、あなたは、アイ、ですか? 一体なぜここに……?」
「さぁて、なぜかしら。当ててみなさい」
「は? ……そういえば以前、あなたがどうしても見てみたいというので、大事なアイテムであるアンブロシアを差し上げました。もしやそれは、この二人に渡すため……?」
「差し上げられてないわよ。勝手に記憶を改竄しないでくれる? その件はまだ頭に来ているわ。この私に高く売りつけた代償、たっぷりと支払ってもらうから覚悟しなさい!」
「だ、黙れぇ! ……貴様、よくも俺を騙したなぁ!」
フェリクスの顔色は赤黒く変色し、表情がひどく歪んでいる。憤怒の形相とはまさにこのことだと思えた。
「あら、ずいぶん素敵な話し方に変わったわね? それ以上喋ると、さらにボロが出ちゃうんじゃないかしら?」
「ううう、うるさぁい! 殺す、殺してやるっ!」
「へえ、やってみなさいよ」
「……クク、ククククッ! まだだ! 貴様らはダンジョンでじっくり苦しめてから殺してやる。もう二度とメタマイスをやろうという気がなくなるようにな! ギャハハハァ!」
狂気じみた笑い声を放ちながら、じっくりとハルたちを見回すと、フェリクスは回れ右して去って行った。
「あんなに興奮しちゃって、みっともない男」
「アイのせいもあると思うぞ」
ため息混じりに悪態を吐く妹に、ハルがツッコミを入れる。
「フェリクスはさかんに苦しませると言っていたが、どういう意味だろうな」
「なにか嫌な予感がしますね」
ハルだけでなく、ミオもまた不穏な気配を感じ取っているらしい。
「あんな奴の言葉なんて気にしない方が良いわ。それよりも、消耗品を渡しておくわね」
アイはインベントリを操作すると、ハルにポーションをはじめとするアイテム類を送った。
「とても助かるが、いいのか?」
「もちろんよ。この町では何も買えないと思って、お兄ちゃんに渡すために準備してたの」
「アイは次のダンジョンでどうするんだ?」
「心配しないで。私たちはまだ行かないから。お兄ちゃん達が攻略して、攻略法を聞いた後にゆっくり行くわ」
「あれだけフェリクスを煽っておいて、まさか行かないとはな……。我が妹ながら、呆れを通り越して尊敬するぞ」
「ふふん!」
褒めていないんだが。
そんな言葉がすぐ頭に浮かんだが、ハルは口にするのをやめた。
「アイ、すごい……」
『さすがアイ様!』
ミオはなにやら訳の分からない感想を呟き、アイの仲間たちは感動で目を潤ませている。
「ともかく、助かったよアイ。じゃあミオ、このまま次のダンジョンに向かうとするか」
「はい、行きましょう」
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