第十九話 中層の町 オリンポス①
ハルとミオが移動した先は、周囲が木々に囲まれた山道の途中だった。
前方にはそれほど遠くない距離に山の頂上が見え、後方は下り坂が数メートルほど続き、その先には森が広がっている。
「ここもダンジョンなのだろうか?」
周囲からは
「……あ、多分ここ、町があるフロアだと思います。ギルドで第三階層と第四階層の間には町があるって聞いたことがあります」
視線を上に向けて何か思い出す仕草を見せた後、横に尖った耳を小さく上下に動かしながらミオが答えた。
「へえ、随分親切な迷宮だな。ちなみにこの迷宮が全部で何階層あるか知っているか?」
「どうやら六階層みたいですよ。どうやって調べたのかまでは分かりませんけど……」
「いや、それで十分だ。助かるよ」
第三階層までの攻略を完了し、残り三階層。ついに折り返し地点まで来た。もう少しで母の不安を取り除けると思うと、ハルはこれまで以上に気力が溢れてくるようだった。
「ハ、ハルさん。私、ちょっとログアウトしても良いでしょうか? すぐ戻ってきますので!」
ハルが慌ててスマートフォンを取り出し時刻を確認すると、すでにプレイ時間は12時間を過ぎていた。その間、少しの休憩も挟んでいない。
彼自身はまだまだ動けるからこそ、自分が仲間のことを考えていないことに気づいた。
「す、すまない、もうこんな時間だったのか……。今日は一旦終了にして、また明日再開しないか? ミオが大丈夫ならだが……」
「わ……私は……もっとやれますが……」
ミオは小さく何かつぶやいた後、俯いて少し頬を膨らませる。だがそれも一瞬で、いつもの優しげな笑顔を浮かべると、ハルに視線を戻す。
「あ、いえ、はい! 明日にしましょう!」
「ああ、助かるよ!」
ハルの言葉にミオの眉がぴくりと動く。するとおもむろに腕を組み、しかめっ面になった。
「助かるって、なんか変じゃないですか?」
「……え?」
「私だって冒険したくてメタマイスをプレイしているわけで、ハルさんのためにやっているわけじゃないんですよ?」
今度こそ本当に頬を膨らませてミオが怒っている。いつもは横に伸びている耳が、今は少し上に釣り上がっている。
「す、すまない」
「『お疲れ様。また明日』ぐらいで良いと思いますが?」
「た、確かに。お疲れ様。また明日」
「……はい! お疲れ様です! また明日!」
ミオはいつも以上に明るい笑顔になり、弾むような声でそう言うと、ゲームからログアウトした。
これまでハルは誰ともパーティーを組んだことがなく、仲間とのコミュニケーションがどうあるべきかなど考えたこともなかった。
それに、自分からパーティーに誘った手前、ミオには手伝ってもらっているような気持ちになっていたのだ。
だがそうではなかった。ミオもまた楽しんでいたのだ。
ハルが現実世界に戻ると、妹の蒼から連絡が来ていた。
第二階層は攻略したから、第三階層の攻略方法を教えろという旨のメッセージだった。
一日で第一階層と第二階層を攻略し終えるとは驚くべき速さだ。
蒼に第三階層の攻略方法を返信すると、すぐにそれに対する返信が来た。
「ソッコーでクリアするから、明日の朝山道であおー! 渡したいものがあるから。じゃねー!」
とのこと。どうやら夜通しプレイするつもりらしい。
蒼は流石にソロではないはずだが、仲間に迷惑をかけていないだろうか。もし妹の仲間に会う機会があれば、世話になっているとお礼を言わなくてはならない。
ハルは保護者のような目線でそんなことを考えていた。
翌日、ハルがミオとの待ち合わせ時間の少し前にログインすると、山道に蒼が立っていた。その後ろには精悍な顔つきの男が三名おり、鋭い視線をハルに送っている。
蒼のアバターは現実世界の蒼とそれほど大きく変わらない。人種が猫のセリアンスロープのため、猫耳と尻尾が生えていて可愛らしい。
「あ、お兄ちゃん!」
「おはよう。あお──」
「ストーーーーーップ!」
蒼が目を三角にして叫ぶと、ずかずかとこちらに近づいてくる。
「ちょっとお兄ちゃん!? ゲームの中で私の本名を呼ばないでよね! 身バレしちゃうじゃない!」
「す、すまん」
「まったく。いまどきの小学生よりもはるかに常識がないわね。私のことはアイって呼んでよね!」
相変わらずひどい物言いだが、自分が間違っていたとハルは反省する。ただ、アオイとアイでは大して変わらないじゃないかという疑問もなくはない。
「で、でたぞ! アイ様のドS発言!」
「まさか、リアルのお兄様にまで!?」
「感動した。俺もいつか言ってもらうんだ」
アイの後方にいた男達の視線が、鋭いものから何か熱量を感じさせるものに変わっている。一人は少し涙を浮かべているようにも見える。
「な、なあアイ。彼らは一体?」
「私の仲間よ。みんな、お兄ちゃんに挨拶なさい!」
「へ?」
アイが仲間に命令するのを聞いて、ハルは自分の聴覚を疑い、思わずおかしな声を出してしまった。しかし、残念ながら聞き間違いなどではなかったらしい。
『はひぃー!』
男達は歓喜の表情を浮かべてハルに近寄ると、それぞれが挨拶を始める。
「お、お兄様、こんにちは!」
「お会いできて光栄ですっ!」
「ア、アイ様と似ていらっしゃいますね!?」
近くで見ると、全員がどう考えてもハルより年上だった。おそらく三十歳前後ではないだろうか。
メタマイスのアバターは、自撮り写真をインプットのデータとして、生成AIによって自動的に作成される。ゆえに、ある程度現実世界の容姿が反映される。
もちろんその後に変更を加えられるのだが、多くの冒険者はそのままにしている。冒険者としての顔と現実世界での顔が、ある程度一致するのは意外に都合が良かった。
例えば、現実世界での確定申告や銀行から融資を受ける際に、自身の職業やそれに関する収入と支出の根拠を示すのに、顔の一致が役立つのだ。
彼らがアバターを修正していないとは言いきれないが、若者が見た目を中年にするようなことは殆どないので、若くとも実年齢が三十歳前後なのは間違いないだろう。
「こ、こんにちは。いつも妹がお世話になっています」
ハルが頭を下げると、男たちは口をあんぐり開き、愕然とした表情をする。
「まさか、お兄様は常識人なのか……?」
「おそらく、な」
「それはそれで推せる……」
「もういいわ。下がってちょうだい」
『喜んで!』
男達は素早くアイの言葉に反応し、彼女の背後に戻った。
「彼らは本当に仲間なのか? どう見ても下僕のそれだが……」
「仲間には色々な形があるのよ。もし嫌だったらパーティーを抜ければ良いんだから、気にする必要ないわ」
さすがにそれは暴論というものだが、彼らの表情はどう見ても嫌そうではない。ならばこれ以上言うことはないと、ハルは口を噤むことにした。
「お兄ちゃんに渡そうと思っていたものはこれ」
アイがそういって取り出したのは、1キロ以上はありそうな金色に輝く肉の塊だった。見た目は牛肉のようで、バランスよくサシが入った高級そうな霜降りのブロック肉だ。名前を確認すると、アンブロシアというらしい。
「これがどうしたんだ?」
「次の第四階層で必要になるアイテムらしいわ。山の上にあるオリンポスって町で売ってるんだけど、ギルドが妨害するから買えないはずよ」
「アイテムを買えない? そんなことがあるのか?」
「さあね。ただギルドの人間から聞いた情報だから確かだと思うけど」
NPCが経営する店の商品を買うことができないなど初めて聞く話だ。もしそれが可能だとしたら、冒険者はまともに冒険なんてできっこない。
「でも、よく手に入れたな」
「でしょ!? すっごく大変だったんだから!」
アイは腰に手を当てて、新品のスモールシールドのように凹凸のない胸を反らす。
「女と金が大好きな欲望の化身みたいな奴がいてね。副ギルド長らしいんだけど、そいつに取り入ってゲットしたってわけ。『アンブロシアを見てみたい』って言ったら『特別に売ってやる』だって。普通可愛い子には売るんじゃなくて、プレゼントするわよね?」
今度は不機嫌そうに、ムスッとした表情で腕を組む。
副ギルド長という言葉を聞いたことがある気がするが、ハルにはそれが誰か思い出せなかった。大したことではないから思い出せないのだろうと納得する。
「仕方なく買ったけど、どうも相場の二倍だったらしいわ。そんな転売ヤーよりがめつい男、いるかしら」
兄として妹のやっていることに色々と注意しておきたいこともあるが、今はアイの仲間もいるため、ハルは一旦置いておくことにした。それよりも、キーアイテムを手に入れたこと自体は素晴らしい。
「そうか。偉いぞ、アイ」
そう言ってハルは妹の頭を撫でる。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん! 止めてよね! 私はもう高校生なんだから!」
赤面しながら猫耳をぱたぱたと動かし、不服そうな表情でハルを睨むアイ。
「あ、あのアイ様を!?」
そんな言葉がアイの後方から聞こえてくる。
すると今度はハルの背後から聞き慣れた透き通るような声が耳に入る。
「ハルさん、その人は誰です……?」
振り向くと、いつの間にログインしていたのか、ミオがいつもと違う強張った表情でこちらを見ていた。
違うといえば、服装もいつもと異なっていた。プリーストの装備である神官服から、まるで普段着のような衣服に変わっていたのだ。
純白のブラウスと襟元には薄ピンク色のリボン、丈の短いスカートに腿が隠れるほど長いハイソックスを履いている。靴は赤くツヤのあるパンプスだ。
「この子は現実世界での俺の妹なんだ。名前はアイ。仲良くしてやってくれ」
「い、妹さん……? そうですか! よろしくお願いします、アイさん!」
先程とは打って変わって、ミオは横に伸びた長い耳を上下に動かし、笑顔で挨拶する。
「へぇ、あなたがミオ。今いくつかしら?」
「え? じゅ、17才ですが」
「まぁ、同い年じゃない! なら敬語は止めて貰うわ。あと、私のことはアイって呼んでよね!」
「は、はぁ……」
アイの勢いに圧倒されたらしく、ミオは唖然としている。
「それはそうと、その服素敵ね。とっても可愛いわ」
「ほ、本当!? ありがとう!」
ミオの弾けるような笑顔は、周囲を数ルクス明るくしたのではないかというほど眩しい。
「よく似合っているぞ、ミオ」
しかし、そんなハルの言葉にミオの動きは固まり、真っ赤になった顔からは表情が一切消えていた。
「ど、どうしたの、ミオ?」
「なんでもありません。さあ、もう行きましょう」
こうなってはもうミオに従うしかない。ハルはアイに「行くぞ」と声をかけると、ミオの後を追った。
「ミオって変わってるのね。似たもの同士のパーティーってことかしら……」
後方からそんなアイのつぶやきが聞こえてくるが、ハルは胸の中で「お前が言うな」と言いたくなる気持ちを抑えるのに精一杯だった。
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