第十八話 フェリクスの怒り
ハンターギルドジャパンの副ギルド長フェリクスは、大迷宮イリスにある町の一つ、デロスを訪れていた。デロスはこじんまりとした浮遊島の上に建造されており、迷宮に存在する町の中で最も下層に位置する。
その町に一店舗だけ存在する喫茶店に入ると、フェリクスはソファに座り、取り調べを待つ容疑者のごとき心境で、ある人物が到着するのを待っていた。
店内のソファやテーブルはアンティークのような重厚感がある代物で、天井からぶら下がる豪華なシャンデリアが暖色の光を放っている。全体的に高級感がありながら、どこかレトロな雰囲気もあり、この喫茶店のファンを公言するギルドメンバーも多い。
だが、フェリクスにはその雰囲気を楽しむ余裕がなかった。
ミオが彼に何の相談もせず、勝手にギルドを抜けていったことへの苛立ちもその理由の一つだ。
だがそれ以上に、彼自身がこの場にいることへの緊張と困惑が彼の感情の大半を占めていた。
今しがたコーヒーを運んできたNPC以外、店内には誰の姿もない。彼と、これから来るであろう人物のために貸切となっている。
──なぜこの私がギルド長に呼び出されなければならないんだ。
そんな感情に支配され、ソファに座ってからずっとフェリクスは足を上下に揺らしている。
ギルド長からの呼び出しは、なんらかの責を問う場合に限られる。
だが、これまで組織に貢献してきたという自負のあるフェリクスには、その理由が分からなかった。
副ギルド長としての彼に課せられた使命は大きく三つ。ギルド拡大のためにメンバーを増やすこと、ギルドの利益を増やすこと、最下層攻略の手がかりを探すことだった。
一つ目はフェリクスにとってそれほど困難ではなかった。無知な冒険者を狙い、組織の大きさや一定の賃金、その冒険者に対する期待感を伝えて勧誘すれば、大体は喜んでギルドに加入させることができた。
だがメンバーが加入しても辞められては意味がない。そこでギルドを抜けた場合、今後ギルドからの仕事はさせないし、あらゆる面で妨害すると脅すことで、辞めるメンバーを減らすことにも成功した。
脅しが本気であることを示すため、脱退したメンバーの冒険を徹底的に妨害し、メタマイスに来れなくなるほど追い込んだこともある。
二つ目のギルドの利益増加については、増やしたメンバーを安い賃金でこき使うことで実現できた。大迷宮の効率の良い狩場で、朝から晩まで働かせてドロップ品を納めさせればいいだけだった。
また、利益を増やすためには迷宮を独占しなければならない。ギルドに入らず勝手に迷宮を攻略しようとする冒険者もまた脅し、妨害し、排除してきた。
最後の使命である、最下層攻略の手がかりを探すことだけは恐ろしく困難だったが、つい昨日のキマイラ討伐で発見することができた。これをギルド長に報告し、絶大な評価がされると思った矢先の緊急呼び出しだった。
カラン。
喫茶店の入り口から来客を告げる鈴が店内に鳴り響く。
金属が大理石の床をごつごつと叩く、粗野だが力強い足音がフェリクスに近づいてくる。
「お疲れ様です、ブライさん」
フェリクスはその場で立ち上がり、深々と頭を下げた。自分は何のために呼ばれたのか。そんな疑問や不満は一切表に出さない。
その足音が止まると、分厚い鉄製の甲冑が目の前のソファに腰をおろした。
「わざわざご苦労。お前も座れ」
その男、ギルド長ブライは無愛想に言い放った。
年齢は三十を超えるぐらいだろうか。種族は獅子のセリアンスロープで、職はウォーリアだ。セリアンスロープの特徴は多様であり、選択する動物によってボーナスが異なる。獅子を選択した場合、筋力と敏捷のステータスに大幅なボーナスがつく。
赤茶色に逆立った髪と顎にたくわえた逞しい髭は猛獣のたてがみを思わせた。また太い眉に鋭い眼光、固くしまった口元には歴戦の強者の風格が漂っていた。
フェリクスはブライに恭しく頭を下げた後、再びソファに腰かけた。
「俺はもったいぶるのが嫌いだ。本題から話そう」
ブライとフェリクスの視線はほぼ同じ高さのはずだが、まるで上から見下ろされているような重圧を感じ、フェリクスは息苦しさを覚える。
「ここ最近、野良の冒険者に上層を次々と攻略されているな?」
「…………た、確かに。ですが、まだ第二階層までで──」
「すでに第三階層も攻略されている」
「な、なんですって!?」
不可能だ。そんな悲鳴が飛び出すように、フェリクスは体を前のめりにして目を見開いた。
しかし、ブライの冷たい眼光に変化はない。
「お前がこれまでギルドにしてきた貢献を、俺は知っている。昨日連絡があった手がかりもその一つに数えられるだろう。だが、今回の失態はそれを無にするものだ」
ブライは懐からパッケージに〈War〉とプリントされた小箱を取り出すと、中から紙巻きタバコを一本取り出して口に加え、火をつけた。
大きく息を吸って肺を煙で満たし、一気に吐き出す。ブライの鼻から強いニコチンの臭気を含む煙が周囲に充満した。
「何度も話してきたことだが、もう一度言うぞ。ギルドはこの世界で力を示し続けねばならない。そうしてこそ、混沌が秩序へと生まれ変わるのだ」
ブライの瞳がさらに冷たくなる。
「そのためには、ギルドが必ず大迷宮を攻略する必要がある。ゆえに、当然他の冒険者の侵入を許してはならない。お前はそんなことも分からないのか?」
「わ、分かります! 分かりますとも! 私は、そのために一生懸命手を尽くしてきたんですからっ!」
フェリクスは、今度こそ本当に叫んでいた。もしかすると怒鳴り声に近かったかも知れない。
これまでの貢献が無になるなどあり得ない。あってはならないはずだ。
もし自分が責任を問われ、副ギルド長の任を解かれたら一体どうなるのだろうか。
副ギルド長の人事権を利用し、自分よりも冒険者として能力は低いが、容姿が好みの女をパーティーに入れた。
そんな女が苦労して戦うのを後方で見るのが好きだった。そして命の危機に縋り付くような目で助けを求めてくる女の顔を見るのが快感だった。
金だって、今の立場ならば黙っていても増えた。ギルドからの報酬以外にもいくつか収入源はあり、懐は潤っていた。
最近ではアイという名の女が、直接自分に連絡を取ってきた。すでに何度かやりとりをし、どうやら自分に心酔しているようだった。容姿もミオに匹敵する美しさだし、そのうちパーティーに入れてやってもいいだろう。
しかし、自分が副ギルド長でなくなれば、こうして積み上げてきた関係性が崩れる可能性があった。もちろん自分の才覚に疑いはない。だが、明確な地位があってこそ人は輝ける。それが分からないほど馬鹿ではない。
だからこそ、副ギルド長の解任はフェリクスにとって耐え難い苦痛だった。
「も、もう一度だけチャンスを! 絶対に! 絶対にその冒険者を排除して見せます!」
「……ふむ。これまでのお前の貢献に免じて、今回の失態は許そう。だが次はないぞ。行け」
表情を変えず、ブライは口にタバコを咥えたまま顎をしゃくる。
「あ、ありがとうございます!」
声を張り上げてフェリクスは頭を下げると、その場から逃げるように店を出た。
──全部あいつのせいだ。
何の前触れもなく現れたハルと名乗る冒険者。
優秀な人間であればギルドのホワイトリストに載っているはずだった。しかし、ハルという名はいくつか見つかったものの、その特徴に一致する人物は存在しなかった。
それに、危険人物が記載されたブラックリストにもそんな人物はいない。
つまり、無名の胡散臭い男が、実力ではなく運だけでたまたま攻略してきたというわけだ。
そんな底辺中の底辺冒険者に自分の地位が脅かされるなんて、はらわたが煮えくり返るようだ。
──許さんぞ! 迷宮から排除するだけじゃ飽き足らない。二度とメタマイスをやれなくなるほど追い込んでやる!
フェリクスは怒りと興奮のあまり震える体で、先ほど利用したポータルに入ると中層の町オリンポスへと向かった。
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