第十六話 第三階層 キートゥリノス②
「ミオ?」
「……え? あ、ハルさん?」
ハルの存在に気づいたミオの声が弾む。いつもの優しげな笑顔に喜びの色も加えた表情で、小走りに近づいてくる。
「ミ、ミオ! そこは──」
ハルが全てを言い終わる前に、ミオがあからさまなほどに盛り上がった、もはやスイッチにしか見えない床面を踏み抜いた。
ヒュン! ヒュン!
左右の壁から、鏃に緑の液体が塗られた矢が打ち出された。
「危ない!」
「え?」
ハルは全速力で駆け出す。驚いた様子でハルを凝視するミオをその場から突き飛ばした。
「きゃ!?」
ハルの両肩に矢が深々と突き刺さる。その痛みの後に、毒による激痛が血流に乗って全身を駆け巡る。
「ぐっ!」
「ハ、ハルさん!?」
ミオは顔を青くしてハルに近づく。「すぐに治します!」と叫ぶと、聖書を開いて魔法を唱えた。
「アンチ・ポイズン! ミディアム・キュアリング!」
ハルの体から急速に痛みが引いていく。毒が消え、体力ゲージも完全に回復している。
「ハルさん、どうしてあんなことを?」
「ミオが危険だったからだが……」
「危険? 罠はブレスト・バリアで防げますよ?」
ミオの頭上にクエスチョンマークでも浮かんでいるのではというほど、困惑した様子で首を傾げる。
そんな反応のミオに、ハルもまた面食らう。
「まさか、ミオは罠を回避せずに、全て魔法で防いできたのか?」
「……あ。そ、そうなんです。私ってドジなので、罠を避けられないんですよね。あはは……」
「そ、そうだったのか……」
確かに聖魔法のブレスト・バリアなら、物理攻撃も魔法攻撃もある程度の防御が可能だ。
迷宮の探索の仕方など人それぞれであり、罠の対処法も言わずもがなだ。ハルが口出しするようなことではない。
「勝手なことをしてすまない」
「い、いえいえ! 実は罠が落とし穴だったら防御結界でも防げないので、本当は回避できるなら回避したいんですよね……」
そういえば、第二階層ではミオだけが地下に落下したと聞いた。確かにこのスタイルならばありうる話だ。
ハルは納得して小さく頷く。
一旦それは横に置き、なぜミオがソロでここにいるのか尋ねた。
ミオはフェリクスがリーダーを務めるパーティーを抜けて、ハンターギルドジャパンも脱退してきたのだという。
やりたいことがあるが、パーティーではそれが難しいかららしい。
ミオのやりたいこととは、大迷宮イリスで彼女が好きな製法書を収集することだった。
それを聞いたハルは、自分が預かっていたキマイラのドロップ品を思い出した。その中に製法書が含まれていたのだ。
それは是非ともミオに使って欲しい。だがその製法書は
そこで、ハルはキマイラのドロップ品を全てミオに渡すことに決めた。どちらかだけを持っていても意味がないし、ハルは弓を装備できない。ならミオに有効活用してもらったほうが良い。
それを伝えたとき、ミオは目を白黒させて断った。しかし、ハルにはどちらも使用できないし、これから別の財宝を見つけるから問題ないと伝えると、渋々納得した。とはいえ、ミオが何か財宝を見つけたら必ずハルに渡すという約束が前提だったが。
それからハルとミオは、迷宮で出会った冒険者らしく、お互いが調べた情報を交換し合った後に別れた。ミオの方は、先ほどハルがいた場所を探索するらしい。
ミオから聞いた情報の中でハルが一番驚いたのは、オアシスの泉に毒を入れたのはフェリクスの仕業ではないかという話だった。パーティーのアサシンがよく使用していたタイプの毒らしい。
ハルは少し背筋が寒くなる。誰もが使用する公共の空間を、まさかハルやミオを妨害するためだけに汚染するとは、明らかに常軌を逸している。
ハルが探索を再開してしばらくすると、後方から無数の乱れた足音が聞こえてきた。
何事かと振り返ると、なんと集団の先頭を走っているのはミオだった。それをスケルトンとゾンビが憤怒の形相で追いかけている。
ミオが息を切らしながら、青い顔をしてハルに叫ぶ。
「ハ、ハルさーん! ちょっと、手伝ってもらえませんか!? モンスターが、多すぎて……!」
「分かった! この部屋に入ろう!」
ミオが首を縦に振る。
ハルがあえて部屋での戦いを選んだのは、壁を背にすることで背後からの攻撃の憂いを断つためだ。
二人は部屋の中で、侵入者が現れるたび交互に水魔法で迎撃する。
魔法は一度に複数のモンスターへ攻撃を仕掛けられるため、二人もいるとかなり楽に戦いを進めることができた。
相手を全滅させると、二人は大きく息を吐いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……! ハルさん、ご迷惑をおかけしました……」
「いや、迷惑だなんて全く思っていない。それよりも、これだけのモンスターに追われるなんて、一体何があったんだ?」
先ほどハルが探索した際には、今の十分の一程度しかモンスターは出現しなかった。
「あ、あの、それが、部屋にあった石像を調べていたら、つい壊してしまって」
「……え?」
「ちょっとフレイルを当てただけですよ? コツンって」
「そ、それで?」
「もしかしてあの石像、素敵な冠を被っていたので王様の像だったんですかね。さっきのモンスターが次から次へとスポーンしてきて、すごく怒って襲いかかってきたんですよ」
まさかあの石像を壊すとは……。どんな調査の仕方をしたのだろう。
とはいえ、像の破壊がきっかけでモンスターが出現したということは、モンスターハウスの罠が仕掛けられていたということだ。破壊行為がトリガーになるというのは、比較的珍しいタイプである。
ハルはそこまで考察を終えると、お互いの疲労度合いを鑑みて、休息を提案した。ミオは喜んで賛成し、二人は軽食と水分を補給した。
「もう水がほとんどないな……」
「私もです……」
「残りの分は、いざという時のために耐えられる限界までとっておかないとな」
喉の渇きが酷く、ハルとミオの声は掠れていた。
人間は体内の水分を20%失うと死ぬとされる。現状どの程度の減少率なのか不明だが、ハルの潤喉度のゲージはすでに5%を切った。脱水が原因なのか、すでに全身から力が抜けるような感覚や、手足の痙攣といった症状が出ている。
これが0%になると継続ダメージが発生するらしい。現在の症状もさらに進行すると考えると、もしボスにでも遭遇したら戦いにならない。そのために、ほんの少しだけ水を残している。
もはや取れる道は探索を急ぐか撤退するかしかないが、後者は迷宮から脱出することを意味し、再び迷宮に入る際に入宮料が発生するので避けるべきだった。
探索の速度を早めるには、仲間を増やすのも必要条件の一つだ。もしうまくいけば今後の迷宮攻略も楽になる。
そう考え、ハルはミオを仲間に誘うことに決めた。
「ミミミミミ、ミオ!」
「ハルさん!」
ハルとミオの二人が、偶然にも同じタイミングで互いの名前を呼び合う。二人はキョトンとした表情で目を合わせる。
「す、すまん。ミオから先にいいぞ?」
「いえ、ハ、ハルさんからどうぞ」
ミオの用件が別れを告げる挨拶だったらどうしようとやや弱気になるが、ハルはそれでもミオの勧誘を試みる。
「ミミミミミ、ミオ。おおお、俺、達がきょきょきょ、協力、すれば、だい、だいだい、大迷宮、だってく、クリア、でで、できる。おおおおお、おれれと、なか、仲間にな、ってくれな、いか?」
言えた。
だが、毎度のように勧誘の際は上手く話せなくなるし、今は喉が渇いて声も掠れており、あまり自信がない。果たしてちゃんと伝わっただろうか。
真剣な眼差しでハルの話を聞いていたミオは、拳を口元につけて何やら考えると口を開いた。
「なるほど。つまりハルさんは、私たち二人が先日の第二階層ポルトカリースにてお互いの不足する部分を補完し合いながら見事地下階層を突破したこと。さらにはユニークモンスターと思われるキマイラを相手に、初めてにも関わらず高度な連携を見せ、ついには撃破したという事実を踏まえ、私たちはパーティーを組むべきだという結論に達したのですね?」
ミオはそのセリフを一息で話すと、キランと効果音がなったのではないかという確信に満ちた視線をハルに送った。
「え? そ、そう……かな?」
「実は私もそう思っていたんです!」
腕を組み、何度も大きく頷くミオ。
「あ、それに、ハルさんの目的はお金になる財宝を探すことですし、私は製法書を見つけることですから、ぶつかることもないですよね。確かに私たちはどちらも後衛ですから、前衛がいない点は不安もあります。ですが、あのキマイラを倒したのですからしばらくはなんとかなるはずです。ただ対策として、将来は前衛を仲間に入れることも視野に入れるのはどうでしょう。ちなみに──」
ミオは得意げな様子で次々と意見を捲し立てる。ハルは何とかそれに頷きながらも呆気に取られていた。
まるで事前に論理武装してきたかのようだ。
「──と思うのですがどうでしょう?」
そんなことを考えていたら、後半はほとんど耳に入らなかったが、急いでハルは首を縦に振る。
「じゃ、じゃあ、パパパパパーティを、くく、組むでい、いいか?」
「はい! これからよろしくお願いします!」
いつもは落ち着いた雰囲気のミオだが、若々しい弾けるような笑顔を浮かべる。
ハルもまた、長年待ちわびたパーティー結成の喜びで胸が満たされ、自然と頬が緩むのを抑えられなかった。
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