第十四話 ミオの決心
「シルキー、あと何体です?」
イリス大迷宮上層調査部隊のパーティーリーダーであり、ハンターギルドジャパンの副ギルド長も兼任するフェリクスは、階段に腰を下ろし、膝を揺すりながら仲間のアサシンに問いかけた。
「これで四十体……」
シルキーは手にした刃渡り30センチの忍者刀で、ブルフロッグの腹を引き裂いた。
「ふぅ。なので、あと十体です!」
「そうですか。ではそろそろ私も──」
「待って下さい、フェリクスさん! アタシたちに任せてください! まだまだやれますから!」
「そうですか? マツリがそう言うなら仕方ないですね」
満足げに頷くと、引き続きフェリクスは二人の戦闘を後方からじっくりと観察する。
ウォーリアのマツリは額に皺を寄せ、息を切らしながらもロングソードを振り回し、なんとか正面にいるブルフロッグの足を切り落とした。
今フェリクスのパーティーは、第一階層のエマーティノスでカエルの皮材を集めている。
第二階層のキマイラを討伐し、迷宮攻略の手がかりとなるであろうアイテムを入手するためには、カエルの皮材を使用したトランポリンが必要になるからだ。
そんな中プリーストのミオは、シルキーとマツリの後方で回復魔法を使用するタイミングを見計らっていた。
壁や床が血のように真っ赤なフロアで、敵と戦い続けてすでに4〜5時間が経過し、前衛二人の疲労も限界に来ている。
魔法によって体力の回復はできるが、精神の疲労は残念ながらできない。
こんな状況下でハルが百体以上のブルフロッグを倒したなどと、実際に証拠を見せられなければミオは信じることができなかったに違いない。
──さっきまで、すごい人と冒険していたんだなぁ。
ハルの力量を再認識し、ミオはふとそんな感想を心の中で呟いた。
「ミオ、悪いのですが、隣に来て回復魔法を唱えてくれませんか?」
この階層に入って以来、まだ一度も戦闘に参加していないはずのフェリクスがミオに回復を乞う。
「え? フェリクスさんの体力ゲージは満タンですよ?」
「実は少し疲れてしまいましてね。こうして背後の敵に注意し、皆さんを守るのも楽ではないのですよ」
背後、つまり階段の上から来る敵は、シルキーとマツリが一通り狩り尽くしたのでそれ以来出現していない。とはいえ、このフロアの全てを理解していない以上、再び出現する可能性は否定できない。
そういうものかとミオは頷く。フェリクスの正面に立つと、手をかざして魔法を唱えた。
「いやいやそうではなく、私の横に座って、しっかり体に触れて下さい。そちらの方が効くんです」
「は、はあ……」
ミオが知るメタマイスの知識では、直接体に触れて回復魔法を唱えると効果が増す、と言うものはない。むしろ離れた場所から対象に発動でき、かつ効果が変わらないから魔法は便利なのだ。結局近づくのであれば、ヒールポーションを使用するのと何ら変わらない。
しかし、フェリクスはこうして回復魔法をかけられるのを好んだ。初めは胸に手を当てて欲しいと言われたが、ミオはそれがどうにも受け入れられず、肩に触れるだけで納得してもらった。
ミオがそうして回復魔法を発動すると、フェリクスは目を瞑り、恍惚とした表情になる。
「はぁぁ……最高ですよ……ミオ」
「そ、そうですか?」
ダメージを受けていない状態で回復魔法を受けても、本来は何も感じないはずだが……。
ミオはこうして回復魔法が求められるたびに同じことを思う。
「フェリクスさん! これで五十体終わりました!」
「皆さんご苦労様です。皮材を収集したらすぐに第二階層に向かいましょう」
『はい!』
ミオを除いたパーティーメンバーが、フェリクスの号令に元気よく返事をした。
──私は何をやっているのだろう?
第二階層の地下に辿り着き、ふとミオはそんなことを思った。
そういえば、ハルと出会ったのはこの場所だった。
ミオが「なぜそんなに頑張るのか」と聞いたとき、ハルは「楽しいから」だと答えた。未知の世界を探検するのがワクワクするのだと。
ハルの答えは本心から言っているものだと確信できた。あの輝く瞳や夢に溢れた表情を見れば、どんな人間でもそのことに気づくだろう。
ミオは彼の答えを聞いたとき、いつからか自分がそんな気持ちを失っていることに気づいた。
そもそもこのゲームをやり始めたきっかけを、ハルには気晴らしと答えたが、半分は本当で半分は嘘だった。なぜなら、本当のことなど重すぎて言えなかったのだ。
本当は、心の底から現実逃避したかった。ミオにとって現実世界は余りにも憂鬱だった。
彼女──本名
その母親は娘の澪にまるで興味を示さず、家を空けることが多かった。そして、たまに帰ってくると知らない男を連れてくる。
しばらくして、男が澪を粘るような目つきで見るようになった。それに癇癪を起こす母親に我慢できなくなり、澪は二人がいる時は家を出ることにした。
ベーシックインカムは澪自身で受け取ることが可能であり、無駄遣いをしなければ外出しても金に困ることはない。
そのため家の近くにある漫画喫茶で時間を潰し、一夜を過ごし、そこから高校に通うこともあった。
そして、暇さえあれば好きな漫画やアニメを幾度となく見返した。
いい加減それにも飽きた頃、少し高額になるが話題のフルダイブ型ゲームができるというブースを利用することにした。
初めてプレイしたメタマイスは新鮮で、まさに現実逃避にぴったりだった。
しばらくしてミオは、メタマイスにある生産という機能の魅力に気づいた。現実では到底作れないようなモノも、仮想世界では難なく作れてしまう。その体験は途轍もない感動をミオに呼び起こし、以降、彼女の趣味は製法書集めとなった。
自分の目的のためにパーティーを募ることはできず、ミオはソロで様々な迷宮に挑戦し、時間も気にせず必死になって製法書を集めた。それがとにかく楽しかった。
そして、新たな製法書を探して辿り着いたのがここ、大迷宮イリスだった。
イリスに入り第一階層の攻略に手こずっていると、ギルドメンバーに助けられた。そして彼らからギルドに入るメリットの説明を受け、ミオの力が必要だと熱心に誘われた。
他人から必要とされたことがなかったミオは、どこに眠っていたのか分からない自己肯定感が一気に満たされていくのを感じた。その日は一日中、手足がまるで浮いているようなふわふわした感覚だったのを覚えている。
ついにミオはギルドに入ることを決め、今ここにいるのだ。
──私は何をやっているのだろう?
ミオは必要とされてギルドに入ったはずだった。しかし配属されたパーティーは、すでに手堅い攻略法が見出され、安全に探索を進められる階層をフィールドとしていた、
このようなフィールドでは、ミオが活躍する機会は少ない。にもかかわらず、大したダメージも受けていないのに回復を求められるのは困惑以外の何者でもない。
「ミオ、キマイラの討伐方法を教えてくれますか?」
最後のフロアで、フェリクスがそれを当然のことのように聞いてくる。
ハルと二人で苦労して見つけた方法。ミオはまるで聖域が汚されるような感覚に襲われながらも、それを話した。
「くくく、よくやりましたよミオ! あなたは素晴らしい!」
あの時は本当に、お互い命をかけて戦った。
キマイラに狙われたミオを助けたのはハルの魔法だったし、瀕死になったハルを救ったのはミオの魔法だった。
「くははははっ、エクスプローシブ・フレイム!」
キマイラが一瞬で消し炭になる。
「フェリクスさん、さすがですっ!」
「一撃だなんて凄いわ!」
あまりに味気ない。これの何が冒険なのか。二人の戦いが冒涜されたようにさえ思う。
「私にかかればこの程度、大したことはありませんよ。……さてミオ、また回復魔法をかけてもらえますか?」
得意げな表情をしながら、フェリクスはミオに粘りつくような視線を送ってくる。母親が家に連れてくる、あの男の視線と同じものだった。
「今回は一割程度体力ゲージが減っています。本当に疲れましたよ。ですから、この胸に触れてくれますね?」
……もういやだ。ここにいたくない。
私のいる場所はここではない。
必死に、死に物狂いで、迷宮を探索したい。好きなものを追い求めたい。
昔の自分のように。
そして、あの時の彼のように……。
「い、嫌です」
「……聞き間違いでしょうか。今、嫌と聞こえたような?」
「聞き間違いではありません! もうこのパーティーで冒険するのは嫌です。私は今、このパーティーを抜けます!」
ミオの断固とした宣言に、フェリクスの動きが固まり、唖然としている。
「はぁ? 何言ってんのよアンタ!?」
「いきなりそんなの、許されるわけないじゃない!」
「いいえ、ギルド規約17条に『いついかなる時も、冒険者はギルドを脱退する権利がある』とあります。仕事が終わった今、脱退できない理由はありません!」
『ぐっ!?』
シルキーとマツリの二人は何も言い返す言葉が見当たらず、唇を噛んだ。
「い、一体何が嫌だと言うんだ!?」
今度は険しい表情を作り、威圧感のある声で問い詰めるフェリクス。
「分かりませんか?」
「……ッ!?」
ミオが向ける虚な視線に、フェリクスは慌てて目を逸らした。
「それでは失礼します」
「ミ、ミオ……! 待ってくれ!」
「……お世話になりました」
ミオは愕然とした様子のパーティーメンバーに深々と頭を下げると、部屋の奥にある魔法陣へと向かう。
「戻れ! 戻るんだ、ミオ!」
フェリクスの言葉など、今のミオにはまるで届かない。彼女はそのまま魔法陣に入り、第二階層を後にした。
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