第十三話 蒼の役割

迷宮の攻略を続ける気になれず、晴清はゲームを一時中断して現実世界へ戻った。


もし先ほどフェリクスの腕を切断していたらどうなっていただろう。


メタマイスでは、一般環境においてプレイヤーを傷つけるのは悪質行為とみなされる。攻撃で相手が死に至らなくとも、一時的なアカウント停止は確実、下手をすれば永久BANの可能性もあった。


これがギルドの狙いだったとすれば、彼はまんまと罠に嵌まるところだったのだ。


冷静さを欠いた行為だった。それを止めてくれたミオに感謝しなければならない。


だがフレンド登録すらしておらず、残念ながら彼女にその気持ちを伝えるのは難しそうだ。


先ほどの出来事以来、晴清は心のもやもやがずっと続いている。時間が経つにつれ、それは晴れるどころかむしろ濃くなっている気さえする。


身体的な作用は仮想世界に置いてくることができるが、こういった精神的な作用はそうもいかない。


現実世界と仮想世界は、精神の領域において繋がっているのではないか。分断されているなどという議論も耳にするが、今はそんな説を信じる気にもなれない。


晴清がそんな他愛もないことを考えていると、テーブルの上の折り畳み式スマートフォンからメッセージの着信音が鳴った。開いてみると、蒼からのものだ。


晴清がメタマイスをログアウトした直後の着信で非常にタイミングが良いが、それは別に彼女が超能力者だからではない。


メタマイスでは、フレンド登録されているプレイヤーの場合、ログイン/ログアウト時の通知を受け取ることができる。蒼はその通知を見て連絡してきたのだ。


内容は、これから母の見舞いに行くから晴清も行かないかという誘いだった。


まだ母が倒れてから数日しか経過していないが、今の様子が気になる。


晴清は蒼に行く旨を返信すると、すぐに病院に向かった。



医師によれば、母は時折目を覚ますが、ほとんどの時間眠っているらしい。


また、不安が大きいからか睡眠中にうなされることも多く、精神的な疲労の回復が進んでいないらしい。


晴清にできることがあるとすれば、それは不安を解消することだけだ。


だがどれだけ努力したとしても、今すぐにという訳にはいかない。


その歯痒さに、晴清は小さくため息を吐いた。


「ねえちょっと、お兄ちゃん!」


ハリのある自信に満ち溢れた声は、妹の蒼だ。


「どうした?」

「どうしたじゃないわよ! 今日何度も電話してたのに全然つながらなかったんだけど!?」


やや怒り気味に聞こえる喋り方だが、これが蒼の通常モードだ。


確かに、晴清が先ほどメッセンジャーアプリを確認したとき、未読件数が10を超えていた。


「すまない。さっきまで迷宮に潜っていたからな」

「まっ、そうだと思ったわ。それで、どこまで行ったのよ?」

「第二階層を攻略し終えたところだ」

「……さすが、やるわね」


感心しているようだが、眉根を寄せて上から目線な物言いだ。晴清はそれが蒼らしくて苦笑する。


彼は続けて、これまでの冒険で得た攻略情報や起きた出来事を蒼に説明した。


「ふぅん、そう。今度はこっちの状況だけど、やっぱりママには借金の返済義務があるらしいわ。減額も無理」


二千万円の全額返済となるとやはりとんでもない金額だが、そればかりは仕方がないと考える他ない。


「クラファンのプロジェクトも作ったけど、今のところ目標金額の1%以下よ」


これも希望は薄いだろう。今やクラウドファウンディングのプロジェクトは乱立しており、SNSでバズりでもしない限り目標金額に到達することはないのだ。


「そこで相談なんだけど、イリス大迷宮の攻略情報をマイライブのゲーム実況で公開してもいい?」


蒼は高校二年生でありながら冒険者としての顔も持ち、動画配信サービスのマイライブでメタマイスのゲーム実況もしている。


ゲーム実況では顔出しをせず、メタマイスのアバターのみで行っている。こういったマイライブでの配信者はVLiver、または、冒険者がダンジョンに潜ることにかけてVDiverなどと呼ばれる。


「どこにも公開されていない新情報を使って攻略実況をするわけか。面白そうだな。俺は別に構わないぞ」

「ありがと! きっとバズるわ!」


蒼の瞳が爛々と輝き、希望に満ち溢れているのが分かる。


晴清はやや期待しすぎではないかと心配になるが、なにがどう転ぶか分からないのが世の常である。


「そういえばお兄ちゃん、ハンターギルドジャパンには気をつけてよね。私が仕入れた情報では、大迷宮を攻略しようとする冒険者を妨害しているって噂があるわ」

「ああ、もう妨害されたな。それに、今は完全に目をつけられているぞ」

「え、もう!? こっちはお兄ちゃんのために、ギルドを出し抜く戦略まで用意してたっていうのに! まったく、ゴブリンもびっくりするほど無謀なんだから」


メタマイスのゴブリンは他のモンスターと異なり、相手とのレベル差など気にせずあらゆるプレイヤーに襲いかかるため、たびたび無謀で無能と罵られている。


ゴブリンに搭載されている戦闘AIのアルゴリズムに欠陥があるのではないか、もしくはAIの教師データに偏りや不足があるのではないか、などといった説まで議論されるほどだ。


「でも悔しいけど、私の情報が遅すぎたのも原因の一つよね。……私、すぐにでも仕事を始めるわ。じゃ、また!」


蒼は手を振ると、力強い足取りで病室を出ていった。


口は悪いがなんとも活気に満ちた妹だと、晴清は感心してしまう。


「ううっ……」


母が苦しげに唸り声をあげている。早く心配の種を取り除いてあげたい。


晴清は家に戻ると、再び仮想世界へと飛び立った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



兄、晴清がすでに第二階層を攻略していたとは……。


蒼はそれを聞いた時、自分の耳を疑った。


ソロであることや初挑戦の大迷宮であることを勘案しつつ、SNSやWEB上で集めた情報を整理した結果、最低でも二倍以上の時間がかかるはずだった。


特に第二階層については、かき集めた断片的な情報から、どうやらキーアイテムがないと攻略不可であることが分かり、そのアイテムの入手をギルドが妨害することは想像できた。


だから、しばらくそこで足止めを食うだろうという推測だったのだ。


──まさかミオとかいう冒険者がお兄ちゃんに協力するなんて、この私でも想像できないわ。それにしても、一時的とはいえあのお兄ちゃんに仲間ができるとはね。


蒼は兄の成長を感じ、喜ばしい気持ちになる。


これまで一度たりともパーティーを組んだことがないのだから、妹の蒼が心配するのも仕方がないというものだ。


ミオという冒険者には感謝しかない。とはいえ攻略の速度が早かった理由が、ミオの存在だけということはないだろう。


晴清はメタマイスがクローズドベータ版の頃からプレイしている最古参プレイヤーの一人であり、レベルが高く装備もそれなりに強い。


一緒にプレイしたことはないが、おそらくプレイヤースキルも低くはないだろう。昔から蒼よりも運動神経や反射神経は良かったし、冒険者は体が資本だと、ジムに通っているとも聞いた。


ゆえに、晴清の実力も少なからず影響しているのは間違いない。


しかし、迷宮を進めば進むほど難易度は上がるし、今後はギルドの妨害もより強くなっていくことだろう。


そうなれば、流石の兄でも苦しい場面が出てくるはずだ。その時にこそ自分が役に立たねばならない。


もしそうでなければ、母の言葉をそのまま受け取り、疑いもせず、途轍もない苦労をかけてしまったことに申し訳が立たない。そして、思考を放棄し、のうのうと生きてきた自分を許すことができない。


こんなことを何度も繰り返し考えてきた。蒼はその度に暗澹とした気持ちになる。


だが晴清は着々と攻略を進めており、自分だけそうしてばかりもいられない。


蒼は両手で顔をパンッと叩くと、Omega V2ヘッドギア型デバイスを頭に装着して椅子に座った。


自分がやるべきことは理解していた。それは、時間的な制約や人間としての性質上、晴清に困難なことを自分が代わりやる、ということだ。すなわち大迷宮イリスに関する情報収集と、いずれ必要になるであろう協力者集めだ。


前者についてはすでに少しずつ仕事を進めている。


数日前、虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神で、ギルドに入会してギルドメンバーになった。


ゲーマーが頻繁に使用するSNSの、ギルドメンバー専用スペースに潜り込み、積極的に他のメンバーから情報収集を行っている。


しかし情報統制がされているのか、どのメンバーも次に晴清が目指す第三階層以降の情報は教えてくれない。


根気よくコミュニケーションを取り続けていると、あるスレッドで興味深い情報を得た。そのスレッドはギルド幹部の噂話をメンバー間で共有し合うやや下世話なもので、招待されたメンバー以外参加できない。


蒼は先輩ギルドメンバーに気に入られ、新人にもかかわらずそのスレッドに招待してもらうことができた。


興味深い情報とは、ハンターギルドジャパンの副ギルド長がどうやら女好きらしく、自らの人事権を乱用して綺麗どころをパーティーメンバーに組み込んでいる、というものだ。


副ギルド長の職務は大迷宮上層の調査だというから、第三階層の情報にも詳しいに違いない。


そう考えた蒼は副ギルド長に取り入ろうとダイレクトメッセージを送り、すでにコミュニケーションを取り始めている。


また、協力者集めの方も並行して進めている。これから始めるゲーム実況がそれだ。


「アイよ。早速配信を始めるわね」


アイのライブ配信を待機していた視聴者からの無数のコメントが送られる。


<待ってましたー!>

<我らが女王、アイ様ー!>

<かっこかわいすぎなんよ>

<楽しみすぎるっ!>


「まったく、いつもいつもこんな時間に見にくるなんて、あんたたちってどうしようもないほど暇人ね。コメントを送られてもどうせ読めないから、あんまり送らないでくれる?」


<本当にすみません>

<今日も最高の配信が始まりました>

<ゾクゾクしかしない>


「今日は大迷宮イリスをソロで攻略するわ」


<なん、ですと……?>

<あそこは本当にやばい……>

<アイ様でもさすがに無理! やめて下さい!>


「うるさいわね、この私を誰だと思っているのかしら。私にかかればこんな階層、10分で攻略できるわ」


<いやいや、そんなことは……>

<でもアイ様は有言実行のお方>

<まさか、今日も伝説が生まれるのか……?>


アイは兄から聞いた攻略情報をもとに、白い床のある部屋へまっすぐに進む。


道中で現れるブルフロッグは、アイの代名詞である白銀の大斧プラチナム・グレートアックスで一刀両断。彼女の通る道には血飛沫が舞い散った。


アイの職はウォーリアであり、斧を軽々と振るう程度のステータスを持った高レベル冒険者だ。人種は猫のセリアンスロープで、筋力、敏捷性、攻撃技能にボーナスがつく。ウォーリアとは非常に相性が良かった。


<アイ様が相変わらず強すぎて草>

<これが好きなんよ>

<ワンパンwww>

<猫耳の美少女に戦斧の組み合わせは最高すぎる>

<きれいだ>

<しかしこの階層、真っ赤で気が滅入るな>

<ブルフロッグが羨ましい>

<上に同じ>


現在の同時視聴者数は約千人。ほとんどはアイの配信を欠かさず視聴しに来るヘビーユーザーだ。


「目的地に到着よ!」


<はっや>

<ん、この床だけ白い?>

<なんか和むわ、ここ>

<……このぺたんぺたんって音、カエルの足音か!?>

<気をつけてください、アイ様!>


「ふん、気づいてるわ。ここで、水袋に入った大量の赤い染料を床に流し込むのよ!」


<ほうほう>

<どんどん赤く染まっていく。ちょっとグロい……>

<あーなるほど。そういう仕掛けなんだ>

<アイ様はなんで知ってるんだろう>

<入ってきた敵もしれっとワンパンwww>


全面が赤く染まると床が光り、アイは上層の町ステュクスにワープした。


<マジで!?>

<攻略まで10分かかってなくね?>

<まだ8分しか経ってないな。早すぎ>

<こんなやり方知らなかった>

<これって神配信なのでは……!?>


「さあ、今日はこのままどんどん進んでいくわ。でも、この先の階層はソロじゃきついの。誰か、私を手伝いたい人はいるかしら?」


アイが今ゲーム実況をしているライブ配信サービス、マイライブには二つの特徴がある。


一つは圧倒的な没入感の高さであり、もう一つがゲームとの連動性の高さだ。


前者を実現する要素として、ゲームの実況者と同じようにヘッドギア型デバイスを装着することで、フルダイブでの動画視聴が可能になる点が挙げられる。まるで実況者自身になったかのような一人称視点や、パーティーの一員になったかのような三人称視点の切り替えも可能だ。


後者については、マイライブを通して実況者から視聴者にパーティー参加リクエストを送ることができ、視聴者がそれを受け入れることでシームレスにパーティーに参加できる。もちろん、メタマイスのプレイヤーであることが前提なのだが。


アイは今、それを視聴者に対して送信したのだった。


<ア、アイ様からのお誘いだと……?>

<でも、これに参加したらギルドに目をつけられるんじゃ……>

<確かに……。どうすれば……>

<俺は行くぞ>


アイの正面にアサシンらしき男が現れた。そして、プリーストとウィザードらしき男もほぼ同時に現れた。パーティーは瞬時に満員となる。


<うわっ! 抜け駆けかよ!>

<もう締め切り!? 俺もアイ様のパーティーに入りたかった……>

<ちょっとPKしてくるわ>

<手伝おうか?>


「みんな、落ち着きなさい。私のパーティーにはもう入れないけど、パーティー同士で組んで一緒に冒険することはできるわ。もっと助けが欲しい時に呼びつけるから、それまで覚悟していなさい!」


<いつですか? すぐに行きます!>

<よっしゃー! マジで楽しみ!>

<本物のアイ様に会えるのか!?>

<早く呼んで下さい!>


「それまで、私の配信を毎日チェックしてよね! さて、パーティーメンバーのみんな、これからよろしく!」

『はっ! アイ様、ばんざーい!!』

「よし!」


こうして出来るだけ協力してくれる冒険者を増やし、人数の面でもギルドに対抗する勢力を作り出すつもりだ。いつか、これが兄の攻略の役に立つ日がくるはず。


アイはそう考えて、意気揚々と第二階層の攻略に進んだ。

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