第十一話 共闘②
ミオが左方向に動き出すのを確認して、ハルは逆方向へと走り出す。当然、敵に的を絞らせ難くするためだ。
キマイラは獅子と山羊それぞれの頭で二人の行動を観察すると、呆れた様子で嘆息する。
「正々堂々向かって来ないとはつまらぬ。ならまずは、貧弱そうな小娘を切り裂くとしようか」
獅子と山羊が同時に口を動かすと、両者の声が合わさり、低く重苦しい音となって響いた。そして、筋肉の隆起した野太い足を一歩踏み出した。
「させるか。クリスタル・コフィン」
先端の尖った六角形の氷柱が空中に次々と顕現し、地面を歩く獣に向かって落下していく。ズドン! ズドン! という鈍い音を立てて、氷柱が様々な角度から同一地点に突き刺さっていく。
そうして出来上がった氷塊は、天然石の店で見かける水晶クラスターを思わせた。
この魔法は氷属性の中位魔法で、複数の氷柱による打撃を加えた後に、それらが結合することで対象を閉じ込める魔法だ。
氷点下に閉じ込められた生物はじわじわと体が凍結し、最終的には死に至るのだ。
ハルからは、そんな透明な氷の棺の中にキマイラの体がはっきりと見えた。
ふと視線を体から頭に移すと、まるで周囲に障害物など存在しないかのように、獅子の頭部がぐるんと回った。
両者の視線が交わると、獅子の獰猛な瞳がギラリと赤く光った。
なぜあの中で動ける? そんな言葉がハルの頭をよぎるが、同時に脳内で警報音が鳴り始める。すぐにその場から逃げろという合図だ。
しかし、ハルの体はまるで金縛りにでもあったように動かない。
──これは、恐怖のせいか? いや、それはあまり感じていない。であればあの瞳、魔眼か……。おそらく効果は束縛。現に今も、あの瞳から目が離せない……。
氷の中にいるはずの獅子の
氷塊は一瞬にして蒸気へと変わり、霧散した。
「違うぞ小僧。妾が望むのは、貴様の内から湧き上がる炎よ!」
キマイラはまるで獲物を捕食する肉食獣のように獰猛な顔つきで、脇目も振らずハルに迫る。
「ハルさん、逃げてください!」
ミオが悲鳴のような声で叫ぶ。
しかし、言葉さえも発すことができないほど強力な呪いがハルを束縛していた。
鋭利な獅子の牙と強靭な山羊の顎で、キマイラはハルの両肩に喰らいついた。遅れて尻尾の蛇が、喉元にガブリと噛みついた。
「ガハッ!?」
「そ、そんな……! ハルさん!?」
まるで体のあちこちが鉄筋で貫かれたかのような錯覚を覚える。次に襲ってくるのは、首から注入されたらしい毒の激痛だ。
全身が大袈裟なほどガクガク震え、意識が朦朧としてくる。
今ハルが死んでいないのは、単純にこれまで鍛え続けてきたステータスのおかげで、かろうじて体力ゲージが0になっていないだけだ。
「や、やめてください! ディバイン・ウィンド!」
ミオのいる方角から淡い金色の風が吹き荒れ、キマイラをその場から弾き飛ばそうとする。
聖/風の混合中位魔法で、プリーストには珍しい攻撃魔法だ。殺傷能力はあまり高くないが、相手と距離を取りたい場合には重宝する。
「チィ!」
キマイラはその魔法に耐えきれず、引き剥がされるようにその場から距離を取った。
「絶対に死なせません!」
ミオは開いた聖書のページをめくると、グランド・キュアリングを唱える。
ハルの体力は元に戻り、牙で貫かれた首と肩の傷口も塞がった。
ハルはすぐさまインベントリから毒消しを取り出し、震える手を押さえつけ、一気に飲み込んだ。急速に毒の痛みが消えていくのを感じる。
「……ふう。助かったよ、ミオ」
「はぁ、はぁ、はぁ。よ、良かった……です」
ハルよりもよほど乱れた呼吸を整えながら、ミオは何とか返事をする。瞳が少し潤んでいるように見える。
ハルは簡単に敵のスキルに捕まったことを反省する。メタマイスにはこのような初見殺しのスキルなど山ほどある。それなのに、レアなモンスターに興奮して注意を怠っていたのだ。
今のはミオの素晴らしい反応と行動があったからこそ死なずに済んだだけだ。
すぐにハルは気持ちを切り替える。
「今度はこっちのターンだ」
獅子の瞳に視線を向けないよう注意しつつ、ハルは杖を振りかざした。
「カタラクト」
ドドドドドッ!
キマイラのはるか上空に現れた水流が、まるで瀑布のような勢いで流れ落ち、獅子と山羊の頭部を叩く。
しかしながら、そんな中級の水属性魔法を受けてもキマイラは涼しい顔を崩さない。
これまでに氷属性と水属性を試したが、どちらも効果がなかった。炎の化身の如き熱を纏うキマイラに、当然火属性は論外だろう。
それを踏まえてハルは、続けざまにロック・スピア、エアリアル・ブレード、ツイン・サンダーボルトを繰り出す。
どれも間違いなく直撃した。
しかし、まるでダメージを与えているようには見えない。
「どうした小僧? 先ほどよりも手ぬるいぞ?」
キマイラはそう挑発すると、ハル目掛けてとてつもない速度で駆け出した。
ハルもそれに合わせて距離を取るべく走り出す。
キマイラが距離を詰め、爪を剥き出しにして飛びかかる。ハルはそれを素早く察知し、進行方向を九十度曲げてかわし、再び走る。
続いてキマイラは火炎放射の上位スキル、ギガフレイムをノーモーションで放つ。獅子の大口から放たれた豪炎は、辺り一面を焼き尽くすほど広範囲に広がった。
「ハルさん!?」
焦燥に満ちたミオの声が響く。
またしても初見殺しのスキルだ。しかし、ハルはそれに落ち着いて対処する。
インベントリから、刀身が青白く光る氷の魔剣を取り出した。それを炎に向けて横一閃する。
バリンッ!
魔剣が破砕する代わりに放たれた青の斬撃は、炎を掻き消すとそのままキマイラにまで到達した。
しかし、山羊の頭はそれを強靭な顎であっさり噛み砕いた。
「貴様の炎はこの程度かぁ!」
内臓に響くほどの大きな声量で叫ぶと、キマイラは再びハルへの攻撃を再開する。
先ほどの魔剣は一度使用すると壊れてしまう消耗品の類で、NFTではない。しかしハルの切り札の一つであり、上位魔法レベルの斬撃を瞬時に打ち出せる代物だった。それを、ダメージを与えることなく失うのは誤算でしかない。
だが、キマイラの手の内を把握したハルにとって、その攻撃はあまり怖いものではなくなっていた。気を抜けばすぐにでも命を落とすような猛攻も、これまでに鍛えたプレイヤースキルでかわし続けることができた。
「ハ、ハルさんって、本当にウィザードなんですか……?」
そんなミオの声が、鳴り続ける戦闘音の合間を縫ってハルの耳に届いた。
引き続きハルは、持てる様々な魔法を繰り出すが、どれも全く効果が見られない。
「違うぞ小僧。妾が望むのは、貴様の内から湧き上がる炎よ!」
またしてもこのセリフ。どういう意味なのだろうか。
ハルが相手の攻撃を回避しながら考察を続けていると、ミオがいつの間にか側に近寄ってきていた。
「ハルさん、一つ気になることが……」
「なんだ?」
「実は、さっき私が唱えたディバイン・ウィンドをキマイラは嫌がったんです。ほんの少しですが、ダメージも与えていました」
ディバイン・ウィンドは聖/風属性の混合魔法。風属性は効かないのは実証済みなので、聖属性が弱点だったということか。
だがもしそうなら、さらに大きなダメージを与えていても良いはずだ。でなければとても弱点とは言い難い。
あの時、ミオの魔法によってある事象が起きていた。ディバイン・ウィンドの暴風が、周囲の空気を取り込んで熱風を生み出していたのだ。
そして、キマイラの口から繰り返される「炎」を求める言葉。
これらから連想されるのは、キマイラの主属性のため無効と考えていた火属性こそ、むしろ効果があるのではないかという仮説だった。
「ミオ、参考になった! 試してみたいことがある。危険だから後ろに下がっていてくれ」
「は、はい!」
ミオが後方へ下がったのを確認すると、ハルは炎属性の中位魔法を放つ。
「アングリー・ファイア」
杖の先端に小さな炎が顕現し、それが徐々に力を増していく。メラメラと燃え上がる炎が空中に浮き上がると、火山の噴火の如く爆発し、そこから生まれた無数の火球がキマイラに襲いかかった。
「グァアアア!!!」
全身に炎を浴びたキマイラは地面に倒れ、足をばたつかせて、苦悶に満ちた叫び声を上げる。やはり火属性が弱点だったらしい。
しかし、魔法の爆発で生じた超高熱はハルをも蝕む。空気から熱波が伝わり、彼の全身は焼かれ激痛が走る。
「すぐに回復します!」
後方から、ミオが素早く回復魔法を唱えた。そのおかげで火傷が治ったハルは、礼を言おうと振り返る。
すると、陶器のように白く美しかったミオの皮膚が、黒く焼け爛れていた。
熱波がミオの元にまで届き、ひどい火傷を負っていたのだ。にもかかわらず、自分よりも先にハルの回復を優先していた。
「ミオ!?」
「わ、私は、大丈夫です! それよりも、キマイラを……!」
ミオが指をさす方向に視線を向けると、いつの間にかキマイラが身を起こしていた。
「……足りん! 足りんぞぉ! 貴様の炎はそんなものかぁ!」
これでもまだキマイラを倒すには足りないらしい。
「ミオ」
「私に構わず、やっちゃってください!」
「おう!」
ハルは両手で杖を握り正面に突き立てると、彼が持つ中で最大の火属性魔法を放った。
「エクスプローシブ・フレイム」
けたたましい爆発音が轟き、キマイラを中心に半径3メートルの爆炎が立ち上る。
この魔法は上位魔法に位置づけられ、瞬間最大温度はマグマを超える二千度とされている。
爆炎により発生した熱波がフロア全体を駆け巡る。
ハルの肌がジュウジュウと音を上げて焼けていく。それと同時に発生する肉の焦げた煙の匂いは不快なもので、強烈な痛みと相まって吐き気がする。
しばらくして、キマイラの全身を包んでいた爆炎が消えた。次に現れたのは全身黒焦げになった猛獣の姿だった。
灼熱地獄の中、火属性のモンスターを火魔法で倒さなければならないとは、相変わらずこの迷宮の創造者はどうかしている。ハルはそれを実感せざるを得ない。
キマイラの体が灰の如くぼろぼろと崩れ去った。すると今度は、中から変身する前の赤いドレスの女が姿を現した。
「よくぞ妾を楽しませた。貴様らが通ることを許可しよう!」
妖艶な笑みを浮かべてそう宣言すると、キマイラは姿を消した。
ハルが急いで振り返ると、ミオは防御結界で熱波から身を守っていた。彼女は結界を解くと、再びハルの傷を修復したのち、自分にも回復魔法をかけた。
「やりましたね、ハルさん!」
「ああ、やったな」
キマイラがいた場所には、ドロップ品と思われる弓、製法書、キマイラの素材が落ちていた。
弓の名前は
美術品としてもかなりの価値が期待できそうなほど見た目が美しい。製作者は当然ノロッパ氏だ。
ランクはレジェンド級のさらに上で、現在のところ最高ランクであるミシック級とある。
製法書は
ノロッパ氏製作のNFTでこれまで最も高額な値がついたのは、真夜・小夜と名付けられた長刀と短刀の姉妹刀。ランクはミシック級で、価格は五万マイスだった。吸い込まれそうなほど深い闇色に鍛えられた刃。その美しさに魅入られた海外の富豪が購入したらしい。
五万マイスは日本円にして約五千万円。
同じミシック級のNFTならば、それに近い価格になるはずだ。
つまり、これを販売すれば借金が全て返せる。母の苦しみを取り除くことができるのだ。
そう思うと、なぜかハルの手足は震え出した。
「す、凄いドロップ品ですね、ハルさん! こんな製法書があるなんて──」
頭に血がのぼり、周りの声が耳に入らない。
ハルはカタカタと震える手でスマートフォンを取り出し、マーケットプレイスのアプリを起動する。迷宮内では外部との通信が不可能なのだが、ハルはそのことに気づかない。
弓を拾い上げてインベントリに収納する。アプリでそれを出品しようというのだ。
しかし、即座にエラーが発生する。表示されたのは「販売不可」の赤文字だった。
この表示は、決して迷宮内だから現れたわけではなかった。販売可能なNFTであれば、迷宮内では「通信不可」と表示されるのである。
つまり、このNFTは売れないのだ。
理由は分からない。が、それが事実だった。
「ハルさん、実はこの迷宮で手に入れたNFTは、攻略するまでマーケットプレイスで取引が出来ないそうなんです。所有権が移っていないんだとか……」
「そ、そうなのか……!?」
「はい。お母さんのことは聞いていたのだから、先にお伝えしていれば良かったです。ごめんなさい」
「あ……」
目に涙を浮かべながら、ミオがハルに深々と謝る。
……自分は何ということをしていたのか。一緒に戦った仲間の存在を忘れて、勝手にアイテムを売ろうとするなんて。
あまつさえ、その仲間に謝罪させるなんて。
「ミオ、頭を上げてくれ。……謝るのは俺の方だ。……すまない」
ハルは橙色に光る床を見ながら、今の何倍も深く頭を下げたい衝動に駆られた。
それで自分が犯した過ちが許されるはずはないが、少しでも謝罪の気持ちを伝えたかったのだ。
「いえ、気にしないで下さい。元々、ドロップ品は全てハルさんにお渡ししようと思っていたんですよ。私はこの後、自分のパーティーと一緒にまたここに来るはずです。それが出来るようになったのは、全てハルさんのおかげですから!」
「何を言ってるんだ。君がいなければここには来れなかったし、キマイラを倒すことも出来なかった」
「え?」
「全てはミオが協力してくれたおかげだ。本当にありがとう」
顔を赤く染めたミオは、コクリと頷くと、すんとして表情を失った。
一体どういう感情なのか読み取れないが、今の流れからすればきっとネガティブなものではないはずだ。
「ドロップ品の分配だが──」
「そのお話は後で結構です。今はここを出て休みましょう。すみませんが、ハルさんの方で保管をお願いできますか?」
「わ、分かった」
ミオから発せられる見えない圧力に押されるように、ハルは二つ返事でその任を受けた。
「この階層では、ボスを倒すとセーフティゾーンが開放されます」
セーフティゾーンとは、迷宮の中において一時的に町へ戻るためのポータルを設置できる場所だ。また、ゲームを中断/再開する際のセーブポイントとしても使用できる。
二人はそれぞれがポータルを開き、一つ前の町エマーティノスに戻った。
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