第九話 協力

マグマが沸き立つ超高温の世界で、ハルとミオは手分けをし、彼らが立つ島の調査を開始した。


島は、ハルが落下した円形の島とミオが落下した円形の島同士がくっついて出来ているらしく、例えるならひょうたんの形に近い。


そのひょうたん島は、やはりマグマの海に浮かんでいた。島の端々まで行って確かめたのだから間違いない。


しかし、マグマの先が陽炎でぼやけてよく分からない。奥にうっすら見えるのはただの壁なのか、それとも次のフロアへ進む道なのか。


「やっぱり、どうしようもないんですよ。ギルドの皆さんも、ここに落ちたら終わりだって言ってましたし」


残念、というよりは諦めを含むような抑揚のない声で、ミオは伏し目がちに言う。


「……ですから、マグマで死に戻りしちゃいましょう? そっちの方が楽ですよ。一人だと怖いですけど、一緒に飛び込めば怖くないですから……!」


姿勢を前のめりにしながら、目をキラキラと輝かせ、魅惑的な笑顔で語りかけてくるミオ。


ハルはその表情にぞくりと戦慄を覚える。


精神的にも肉体的にも追い詰められた状況。そんな暗闇の中で見出した心中という名の絶望の光に縋り付き、心を奪われた者。そんな風に見えたのだ。


論理などは皆無。ただ感情に訴えかけ、思わず首肯させてしまうようなエネルギーが伝わってくるようだ。


──そこまで苦しんでいたのか、ミオは。……いや、少し想像してみれば分かりそうなことだった。


灼熱の世界で常に命が危機に晒される焦燥。頼れるはずの仲間に置き去りにされる絶望。怪物に襲われる恐怖。見知らぬ人間と行動する不安。


もしかすると、町での出来事も含めて、ハルが想像できない別の精神的な負荷もあるかも知れない。


そう考えると、ハルは彼女へ同情の念が湧いてきた。


こんな時、自分にできることは何か。彼女の望みを叶えることなど言語道断。その先に得られるものなど存在しないのだから。


ならば──


「死ぬのはいつでもできる。それに、こんな場所なら黙っていても命は尽きるさ。だからもう少し俺に時間をくれないか? 試したいことがあるんだ」


足掻く。


何か新しい方法を考えて、試し、足掻く。


未来を掴もうと思うのであれば、方法はそれしかない。


「……わ、分かりました」


ミオの表情はあまり納得のいかない様子だ。


だがそれも当然だろう。


彼女にとってハルの提案は、またしても苦しい環境に耐えながら、迫り来る死に恐怖することに他ならないのだから。


ハルが試したいこと、それは魔法で陽炎の発生を食い止め、視界をクリアにすることだった。


たしか陽炎は、例えば地面の温度と空気の温度に差があると、光が屈折してそう見える現象だったはずだ。


つまり今の状態は、マグマの温度とその上にある空気の温度に違いがあるということ。


マグマの温度を下げることは、おそらく不可能だろう。ハルが持つ氷魔法をひたすら連発したところで、これほどの量となると1℃も下げることはできまい。


ならば、空気を温めるしかない。


「サークル・フレア」

「そ、その魔法は……!?」


ミオが驚くのも無理はない。この魔法は中位の火属性魔法で、魔法陣から強力な炎が吹き出すというものだ。こんな灼熱の世界で使う阿呆は普通いない。


この魔法は地面に設置することで、罠として発動することも可能だが、座標を指定して任意の空間で発動することもできる。


今回は後者の方法を使う。マグマの直上で魔法を発動し、上空の空気を温めようというのだ。


ブォオオオオオ!


ガスバーナーが火を吹くように、魔法陣から火柱が立ち上がる。


その勢いで発生した超高温の熱風がハルに向かって吹きつけ、ジュウという音を上げて肌を焦がす。


「ぐっ!」

「ハルさん!」


あまりの激痛に思わずハルの声が漏れる。


それに対して、ミオは全く熱さの影響を受けていない。完全耐性でも備えているのだろうか。


「大丈夫だ。それより、あれを見てくれ」


ハルが向けた指の先では陽炎が見事に消えていた。数秒程度だったが、マグマの先にあるものがはっきりと見えた。


「すごい! でも壁、でしたね……」

「ああ、だがこの方法でフロアの調査ができる。どんどんいくぞ」


100回程度繰り返せば全て確認できるだろう。魔力の消費は痛いが、マナポーションはまだまだあるから問題ない。


ハルは次々と魔法を発動し、調査を進めていく。ミオは回復魔法でハルをサポートする。


1時間程度かけて島の半分の調査が終わったころ、ミオがハルに問いかけた。


「……なぜ、そんなに頑張るんですか?」


たかがゲームなのに。言外にそんな言葉が滲んでいる。


ハルは、そもそも大迷宮イリスに挑むきっかけになった理由である、母が倒れたこと、父親が残した借金のことを話す。


「そんな大変なことが……」

「でも、それだけじゃない。楽しいんだよ、このゲームが。このフロアのどこかに、必ず次のフロアへのルートが隠されている。まだ誰も見つけていない、未知のルートだ。今俺たちはそれを探しているんだ。ワクワクしないか?」


そう答えるハルを、珍しいものでも見るかのようにミオが凝視する。そして、考え込むように拳を口元につけると、再び視線を下に向けた。


それから調査を続けること30分。


「い、今の!」

「ああ、あったな」


マグマの先に、壁にぽっかりと開いた空洞が見えた。どうやらそれは奥まで続いているらしい。


──やっぱりあるじゃないか。


ハルは思わず頬が緩むのを抑えきれない。


「うふふ、嬉しそうですね、ハルさん」


ミオは可憐で優しげな笑顔を見せる。


「あ、ああ。だが、あそこまでどうやって行けばいいんだ」


氷魔法でマグマを凍らせるのは不可能。岩系統の魔法で道を作れればいいが、そんな魔法はない。空を飛ぶ魔法もない。ならアイテムか。


「そういえば、これは何に使うのだろう?」

「鉄製のワイヤーに円筒状の棒、ですか。これをどこで?」

「ギルドの皆に勧められて、町の店舗で買ったんだ」

「……嫌がらせ、ですか」

「ん、なんだって?」

「い、いえ、なんでも!」


ミオはなぜか慌てた様子で手を振る。


「町に置いてあるということは、きっと何か迷宮攻略に役立つアイテムのはずなんだが」

「……まさか」

「どうした、ミオ?」


ミオは真剣な顔つきで、目をあちこち動かし始めた。どうやらインベントリの中身を確認しているようだ。


「私、生産が好きで、製法書をいくつか持っているんですけど、鉄製のワイヤーと棒を素材にして作れる物がいくつかありますね」

「なに、本当か?」

「はい。でも追加の素材が必要で、フレイムゴーレムの魔核があればファイヤブラスター、蜘蛛糸があれば虫取り網、カエルの皮材があればトランポリン、なんていうものも──」

「それだ」

「ト、トランポリンですか?」


メタマイスはアクション要素が多いゲームで、迷宮では時々、ジャンプやよじ登りといったパルクール的なスキルを要求されることがある。


「ああ。もしそれが作れれば、確実にこのマグマを飛び越えられる」

「でも、必要な数が……50って書いてます……」

「俺のがあるぞ。使ってくれ」


ハルのインベントリにはカエルの皮材が100以上ある。それをごっそり取り出して、地面に置いた。


「えぇ!? なんでこんなに持ってるんです!?」

「第一階層でたくさんカエルを倒す必要があっただろう? ミオも持っているんじゃないのか?」

「そんなに持ってないですよ! だって、あそこはカエルを倒さなくても、赤い染料で白い床を染めてしまえばクリアできるんですから!」

「そ、そうだったのか……?」


衝撃の事実にハルは愕然とする。


あの時の苦労を思い出すと、それに気づかなかった自分に呆れる気持ちもある。とはいえ、赤い染料など持っていないから、どちらにしてもカエルを倒すしかなかったであろうが。


「驚きました。でも、これだけあれば作れます」

「すまない。よろしく頼む」

「いいえ、じゃあ手動生産でいきますね」


ミオは手際よく必要な素材を整頓すると、作業を開始した。


メタマイスにおいて生産に必要なものは三つ。素材、製法書、スキルだ。


素材は言わずもがな、モノを作るための材料である。


そして、製法書はモノの作り方が事細かに記述された書物だ。


最後にスキルは、モノを生産するのになくてはならない技術に当たる。例えば、ナイフを作りたいなら《ナイフ生産》が必要であり、スキルレベルも三段階に分かれている。


モノの手動生産とはそのままの意味で、自ら手を動かして生産すること。


それの対義語として自動生産がある。後者の場合、プレイヤーは放置しておけば勝手に生産できるのだが、その間は動けなくなるし、何より手動生産より時間がかかる。


手動生産を選択すると、視界が生産モードに突入する。スキルが製法書を読み込むことで、どのように手を動かせば良いか、次に何をすれば良いかを指示してくれるのだ。


このモノ作りが意外と楽しく、生産専門のプレイヤーが一定数存在する所以でもある。


ミオは透き通るような声で、小さく鼻歌を歌いながら、滑らかな手つきでトランポリンを作り上げていく。


本当に生産が好きなのだろう。手際も良いが、何より楽しそうだ。


そんな彼女の様子に、ハルは少し安堵する。


そして、先ほど自分が迷宮に挑戦している理由を話したが、ミオの理由は聞いていなかったことを思い出した。


「なぁミオ、君はなぜ迷宮に挑戦しているんだ?」

「初めは気晴らしぐらいの気持ちで、このゲームを始めました。そうしたら楽しくなってきて、色んな迷宮で製法書を探すのが趣味になりました。しばらくしてギルドから、私のことが必要だって誘われたんです。それが嬉しくて、ギルドに入って迷宮攻略隊所属になりました。でも、私は鈍臭いからこうして置いて行かれてしまって。もう必要とされていないのかも知れません」

「その程度の理由でミオを置いて行ったのだとすれば、ギルドの連中はよほど間抜けらしい」

「え?」

「プリーストとしての能力が卓越しているのに加えて、迷宮の調査もできるし、生産系の資産アセットも持っている。さらに攻略のアイディアまで出せるのだから、これほど優秀な人材は──」

「できました」


いつの間にかミオの正面には、円を成した鋼鉄のフレームに、縫い合わされたカエルの皮材が貼られた、見事なトランポリンが作り上げられていた。


「素晴らしいな」

「そうでしょうか」


──なんだろう?


ハルには、彼女の返事が一昔前のボーカロイドのように、やや棒読みになったように感じる。一体どうしたのだろうか。


ミオの顔は耳まで真っ赤だが、すんとして表情がない。視線もどこか中空を向いている。


何か変なことを言い、嫌な気持ちにさせてしまったのだろうか。


「使ってみてください」

「あ、ああ」


一旦そのことは脇に置いておき、ハルはトランポリンの上に飛び乗ってみる。


比較的硬めの皮だが弾力があり、強く踏み込むのにも耐えられそうだ。


「ありがとう、ミオ。これを使って、俺が先に行く」

「だ、大丈夫でしょうか?」


ミオが眉根を寄せて、不安げな表情をする。いつの間にか、少し前の彼女に戻っているようだ。


「任せてくれ」


トランポリンの位置を調整すると、ハルは十分な助走距離をとった。


全力で地面を駆けて、トランポリンの中央を両足でぐっと踏み込む。


ハルの体は床面から45度の角度で飛び上がると、綺麗な放物線を描き、壁にぽっかりと開いた空洞に着地した。


空洞は、天井までの高さが2メートル程度とやや低い。奥まで道が伸びており、ここが脱出経路の可能性が高そうだ。


「さあ、次は君の番だ」

「で、できるでしょうか?」

「大丈夫。俺もできる限りサポートする」

「……分かりました」


ミオも、ハルと同様に助走距離を取り、走り出した。


トランポリンを踏み込み、ジャンプする。


しかし、角度がやや大きかったらしい。上空高く飛び上がってしまった。


このままでは壁の空洞まで届かず、勢いよくマグマに落下してしまう。


「あああ、ハルさん! どうしましょう!?」

「落ち着いてくれ。今助ける」


ミオが落ちてくるタイミングと魔法の発動タイミングを考慮しつつ、彼女の背後の座標を指定して魔法を発動する。


「少し我慢してくれ。サークル・フレア」


ミオの背後に、空洞がある方向へ吹き出す炎の柱が出現する。それが彼女の背中に直撃し、体が勢いよく吹き飛ばされる。


「きゃあ!」


ミオの体は前方にまっすぐ突き進み、うまく空洞に飛び込んだ。だがその勢いはかなり強く、どこまで進むか分からない。


ハルは彼女の正面に立ちはだかると、高速で迫ってくる体を両手でガシッと受け止めた。


ちょうどお姫様抱っこのような形になっている。


華奢で驚くほど軽いその体は、やはり火魔法でのダメージを受けていないらしい。


白い陶器のような頬も、輝くような金髪も、焼けたような形跡はない。微かに漂う花の香りはミオが生産した香水なのだろうか。


「驚かせてすまない。無事か?」


ハルが心配してミオの顔を覗き込むと、ミオはその身をくるりと回転させて、ハルの手から離れた。


すくっと立ち上がると、頭を下げて礼を言う。


「ありがとうございます」


またしても、あの抑揚のない棒読みのような話し方。


どうやら今の対応は失敗だったようだ。


「ミオ、今ので気を悪くさせたらすまない。もう少しやりようというものが──」

「問題ありません」


問題がないのに、このような話し方になるだろうか。


ハルは疑問に思うが、これ以上聞いてさらに気を悪くさせるのは得策でない。


「そ、そうか。一応、改めて謝罪する」

「先を進みましょう」


ミオが足早に歩き出すので、ハルもまた追いかけるようにその後を追った。

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