第八話 第二階層 ポルトカリース
無骨な暗黒色の玄武岩でできた洞窟が、町の奥にぽっかりと口を開けている。これが第二階層の入り口だ。
ハルは断熱効果を期待して、サラマンダー皮製のコートを身につけ中に入る。
少し歩くと開けたフロアに出た。ごつごつとした岩壁の所々から、煮えたぎるマグマが流れ落ちている。
それはまるで、紅蓮の炎を圧縮したような色を帯び、もし触れでもしたら肉も骨も一瞬で溶けてしまいそうなほど、凄まじい熱を発している。
噂通り、暑い。いや、熱い。ジリジリと皮膚が焼け焦げて、痛い。
鼻で息をすれば粘膜が焼け焦げてしまいそうになる。すぐにやめて、口からそっと息をする。
コートのおかげでかなり熱を防ぐことができているようだが、それでも全く十分ではない。
体力ゲージが緩やかに減っていく。どうやらここは、熱による継続ダメージが発生するダンジョンらしい。
感覚神経の痛覚をOFFにすれば酷い痛みは消えるだろうが、この階層にもモンスターは現れる。咄嗟の攻撃に反応するには、どうしてもこの感覚が必要であり、OFFにすると死亡率が飛躍的に上昇することになる。
──まだ十分耐えられる。このまま進もう。
正面に見える道は、両脇が崩れ落ち、細く頼りない橋のようになっている。ゴポゴポというマグマの煮沸音が下から聞こえてくる。
地盤が弱く、穴が開いているという情報だったが、ここは穴どころではない。歩ける場所の方が少ないぐらいだ。
足を踏み外さぬよう細心の注意を払いながら。ハルは細い道を進む。まるで綱渡りでもしているかのようだ。
時折ポーションを使いながら、継続ダメージで減少した体力を回復しつつ進む。
道を渡り切ると、拳大の穴がぼこぼこと開いた平面のフロアに出た。穴からは時折炎が噴き上がっている。
そこに足を突っ込まないよう、さらに前方へ進む。
「キシャアアア!」
後方から爬虫類らしき生物の鳴き声が耳に入った。
次の瞬間、ハルは右脇腹に強い衝撃を受けた。それに素早く反応し、左方向へ飛び跳ねる。衝撃を吸収するのが目的だ。
「ゲホッ!」
折れたのは肋骨が一、二本程度。まともに食らえばそれだけでは済まなかっただろう。
振り返ると、体長1.5メートルはありそうなトカゲが地面を這っている。全身から僅かな炎が立ち上がり、滑らかな赤い体皮は橙色の斑点で化粧されている。
コートの素材でもあるサラマンダーだ。レベルは37。
ハルは以前別の迷宮で戦ったことがあるが、それほどの強敵ではなかった。水系や氷系の魔法が非常によく効くからだ。
だがこのモンスター、一体どこから現れたのか。
まさか──
ゆっくりと天井に目を向けると、赤と橙の斑模様が全面に貼り付き、所狭しと動き回っている。
ぞっとして、ハルは思わず後ずさる。
何体いるのか正確に把握するのは困難だ。しかし、少なくとも二、三十体は確実。地面にいるトカゲも上から降ってきたということらしい。
幸運なことに、他の個体にはまだ気づかれていないようだ。
ハルは地上のサラマンダーに視線を移す。
すると、その個体はぐいっと首を伸ばした。これは超高温の火炎を吐き出すスキル、メガフレイムの予備動作だ。この後に息を吸い込む動作が続き、最後にスキルが発動する。
サラマンダーは首を戻すと、ハルの予想通り息を吸い込み始めた。
そして、この瞬間が絶好の攻撃チャンスだ。
「アクア・グラベル」
ハルの周囲に、ゴルフボール大からハンドボール大まで多様なサイズの水球が生まれ、サラマンダーに次々と打ち出される。
中位の水魔法で、幹の太い木でも蜂の巣にして叩き折る程度の威力がある。
だがあまりの高熱で、標的に届く前に次々と蒸発して消えていく。
──くっ、これではダメか。
サラマンダーはぴたりと動きを止める。そして、大きく口を開けると一気に炎を吐き出した。広範囲に広がる火炎放射だ。
すでに炎による継続ダメージを受けている今、さらに追加で炎を浴びれば甚大な火傷を負うことになる。
「しっ!」という掛け声と共に、上空に飛び上がってそれを避ける。
「これならどうだ。ダイヤモンド・クラッシュ」
こちらは中位の氷魔法。アクア・グラベルが大砲だとすれば、弾丸に近い。
杖の先端から白い冷気が生まれ、周囲に広がっていく。冷気はやがて
フロア内の気温が下がったこともあるのだろう。氷の粒は溶けることなく突き進み、サラマンダーの皮膚を貫いていく。
「ギシャァアアア!」
サラマンダーが冷気で凍りつき、そのまま息絶えた。ドロップ品は予想通り、サラマンダーの皮材だ。
ズドォン!
今度はなんだと目を向けると、別のサラマンダーが地面に落下していた。それを皮切りに次から次へと落下してくる。
派手にやったので、ハルの存在がバレてしまったようだ。
非常に危険だと、彼の頭に警報が鳴る。これだけの数に囲まれて、全モンスターを同時に相手するのは不可能だ。
全身が粟立ち、手足が小さく震える。これほど危険な状況では、隙を見て逃げ出すしかない。
集中してサラマンダーの様子を伺うが、なぜかどの個体も動く気配がない。
よく見ると、皮膚の色が白く変色している。これはサラマンダー特有の、低体温症の症状だ。
おそらく水魔法と氷魔法の使用により、フロアの温度が大きく下がったことが原因だろう。全ての個体が気を失っているようだった。
運がいい。ハルは深呼吸して心を落ち着かせる。
未だにサラマンダーの落下は続いている。この間に、地上にいる個体の命をできるだけ多く絶っておかなければならない。もし一斉に目を覚ましたら、勝てる可能性は皆無だ。
杖を地面に立てて、魔法の準備をする。しかし──
バギッ!
硬質な物体が割れるような音。次から次へと、このフロアは一体なんなのだ。
バギバギバギッ!
……地面だ。地面に亀裂が走っていく。
バギバギバギバギバギバギバギバギバギッ!
床全面に亀裂が行き渡った。
体を支えていた地面が崩れ落ち、ふわっと内臓が浮く感覚を味わう。
ジェットコースターに乗り、高所から落下する際に感じるあれと同じだ。
そして、ハルを含めた全ての生物が落下を開始した。
「嘘だろ……」
地盤が脆いという話はあったが、流石にここまでとは聞いていない。
もしかすると、急激にフロアが冷えたせいで、地盤がさらに脆くなってしまったのかも知れない。または、数十体のモンスターの重量に耐えられなかった、などの可能性も否定できない。
マグマにダイブするまであと数秒。
ハルには、灼熱の海の中で自分の体が溶けていくのを楽しむ趣味はない。
せめて、感覚器官をOFFにしようかと考える。
しかし下を見ると、そこにマグマの海はなかった。代わりに、ぷかりと浮かぶ島がある。
豪快な音を立てて、その島に落下。全身が打ちつけられ、肺が圧迫されたのか、息が止まりそうになる。
空から次々とサラマンダーが降ってくるが、地面と衝突して息絶えるもの、マグマに落ちて消えていくものなど様々。生き残った者はいなかった。
ヒールポーションで体力を回復し、ハルは一旦呼吸を整える。そして、周囲を見渡してみる。
──ここは一体? たしか地下にはマグマの海が広がっているはずだが。もしかすると、ギルドが知らないエリアの可能性もあるな。
決して良い状況でないにもかかわらず、未知のエリアと考えると、ハルの気分は高揚してくる。
上空からは、この場所が島にしか見えなかった。だがマグマの影響で陽炎が発生しており、いかんせんはっきりしない。
まずはこの島の輪郭をはっきりさせるべきだろう。
ハルは最も陽炎が少ない方角へと歩き出した。
しばらく歩いたが、島の端にまで行きつかない。どうやら、島はこの方向へ伸びていたらしい。
「キャアアア!」
前方から女のものらしき叫び声。
そちらに目を向けると、町で会ったプリーストの女がサラマンダーに襲われているではないか。防御結界で鞭のようにしなる尻尾の攻撃を防いでいるようだが、続け様に放たれるそれに破壊されつつある。
まずい。
ハルは全速力でサラマンダーの真横にまで接近する。
「悪いが、勝手に手を出させてもらう」
「あ、あなたは!?」
「話は後だ。ダイヤモンド・クラッシュ」
何の警戒もしていない無防備なサラマンダーの横っ腹に、氷の散弾が突き刺さる。サラマンダーの全身が凍りつき、そのまま光の粒子となって、姿を消した。
「無事か?」
「あ、ありがとうございます! た、たしか、ハルさん、でしたか? あなたまで、なぜこんな場所に!?」
複数の出来事が重なり、気が動転しているのだろう。
彼女は驚愕と緊張が混じったような表情をしており、目にはうっすらと涙を浮かべている。
「まずは少し落ち着こう。ダメージは受けていないか?」
「え? は、はい。……そうですね、体力は満タンです」
──なんだって? よく見たら、俺の方がよっぽど危険じゃないか。なんだか熱の痛みに慣れてきて体力ゲージを見ていなかったが、あと数%ほどしか残っていない。
「ああ! 体力も少ないし、酷い火傷もしているじゃないですか!?」
慌てたように聖書を取り出してページをめくると、彼女は魔法を唱えた。
「グランド・キュアリング」
上空から、煌めく金色の光がハルに降り注ぐ。すると急速に体力と火傷が回復していく。
グランド・キュアリングは高位魔法で、回復系で最上位の魔法だ。中位魔法のミディアム・キュアリングでも十分で、少々やりすぎではある。
「た、助かったよ。ありがとう」
「無事で良かったです」
「これじゃあ、どちらが助けに来たのか分からないな」
「あっ……ふふ、そうですね」
そう答えて彼女は苦笑する。いくぶんか落ち着きを取り戻したらしい。
「名前を聞いても?」
「ミオです。ジョブはプリーストです」
「改めて、俺はハル。ウィザードをやっている」
ミオの種族はどうやらエルフらしい。耳が横に尖っていて、頭に被った神官帽の脇からツヤのある金髪が垂れ下がっている。
エルフという種族は魔力・知力・敏捷性にボーナスがあるため、ウォーリア以外の職に適性がある。
年齢はハルの妹と同じぐらいだろうか。顔は色白で、三白眼の美人。スレンダーな体型に純白の神官服が似合っている。
「そういえばハルさん、その、辛くないですか、ここ?」
「熱の継続ダメージのことか? きついな。ただ少しは慣れてきた」
「そ、そうですか……」
ミオの地面を見る視線が、あちこちに彷徨っている。
何か思うところがあるのだろうか。そういえば、ミオはあまり辛そうではない。何かスキルを使用してるのかもしれないが、冒険者にそれを聞くのは野暮というものだ。
「話は変わるが、ミオはなぜここに?」
「それが……私、ドジなので、穴に落ちちゃったんです。パーティーのみんなは私を置いて先に……。と、当然ですよね。ここは落ちたらおしまいで、抜け出した人がいない地下階層なんですから」
まさか仲間を置いて先に行くパーティーがあるとは信じられない。困難を共に乗り越えてこそ仲間ではないのだろうか。
「ハルさん、顔がその、怖いですよ? 私の鈍臭いエピソードが笑えませんでしたかね……」
「ち、違うんだ。君の仲間は随分薄情だと思ってね」
「え……? だから怒ってたんですか。……でも、私は大丈夫なので、心配しないでください! ところで、ハルさんの方はどうしてここに?」
先ほど上層で起きた出来事をミオに説明する。
「ミオ、一つ提案なんだが、ここを脱出するまでお互い協力しないか?」
「脱出、ですか? ここを脱出した人はいないですよ? なので、死に戻りするしかないんです。私は、怖くてできなかったんですけど……」
町に戻る最も簡単な方法の一つが死に戻りなのだろう。しかし、それには痛みや苦しみが伴うため、嫌うのは理解できる。
ゲームの機能を利用して迷宮そのものから出ることもできるが、再び迷宮に入ろうとすると第一階層からのスタートになってしまう。
「いや、脱出できないはずはないんだ。俺はメタマイスの迷宮で、そんな構造に出会ったことはない。必ず何か方法はあるはずだ」
クリエイター製作の迷宮には、必ず運営の審査が入る。その際に、運営側は攻略性をチェックする。攻略が不可能な迷宮は当然審査に通らないし、元のルートに戻れないなど、抜け出すことができない場所があるのも不可なのだ。
「だからミオ、どうか力を貸してくれないか?」
「…………そこまで言うなら、分かりました。協力します」
「ありがとう。よろしく頼む!」
「はい、よろしくお願いします!」
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