第六話 上層の町 ステュクス①
視界の闇が晴れると、周囲には丈の短い草原が広がっていた。上を見上げると、青空の中で大きな雲がゆっくりと泳いでいる。ハルの頬を微風が優しく撫でる。
下に落ちたと思っていたが、どうやら実際にはワープのようなものだったらしい。
手のひらに痛みを感じてそちらを見ると、切り傷はそのままであり、いつの間にか体力ゲージは0に近づいていた。
急いでヒールポーションを使用すると、みるみるうちに傷が塞がった。そのまま、少し休憩を挟むことにする。
──ふう。それにしても、なんだここは。なぜ塔の中に草原が? ……いや、さっきは地面から落下したんだったな。ということは、あの塔も第一階層の階段もブラフ。大迷宮イリスは地下迷宮だったのか……。
もしそうだとすると、この迷宮の製作者ノロッパ氏とはずいぶん捻くれた性格をしている。
何はともあれ、第一階層を攻略できたことは事実であり、それ自体は喜ばしいとハルには思えた。
かかった時間はどのくらいだろうか。スマートフォンを開いて時刻を確認すると、迷宮に入ってもう12時間が経過していた。
小〜中迷宮であれば、たかが一階層の攻略にこれだけの時間がかかることはない。大迷宮の難易度はやはり高かった。
通信可能な状態になったからだろう。スマートフォンが小さな振動でメッセージの到着を知らせる。
メッセージの差出人は蒼だった。
「オッケー! 多分ソロだろうから、あんまり無茶しないように!」
とのこと。ハルは先ほど蒼に、これから迷宮に入る旨を伝えたが、それの返信だろう。
この世界には無限の可能性があり、何人たりとも未来を予測することなどできない。
にもかかわらず、なぜ蒼は未来を的確に言い当てることができたのか。素直に感嘆する部分もあるが、悔しさの方が大きい。
そのうち仲間を見つけてパーティーを組み、蒼の度肝を抜いてやろう。そうハルは固く心に誓う。
そろそろ移動するかと、草原が広がる平野を見渡す。すると遠方に、アーチを描く石橋があり、さらにその先には町なのか、家が複数集まっている場所が見える。
迷宮の中に町があるなど、これまで見たことも聞いたこともない。何かの間違いだろうか。
橋の近くまで来ると、下には幅広の川が流れていた。川には水を汲みに来ている少女がいる。
少女はこちらに気づくなり、「こんにちは!」と笑顔で声をかけてくる。
どうやらNPCらしい。ハルも笑顔で挨拶を返す。
水袋の残量があまりないので、彼女の真似をして汲んでみようと試したが不可能だった。どうやら専用のアイテムが必要らしい。少女が持っているような水差しが必要なのかもしれない。
橋は近くで見ると黒い玄武岩のブロックを組み合わせてできていた。
橋を渡ると、その先にはやはり町があった。攻略の途中に町があるとは、かなり気の利いた構造である。逆に言えば、そうでなければ攻略が困難ということだろうか。
建物の数は50程度で、どれも木造の一軒家らしい。町の外には畑がある。全体的にこじんまりとした牧歌的な町だ。
ざっと見たところ、始まりの町エクスプロリアとは異なり、ここには現実世界からの出店はないようだ。
酒場で声をかけた冒険者たちがそうであったように、この迷宮に挑戦しようという人は少ない。そのため出店するメリットがないのだろう。
町を歩く人の多くが、町民の姿をしている。NPCなのかプレイヤーなのかは定かでないが、その半分以上は、剣と杖の交差した意匠が胸にプリントされた丈の短いマントを身につけている。
いつも初めての町に入るとき、ハルは新鮮な気持ちになる。都会に出てきた田舎者のように、キョロキョロとあちこちを観察してしまうのだ。
「君は一般の人か? よくエマーティノスを突破してきたね。何か困っていることはあるかい?」
前方から先ほどのマントを身に纏い、人の良さそうな笑顔の男が声をかけてきた。
髪はサラサラとした金髪で、目は大きくやや垂れている。見た目はすらっとしているが、程よく筋肉のある体つきをしている。
しばらくキョロキョロしていたからか、どうやら心配されてしまったらしい。
しかし、一般の人とはどういう意味か。
困っているわけではないが、ハルは少し話をしてみることにする。
「親切にありがとう。初めてきたから知らないことばかりなんだ。ところで、さっき言っていた一般の人とは何のことだ?」
「ああ、ごめんごめん。僕が勝手にそう呼んでいるだけなんだ。僕はハンターギルドジャパンのメンバーなんだけど、『一般の人』っていうのはそれ以外の人っていう意味さ」
男は苦笑しながら、頭を掻いて答える。
──ハンターギルドジャパンか。先ほどから彼の様子を観察しているが、かなり人が良さそうで、迷宮を支配し冒険者に睨みをきかせている組織の一員には思えない。だが、ここは気づかれない程度に警戒しておいた方が良いだろう。
「特に困っていることはない。これから町を探索するつもりでね。悪いが、ここで失礼させてもらう」
ハルは極力自然な振る舞いを心掛け、小さく会釈をして通り抜けようとする。
「ちょっと待って。さっき初めて来たって言ってたよね。なら少し案内しようか? 僕らはこの町に詳しいんだ。なに、取って食おうなんて思っていないよ」
ハルは予想外の提案に驚いた。
この男はこちらの警戒に気づいている。にもかかわらず、わざわざ案内を? 何か裏があるのか、ただただ親切なのか。
一般に、ギルドは自社のミッションに冒険者のサポートを掲げる場合が多い。
ならこの男が冒険者を手助けしようとするのは、別におかしなことではないのかもしれない。それに、案内されるだけならば何か邪魔されるということもあるまい。
「……なら、よろしく頼む」
「任せてよ! ところで、君の仲間はどこにいるのかな。せっかくなら一緒に説明するけど?」
男は周囲を見回し、それらしき人間を探そうとする。
「仲間はいない。まぁもちろん、そのうちパーティーは結成する予定なんだがね。まずはこうして俺が攻略を進めて、この迷宮の知識を深め、その魅力を伝えられるようになればいずれは──」
「ま、まさか、ソロでここまで来たと言うのかい……?」
「それがどうかしたか?」
男の目が見開き、少しの間体の動きが固まった。しかし、すぐに元の人の良さそうな顔に戻る。
「い、いや、それは凄いね……。そう言えば、自己紹介がまだだった。僕はケント、君は?」
「ハルだ。よろしく頼む」
「ハル……。よろしくね。じゃあ、早速ついてきてくれ」
ケントは笑顔を見せると、ハルの前を歩きはじめた。
彼の案内のおかげで、この町には武器や防具を取り扱う店、ポーションといった消耗品を販売する店、飲食店兼酒場があり、それぞれで次の階層攻略に必要なモノが手に入る、ということが分かった。
店で取り扱う商品の説明までこと細かに話すので、かなりの情報を得ることができた。
「こんなところかな。役に立ったかい?」
「とても助かったよ、ケント。ありがとう」
「それは良かった。ところでハル、ギルドに所属する気はないかい? 君ほどの腕なら、すぐにでも迷宮攻略隊のメンバーになれる。ギルドに入れば、こうしてメンバーから迷宮の攻略法を教えてもらえるし、仲間だって簡単に作れるよ」
──なるほど、勧誘が目的だったのか。有益な情報を惜しげもなく差し出して、ギルドの情報力や組織力を誇示。親切な態度を示すことで懐の深さも見せる。信頼を得るには良い営業方法かもしれない。
だが──
「すまないが、ギルドに入るつもりはないんだ」
元々利益配分の面から、ギルドに入る選択肢はない。それに仲間を作るなら、できれば自分の力で作りたい。
「そうか。じゃあ、幸運を祈るよ!」
少し残念そうな様子を見せるも、相変わらずの笑顔を浮かべて手を振るケント。
もう一度礼を言うと、ハルはその場を後にした。
まずは次の階層のさらなる情報収集のため、酒場に行くことにする。
プレイヤーと会話中のNPC──先ほど川で会話済みの少女──を除き、全てのNPCと会話して情報を集めた。また、この酒場にもいたギルドメンバーは、ケントと同様気さくに声をかけてくるので、十分すぎるほどの情報を収集することができた。
そうして分かったのは、次の階層の名前はポルトカリースで、マグマが流れる灼熱のダンジョンだということ。地盤が脆く、地面は穴だらけ。もし穴に落ちたら、地下はマグマ溜まりで一巻の終わりらしい。
またダンジョンの中は非常に熱く、そこにいるだけでダメージを受けてしまうため、防熱対策が必須なのだとか。
先ほど見てきた防具店に、耐火性に優れたサラマンダー製防具が販売されていたのはそのためだろう。
それらの購入は後にし、先に宿屋へ向かうことにした。宿屋では水の補充や体力・魔力の回復、リスポーン地点の設定ができる。
受け付けで1マイスを支払い、ハルはベッドに横たわった。
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