第五話 第一階層 エマーティノス
砂岩と思われる黄褐色の岩を積み上げてできた岩壁は、優に3メートルを超える高さがある。
それに囲まれながらもまるで身を隠せずにいる、空に向かって聳り立つ塔。こちらの外壁は赤煉瓦とモルタルにより作られている。
どうやらこの塔が大迷宮イリスらしい。
岩壁の中央には巨大な鋼鉄製の門が嵌め込まれており、ハルがその門に触れると地鳴りのような音を立てて両側に開いた。
中に入ると塔の入り口が見えてくる。年季の入った重厚感のある木製のドアだ。近づくと、視界に入宮料を請求する表示が現れた。
ここから料金が発生するらしい。500マイス、日本円にして約五万円と高価だが、必要な投資だと納得している。
料金を支払い、念の為、妹へこれから挑戦を始める旨のメールを送っておく。迷宮内では電波が通じなくなり、一切外部とのやり取りが出来なくなるからだ。
木製のドアを開けた。キィという甲高い音が鳴る。
中は……赤い。
いや、真っ赤だ。フロア全面、鮮烈な赤。
床も壁も塔の外壁を構成する煉瓦と同一の素材のようだが、色あいが全く異なっている。
そしてフロアは広い。面積も高さもかなりある。部屋というよりはホールに近い。
内部は事前に調べた情報の通り、階段だらけだ。その下にはところどころ小部屋も見える。
階段全てが上の階へと伸びているが、その数が凄まじい。
ハルから見て正面と左右に、それぞれの方向へ伸びる階段があり、さらに奥には入り組んだ無数の階段が見える。
どの階段も見た目はこれといって違いがない。となると、面倒だが階段をしらみつぶしに上がってみるしかない。
まずは右手の階段を上ってみる。何の変哲もない普通の階段だ。上の階に到着すると小さな部屋があったが、中には何もない。ここは外れのようだ。
来た道を戻り、今度は正面の階段に向かう。すると、階段から降りてくる影が二つ。
ぺたんぺたんと、粘性の高い何かが地面にくっついては離れるような音が近づいてくる。
体長は40センチ〜50センチ程度。ずんぐりした体は灰色と黒色の斑模様で、ヌメヌメとした質感の皮膚に覆われている。つぶらな瞳はきょろきょろと辺りを警戒しており、頭上からは湾曲した角が二本生えている。
ブルフロッグという名の巨大なカエル型モンスター。レベルは迷宮の難易度に合わせて変化するが、どちらも表示されているレベルが35となっている。
第一階層ですでにこのレベル。迷宮を進むに連れてモンスターが強くなっていくのは道理だから、この先の困難さを窺い知ることができる。
先手必勝。カエルのモンスターは水属性が多い。ゆえに使うべきは雷属性だ。
「ツイン・サンダーボルト」
この魔法は中位の攻撃魔法に属し、魔力により上空に発生した電撃が対象に落下するというものだ。
稲光が一瞬辺りを照らした。モンスターの頭上に雷が直撃する。
バチバチと音を立てて、青白い電光が皮膚の表面を走った。しかし、カエルは何事もなかったかのように、再びぺたんぺたんと階段をおりる。
まるで効果がない。どうやらあの皮膚はゴムのように電気を通しにくい性質を持っているらしい。
二体のカエルはハルを視界に捉えると、その場からノーモーションで飛び上がった。
斜め上空から勢いをつけて落ちてくる巨体。ヘビープレスというスキルで、まともに食らえば確実に骨の数本は持っていかれる威力だ。
しかしハルは、すでにその落下地点から前方へと移動している。上空からの落下は軌道を変えることが出来ないため、すぐに回避するのが正解なのだ。
そしてカエルの落下地点に魔法を仕掛ける。
「ロック・スピア」
地面が隆起し、先端が鋭く尖る。岩属性の低位魔法だ。
カエルの串刺しができると思ったが、どうやら弾性の高い皮膚を突破できなかったらしい。いとも容易く魔法の方が破壊されてしまった。
だがこれは想定内。少しでも防御に注意を向かせるための時間稼ぎでしかない。
ハルは杖をカエルに向けると、風属性の中位魔法を放った。
「エアリアル・ブレード」
二本の疾風が猛スピードで宙を舞う。その勢いのままモンスターの体を真っ二つにすると、迷宮の壁に姿を消した。
カエルの亡骸から赤い血液が地面に流れ出る。すると、まるで迷宮がそれを啜り込むように地面に消えていった。
気のせいだろうが、心なしか床の色がさらに赤みを増したように感じる。
続いてカエルの死体が姿を消し、代わりに現れたのはドロップ品のカエルの皮材と骨だった。あまり珍しい品ではない。
ハルは小さく息を吐いた。初めて遭遇するモンスターとの戦闘の後はいつも疲労感がある。
──この迷宮、まるで生きているみたいで気味が悪い。おまけに情報がないから、何が起こるか全く読めないのも困りどころだ。即死級の罠にかかったらおしまい。さらに警戒して進もう。
その後も相変わらずカエルの襲撃はあったが、順調に探索を進めた。しかし、どの階段を上っても行き止まりしか見つからない。
この迷宮は外から見たら塔型だった。であれば上に向かって進むのが自然と言える。全て周り切ったが、そちらへ進む道が見当たらなかった。ハルは不思議に思うが、もしかすると何か見落としがあったのかもしれないと考える。
だがもう一度調査をしなおす前に、まずは階段の下にある小部屋の調査を先にするべきだろう。そこから上の階層に上がれるとは思えないが、何か手がかりが見つかる可能性はある。
ハルは近くにあった小部屋へ入った。中を調べるも、何もないただの部屋だった。
しかし、少し疲れた体を癒すにはちょうど良いかもしれない。
そう考えて座りやすそうな場所を探していると、ぺたんぺたんと音が聞こえる。いつの間にか部屋にカエルが侵入してきているではないか。
ハルはすぐさま風魔法でモンスターを一掃すると、小部屋を飛び出した。仕方なく別の小部屋の調査を再開する。
しばらくして分かったのだが、部屋に入ると必ずと言って良いほどモンスターが現れる。部屋への侵入に反応し、入り口付近でスポーンしているのだ。
さすがにモンスターの数が多すぎて、全て倒していたらキリがない。ハルは極力戦闘を避けながら、調査を継続することにした。
するといつの間にか、数十体はいると思われるカエルの群れに追われていた。だが動きはハルの方が数倍速い。
カエルの群れと一定の距離を取りながら調査を進め、合わせて休憩できそうな場所も探す。すると、床が真っ白な小部屋があった。
興味をそそられ中に入ってみたが、そこはただただ床が白いだけの部屋だった。大理石のような石材が敷き詰められた美しい床だが、他に特段言及すべき部分はない。
しかし、赤ばかり見てきたハルにとってはとても落ち着く思いがした。
ここで休憩することを決め、床に腰を下ろした。水袋を取り出して中身を吸い出し、喉を潤す。
だが、どうやら休憩はここまでらしい。
ぺたんぺたんという嫌悪感を抱かせる音が聞こえると、小部屋の入り口からカエルが侵入してくる。
──たったこれしか休ませてくれないのか。
悪態を吐きたい気分だが、それも我慢してハルは敵を処理する。
すると、カエルの体内から流れ出た血液が純白の床を赤く染めた。そして、そのまま色が元に戻らない。
何かある。直感的にハルはそう考える。
再び外から耳障りな音が聞こえてくる。だが、今度はかなり数が多い。
入り口に目を向けると、無数のカエルの群れ。取り囲まれているらしく逃げ場はない。先ほど撒いてきたカエルが集まってきてしまったらしい。
──これは詰んだか……? いや、体力も魔力はまだ余裕があるし、回復ポーションも残っている。諦めるのはまだ早い。不利だとしても、最後まで足掻くか。
そう考え、ハルは小部屋に侵入してくるカエルを、次から次へと風魔法で切り裂いていく。
その度にカエルの血液が地面に流れ落ち、床を真紅に染めていく。
なぜこの部屋だけ床が白かったのか。そして、なぜモンスターの血液で赤く染まるのか。
残念ながら理由は分からないが、ハルにはこれからやるべきことが理解できた。
カエルをあえて小部屋の奥深くまで侵入させる。そこで倒すことにより、白い箇所を血で染め上げるためだ。
三十分ほど経過しただろうか。倒したカエルの数は百を下らないだろう。敵は全て倒しきり、床もほとんどが赤く染まっている。
だが、何も起きない。敵の出現も止んでしまった。
──まさか、血が足りないのか? 床はほとんど染まっているが完全ではない。ある程度ムラがあるし、床の隅まで血液が届かなかった箇所もある。
モンスターがスポーンしないということは、狩り尽くしてしまったということ。つまり、これ以上モンスターの血液が入手できない。ならば──
インベントリから青白く光るダガーを取り出す。魔剣の一種で、一定以上の知力がなければ装備ができず、使用の際には魔力を消費する。
そのダガーで、ハルは左の手のひらを切りつけた。
「ぐっ……」
一瞬カァっとする灼熱感を覚え、すぐに強い痛みが襲ってくる。
手のひらから赤い血がボタボタと流れ落ちる。歯を食いしばりながら、その血を未だ染まり切っていない箇所に流す。
すると、床がみるみる赤く染まっていく。
だが、血液が流れるのと同時に、体力ゲージが凄まじい勢いで減っていく。
それだけではない。血液が急速に体内から流れ出し、貧血症状からか意識が朦朧とする。
足がふらつくのを杖で支えながら、それでもハルは自らの血液で床を濡らしていった。
そして、最後の箇所を赤く染め上げた時、床がパァと赤い光を放った。
どうやらうまく行ったらしい。これで上の階層に続く階段が現れるのだろうか。
しかし、ハルの予想は大きく外れることとなった。
突然光を失うと、床が姿を消し、漆黒の闇が広がった。
「なん、だと……?」
何の抵抗する術もないハルの体は、重力に逆らうことなく奈落へと消えていった。
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