読書数マウントについて
あー、どうも熊ノ翁です。
「俺ってば〇〇冊の本読んだんだぜー!」っていう例のアレ。
創作界隈で親の顔より見るイキりですわな。
あれ、物書きがあんなもんでマウント取れるとよく思えるなと毎度不思議に思うんですよな。
いやさ。
これが「評論家です」とか「読み専です」とか「本屋の店員です」なら分かるんすよ。
その立場からは、読んだ本の数が評価に関わってくるでしょうし。
でもさ。
文章書いて読まれてなんぼの物書きが、〇冊読みましたって言った所で「え、それが何か?」となるのが関の山かと思うんですわ。
1万冊読もうが1億冊読んでいようが、物書きなんて仕上げた作品の出来栄えが悪いなら、分量が少ないなら何の自慢にもならんわけで。
むしろ「そんだけ読んでてそんなもんかよ」と言われかねないわけで。
だってのに、読んだ冊数でマウント取ろうとすんのは悪手も良い所だよなと思うんですわ。
いや、マウントとれるなら良いんですがね?
たとえば、たとえばですよ。
ここに熊という物書きがいたとします。
彼はそこそこの分量の書籍を読んでおり、社畜になった今も月平均15冊程度は読んでいて、映画も月に10本程度は見ています。
が、なにせ書く速度が遅い。
毎日更新が当たり前なネット投稿小説サイトにあって、彼が更新するのは週に一度あれば良い方。
しかもエッセイが多く小説はめったに更新しない。
した所でランキングに入る事はまず無いし、書籍化ももちろんしていない。
さて、そんな人物が「俺は今までに〇〇冊もの本を読んだぞおおお!」と言ったとして、一体だれが評価してくれるのでしょう。
「ふーん。で、君は何を書いてんの?」で終わりでしょう。
マウント取るなんて夢のまた夢。
バカにされて終わりです。
これを読んでる方で「うわあー! 熊さんすっごーい!」なんて賞賛してくれるのは、金を渡した夜のお姉さんか1000万円渡した直後の頂き女子くらいのものでしょう。
ハッキリ言って、誰も認めてくれないんすよな。
むしろ惨めになるだけ。
本を読む行為は物書きにとって無駄ではないです。
そりゃあ何より物語を作る上での勉強になりますし、調べものや資料として参考にもなります。
が、それらは全て書き上げた物があってこその話です。
ロクに話も作れず仕上げられず、誰かから評価されたわけでも無いってのに、物書きとして褒めるべき所なんてありゃしません。
そもそもマウントを取るという行為は、相手に自分の価値を認めさせなければ成り立ちません。
書籍化してたり、そうでなくとも日々サボらず執筆していて、自分よりも多くの読者や仕上げた作品を持つような相手に対して「俺は〇〇冊も本を読んでるんだぞぉー」と吠えるなんて、むなしい以外に無いでしょうし相手もこちらの価値を認めてはくれないでしょう。
だからまあ、そういう真似は単純に損得だけで考えてみてもやめておいた方がいいんじゃないかと熊は思うんすよね。
逆に極論ですが、一冊も本を読んで無くとも10作品ほど長編小説仕上げてる方が物書きとしては全然評価されるでしょうし。
書き手で読んだ本の数が評価されるのは、ちゃんと作品仕上げてて評価されてる場合でしょう。
その時は「ああ、やっぱりこれだけきちんと書いているだけあって本もちゃんと読んでるんだね」と評価してもらえるはずです。
だから、物書きが物書きとしてマウント取りたいってんなら、沢山作品書いて多くの読者さんを楽しませる以外に無いんですよな。
あ、ついでに。
熊みたいに「つ、Twitterなら沢山文章書いてるし!」ってのは、可哀そうな物を見る目を向けられるのでお勧めしない。
そんなこんなで、創作界隈でマウント取りたくて仕方がない物書きの皆様。
熊と一緒に、今日も元気に書きまっしょい。
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