不幸にみえる幸福
家の匂いに混ざる、教師の埃っぽい匂い。校長は、母さんが出したお茶を困ったように啜って、担任は指先に苛立ちを募らせていた。まるで一対二で指導を受けているようだった。一応、俺は被害者なのに大人はこういう風に追い詰めようとするから狡い。
「御波。警察では話したんだろう? 何があったか言ってみろ」
俺の失踪は、それなりに大きな話題になっていたらしい。優等生が突然行方不明になったんだから、心配されて当然だ。「大丈夫か」「犯罪に巻き込まれたか」なんて言っているけれど、その目に映っているのは俺じゃない気がした。
「家にも学校にも不満がないのなら、事件に巻き込まれたのか? お前が突然、いなくなるなんてあり得ないだろう。学校には戻れそうか? 先生、お前が戻ってこないと」
「困りますか?」
ようやく言葉を発した俺に、ここぞとばかりに話を盛り上げようとしてくる。学校のみんなも心配している。先生も心配している。楽しそうに学校に来ていたじゃないか。お前が戻ってくれたら、みんなも勉強に専念できる。
「……そうですか」
話せば話すだけ、墓穴を掘っているのに、教師はワンマンライブに浸っている。取り付く島がないくらい話すから、笑ってしまった。
「どうした? 御波」
「すみません、可笑しくて。でも、俺には先生が困ってるのって関係ないんですよね。だってあなたが心配しているのは、1でしかないでしょう。大学進学人数の1が減るって」
大の大人が目を見張っていた。まるで悪夢を見たように、微動だにしない。担任が声を荒げた。
「御波! お前」
あの人だったら俺がこんなことを言っても、それ以上踏み込もうとしなかっただろう。「そういう考えなんだ」なんて片耳で聞き流すだろうな。責任も持たずに、土足で踏み込むなんてしない。だから、俺もこれ以上踏み込まないでくれたら何も言うつもりなかったんだ。それなのに担任は、叱りつけるように声を荒げている。何か騒いでいるけど、右から左に抜けていくだけだった。俺が反応しないのが腹立たしいのか、声はもっと大きくなって、校長まで伝染していった。ああ。ホント、サイアク。
「俺、学校が嫌だから逃げたんだよ」
狡い大人たちは黙った。聞いていないふりをした。幸福を型にはめた大人は、型から出た子どもを嫌った。右を向かない子どもを黙殺した。そんな子どもを縛って、檻に入れるのか。
でも、檻はいつだって壊れて星になる。
俺は、決してあの人の話をしなかった。きっとこの先、何があってもするつもりはない。あの人が今どうしているのか、薬漬けになっているのか、不摂生で胃を痛めているのか、知らない。そもそも俺は何も知らない。犯人が誰で、どうして俺を誘拐して、何を欲していて、どうして俺を逃がしたのかも、きっと多分何も知らないんだ。言葉にしなかったら、無いのと同じだから。
でも、あの男の新刊が本屋で並んでいるのを見る度に、不格好のオムライスを思い出して、胸やけがする。
終
壊れた星を喰らう 涼風 弦音 @tsurune
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