壊れた星を鳥が喰らう

 男が耳元で、緩く数え終えた。

「答えてごらん、凪くん」

「俺は……あの鳥が羨ましかった」

「足りないな。言ったよね、逃げるなって」

 するすると、首に這った布が絞められる。空気が薄くなって、肺が縮まる。それでも、促されるままに続ける。

「言葉にしないと意味はないんだよ」

「ッ……。あの鳥が羨ましかったのは、おじさんも一緒だと思うけど」

「そんな風に見放すなよ。凪くん、教えて。君はどうして、あんな言葉を書いた? 僕が漠然と書いた物語の終わりをどうして言い当てた? 君は僕の感情を言葉にしたんだ」

「言葉に出来なかったんだ」

 鳥は追われて捕まって、もう逃げなくてよくなった。だから、全部終わって安心した。

 そんな鳥に共感したのに、優等生が教室でいうべき発言ではないと口を噤んだ。大人は、俺たちが逃げることを許可しない。正直、これから先にある受験だの、就職だの、結婚だの、何一つ楽しみでも煌めいてもいない。未来は別に明るくも暗くもない。普通として用意されているからこなしていくだけだ。それが優等生に求められるものだからこなしていくだけだ。

 この人は俺にいろんなことを問いかけた。でも、答えを求めて来なかった。投げかけられた問いは積もっていって、有り余った時間はその問いを解けと脅迫してきた。

「共感しても、理解しても、俺はそれを言わなかった。考えることすらやめるべきだと思っていた」

 模範解答を言ったところで作者からすれば不正解だった。じゃあ、正解って何だ。誰のための正解で、何のための正解なんだ?

「俺、あなたと似てるのかもしれないよ。こんなおじさんと似てるとか思いたくないけど、多分そうなんだよ。俺もあなたも何かに追われて、苦しくて、どうにもならないから真っ白になって……。俺は言葉を殺して、周りに合わせて何となく笑っていた。あなたは……。あなたは、何をしたの?」

「……僕は待っていた。僕のもやを集めて水にする人を待っていた」

 男が手を握った。布は細く短くなる。もし、不正解ならここで終わりなんだろう。明日が手に入らないと思えば、欲しくなる。でも俺にはこれ以上の答えはない。男の満足いく答えでなくても、俺が持っている言葉こそが正解のはずだから。

「……以上が、俺の答え。あなたが不正解に感じても、これが俺にとっての正解だから。異論は受け付けない。いいよね」

 男は小さく頷いた。渋々ではなく、納得しているようにゆっくりと下を向いた。

「もう一つ教えて。ここでの生活はどうだった?」

 今更な質問だ。ここで、俺の背に身体を擦り付ける男は、文豪でも狂った男でもなく『ただのおじさん』にしか思えなかった。

「……ホント、サイアク!」

 立ち上がると、咽る程首が絞まる。張った布をナイフで切り落とすと、男の腕もぽとりと落ちた。さらりと滑る布。淀んだ瞳に微笑む俺がいた。男は止めない。ただ、幸せそうに泣いているだけだ。

 この檻は、誰のために用意された物だったのか。少なくとも俺のために用意された物じゃない。椅子を持って振り上げる。肩の骨がそのまま後ろに持っていかれそうになるけど、窓に放り投げた。ガラスは割れる。欠片は壊れて星になる。

 壊れた星を鳥が喰らう。

「でも、ここは不幸に見える幸福だったよ」

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