第10話 友人との会話②

「・・・・お久しぶりです、先生」

 二週間ぶりに姿を現した牧瀬君は、まるで死人のようだった。


 喫茶店での牧瀬君との会話から、早二週間が経とうとしていた。彼とはあの日以来、音信不通の状態になり、今どこで何をしているのか全く分からない。

 心配する気持がないわけではない。むしろ彼の安否が気になってしょうがないのだが、私には私の生活がある。そもそも私一人が動いたところで彼を見つける自信がない。彼の事は彼を担当していた編集者の方が探しているそうで、警察も動いているそうだから、今はとにかく心配する気持を抑えて自身の生活を全うしようと決めた。

 その日も私は大学での講義を終えて、自身の研究室へと向かっていた。私の研究室は大学の本校舎の隣、別棟と呼ばれる古い建物の二階にあった。日の差さない薄暗いところで学生も滅多に近寄らない淋しいところである。

 だから、研究室の前に立つ人影を見たとき、不審者か何かだと思って少し身構えてしまった。

 別棟二階。廊下の突き当たりにある私の研究室前に男がいる。よれたシャツに薄汚れた革靴。白髪交じりのボサボサの髪に極端な猫背。如何にも怪しげな男が何をするでもなくただそこに佇んでいる。

 その男が肩から提げる黒革のバッグが目に入らなければ、私は大学事務に助けを求めに行っていただろう。

「・・・・・・牧瀬君?」

「・・・・お久しぶりです、先生」

 彼は全く生気の感じられない顔をこちらに向け、ぎこちない笑みを浮かべた。


 私はとりあえず彼を研究室の、隅に一応作られていた(これまでほとんど使っていなかった)応接間のソファに座らせた。インスタントコーヒーを出すと、彼は手に取ってちびちびと飲み始める。

 とりあえず私は、一番聞くべき事を聞いた。

「今まで、どこに?」

 彼はコーヒーを机において、俯きつつ答えた。

「・・・ずっと、調べてました。あの町のこと、異形様のこと」

 でも、と彼は続ける。

「アレがなんなのか、分からないんです。町民に取材しても要領を得ない回答しか返ってこないし、資料を漁ってもめぼしいものは無い。でもアレは、確かに存在してて、居るんです。恐らく町民は、アレの恩恵を受けてる。アレと共存して、移住者を、盛岡さんを・・・!」

 今にも叫びだしそうなほどに興奮している彼を宥めつつ、私は更に質問を重ねる。

「そもそも、どうしてそこまであの町にこだわるんですか?」

 彼は大きく息を吐いて、この問いに静かに答えた。

「・・・・・僕には、ライターとして記事を書く上での師匠がいました。その方は盛岡さんと言って、当時はM新聞の記者をされてました。仕事一辺倒の人でプライベートも捨てて家庭も築かずに記者をやってた。私はある仕事で盛岡さんとご一緒する機会があって、その仕事に生涯を捧げてる感じに憧れて、『俺の記事読んでくれませんか』って言ったんです。そしたら後日、ちゃんと読んでくれて、ダメ出しとかアドバイスとか、色々してくれて。そこから記事を書いたときは必ず盛岡さんに見せてアドバイスをもらう、師匠と弟子の関係になってました」

 彼は昔を懐かしむように感情を交えつつ語る。そんな彼の話に私は静かに耳を傾けていた。

「でも、ある日盛岡さんは『仕事に疲れた』って言って記者を辞めてしまいました。『自分の存在意義が分からなくなった』って。それから数日もしないうちに東京から東北の方に引っ越して行ってしまいました。それ以来、メールでしかやりとり出来なくて、そのメールも次第に少なくなってきました。僕は盛岡さんに見捨てられたようで悲しかったけど、とにかく仕事を頑張って、盛岡さんの弟子として恥じない生き方をしようと思ってたんです」

 あれは盛岡さんが引っ越して半年以上たった頃です、そう言う彼の声には不穏な気配が感じられた。

「クリスマスの日、朝起きるとパソコンに盛岡さんからメールが届いてたんです。三ヶ月ぶりくらいだったんで、嬉しくて。すぐにメールを開くと、そこには動画がありました」

 彼はおもむろにバックの中を探りパソコンを取り出して机に置いた。そして、「これがその動画です」と私に件の動画を見せてきた。

 それは恐らく、彼の言う『盛岡さん』が鬱蒼とした森の中を歩いているところから始まる。雪がちらついていることから冬に撮られたもので、程良く整備された坂道を歩いていることから山でも登っているのかなとまでは推測できる。ただどこの森、山を歩いているのかまでは分からない。

 その映像は一時間ちょっとあり、私は食い入るように画面を見つめていた。

 正直、これは牧瀬君が作ったフェイク動画だと思った。およそ現実とは思えない光景が、画面中には広がっていたから。

「これは・・・」

 私が言葉を探す中、彼はフフフと笑った。

「それは、実在します。居るんですよあの町に。あの山に。僕は・・・、行かなければ」

 そう言って、彼はスッと立ち上がった。

「この世には、知らない方が良いことがたくさんあります。今回の件もその類いであることは最早疑いようがありません。でも、僕は知らなくちゃいけない。盛岡さんのためにも・・・。先生、もし僕に何かあったらあの山に来てください。そこに答えがあるんです」

 意味の分からないことを言うと、彼はさっさと研究室から出て行ってしまった。その背中には揺るがぬ決意のようなものを微かに感じた。

 唐突な訪問に始まったこの一連の出来事に、私はしばらく呆けていたが、我に返ってすぐに牧瀬君の担当編集者と警察に連絡を入れた。

 

 この研究室での出来事以降、彼がどこに行ってしまったのか、何をしているのかは分からない。・・・・・否、どこにいるのかは、分かる。

 でも、探しに行こうとは思わない。だって・・・・、食べられたくないから。



あの町には、あの山には、絶対に行かないでください。

 

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