暗い道の先に

(え?!)


 この子はどこに飾ろうか。

 しばらくはベッドで一緒に寝ようかな? むかしみたいに。

 フフ……。

 子どもっぽいって笑われるかな。


 くまさんとの生活を思い描いて一人楽しんでいたけど、はたと我に返る。

 繁華街の人通りの多い道に出て、いい大人がぬいぐるみと向き合って一人で笑っていたら、変な人に見られる。

 真面目な顔を作って顔を上げたら……。


 暗い。


 は?

 えっ?

 ええっ?!


 あたりを見回してもピカピカのイルミネーションなんてどこにもなくて、楽しげな音楽も聞こえてこない。


 なんで?

 いつの間に?


 目が慣れてきて、自分がいるところが分かってきた。

 住宅街だ。

 ありふれた、似たような家が通りを挟んで並ぶ。

 灯りはどこの家も全く点いていない。

 しんと静まり返って、まるで夜のしじまに沈み込んだみたい。

 黒い墨で塗りつぶしたような、真っ暗闇。

 私は道の真ん中にポツンと一人。


(怖い……)


 幸せな気分は吹き飛んでしまった。

 まるでホラー映画の世界。

 夢遊病? ふらふらしていたら迷いこんじゃった?

 ぎゅっとくまさんを抱き締めた。

 頼りはあなただけというように。

 クシャッと音を立てて、せっかくのラッピングがへしゃげた。

 そういえば昔も独りぼっちで、くまさんに頼ることが多かったなあ。


(と、とにかく、先に進もう)


 立ちすくんでいても仕方ない。

 くまさんは笑ってくれている。

 少し勇気が出た。


 コツコツ、コツコツ……


 ブーツの足音がやけに夜の闇に響く。

 冷たい風が頬に痛い、心も凍える。


 私、どこに向かっているの?

 どこに向かわされているの?


 延々と続くような一本道。

 誰にも会わない、誰もいない。

 不安は黒い渦となって私を飲み込むように心の底で警戒音を鳴らす。

 まるで息も出来ない深海の底に置き去りにされたよう。

 押し潰されそうで、鼓動するのも心臓が痛い。


 ぽっと、目の前に灯りがともった。


 どこかの家の外灯だ。


 お化け屋敷も連想するようなオレンジの古めかしいそれも、今はわらをもすがる心地で引き寄せられる。

 建付けの悪そうな引き戸。

 なのに、するりと開いた。

 ガラガラと驚くくらいに音が鳴って、びくっと体は強張ったけれど。


「ごめんください……」


 分かった。


 知ってる。


(ここは……)


 昔の私の家だ!


 小学校の低学年、一時期暮らしていた借家。

 お母さんは逃げてきたんだ。

 だから、古ぼけた家しか借りられなかった。


 誰から?


 名前も知らないお父さん。


(そうだ、そうだった……。思い出した……)


 あのころの私は独りぼっち。

 外に出ちゃいけませんっていわれてたから。

 お母さんはお父さんの影に怯えていたんだ。

 居場所を知られるのが怖かったんだと思う。

 私を取られるのが怖かったんだと思う。

 私はでも、一人きり。

 あの頃は意味も分からず。

 学校でも、学校が終わってからも独りきり。


 友だちなんて出来ない。

 出来るわけがない。

 幼い私にもお母さんの恐怖心が伝染したようで、知らず知らず人を避けていたから。

 クラスのみんなは私を遠巻きにする。

 ひそひそと私を見ては何かを話してる。

 先生も何か、私に対しては遠慮がち、触れたくない感じ。

 先生だけじゃない、大人も誰もが。


 そんな気がしていた。


 人の目も声も痛くて、私は学校から帰ればお母さんがお仕事から帰るまで、陰気な巣穴の底の、さらに奥で隠れていた。


 ああ、胸が締め付けられる。


 なんで、なんで、今さら……。


 くまさんが笑ってる。

 くまさんだけが、暗く孤独な世界のなかで私に笑いかけてくれる。


(そうだ)


 くまさんが私の支えだった。

 くまさんだけが私の友だちだった。


(あれ? ちょっと、待って……)


 くまさん、いつ、誰にもらったんだっけ?


 ねえ?


 私の腕のなかにいるくまさんは笑ってくれているけれど、応えてくれるはずもない。

 その笑顔には昔も今も励まされていたのに。


 それなのに。


 ある日、くまさんとおままごとしてたら、何かの拍子につまずいて転んだ。

 くまさんを放り投げてしまった。

 大事な友だちなのに。

 たった一人の私の味方なのに。

 くまさんの胸が大きく裂けてしまった。

 ざっくり裂けた傷の大きさに、はみ出てきた白い綿に、相当なショックを受けた。


 子どもの自分には何も出来ない。

 どうしようもない。

 悲しくて……、悲しくて……。

 ごめんね、ごめんねって繰り返すばかり。

 大きな傷を懸命に撫でても治るはずもなくて。


 夕暮れ時だったと思う。

 紅く染まる町並みが涙でにじんでいたから。

 私は何故か外に出ていた。

 多分、お母さんを捜しに行こうとしていたんだと思う。

 きっと帰ってくる、もうすぐ。

 お母さんならくまさんを助けてくれる。


 独りぼっちに気付いた。

 独りぼっちが急に怖くなった。


 助けて!


「どうしたの?」


 悲しみと不安と涙でいっぱいの私に声をかけてくれた人がいた。


 となりの、高校生のおねえさん。


 しゃがんで目線を合わせて頭を優しく撫でてくれた。

 小さな私にはずいぶん大人に見えたっけ。

 もう何がなんだか分からなくなって、すがるように泣きじゃくった。


「うんうん、大丈夫。おねえさんに任せて」


 おねえさんは優しく抱くようにして、私を自分の家に誘ってくれた。

 あったかいココアの甘い香り。

 暖かい部屋と、もっとあたたかいお姉さんの笑顔。


「ずっと君のこと、心配してたんだ。うちのお母さんもね。何かあったら大変って」


 泣き止んだ私に、おねえさんは子猫を撫でるように話しかけてくれた。


「君のお母さんもね、本当はね……」


 お母さんからは、となりに気をかけてもらって悪いとか聞いたこともあった。

 多分、お母さんも人に頼ることがへたな人だったのだろう。

 何となく、子ども心にも察するところはあった。


「はい、出来た!」


「うわあ! おねえさん、ありがとう!」


 おねえさんは器用で、くまさんの傷を縫ってくれただけでなく、素敵なかわいい服を着せて傷も目立たなくしてくれた。

 まるでお医者さん、ううん、魔法使いのように見えたっけ。


 おねえさんが大好きになった。


 私は何かと、となりにお邪魔させてもらうことが多くなった。

 おねえさんと一緒ならどこへでも行けた。

 おねえさんに連れられて放課後の公園へ。

 おねえさんのおかげで、くまさんがきっかけで、お友だちも出来た。


 おねえさん、くまさん、ありがとう。


 私はほら元気にしているよ。

 笑えているよ。

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