第3話 磐石の為に

 魔導の庭園セントラルに赴いて一週間。

 レティキュレートは存外優秀な存在な様で、入学までにはと言っていた気がするが早くも杖を完成させたらしい。

 杜撰な仕事をしていたら――という心配はしていない。魔杖職人は良くも悪くも自らにプライドを持っている。十七代目まで続く職人ともなれば、襲名するには並々ならぬ努力と執拗性が無くてはなれないだろう。


「ゲルマニカ様、梱包の魔法が施されております。わたくしが開きましょうか?」

「ふぅむ……私が開けよう。少し下がっていろ。中々の長さだったからな」


 頭を下げて数歩引いたのを確認してから手紙の魔法を解くと、一本の長い杖が現れる。

 空中に浮いているそれに手を伸ばして握れば、私の脳にかつての記憶が、改めて自覚を促す様に鮮明に流れる。


 虫の帝として、十七人の家族が確かにそこにあった記憶。善なるアストラエアをとして、私達が無邪気に遊び回り、学び舎を建てた記憶。

 龍血の勇者としてその身を犠牲に世界の平和を掴んだ記憶。多くの魔族や魔物と呼ばれる存在を剣一つで斬り伏せ、疑似的な神として崇められた力でもって魔王と心中した記憶。


「嗚呼、これは――」


 目を覆う黒布が濡れるのを感じる。

 もう救われても良いと思ってしまった私が流すであろう最初で最後の雫。魔術の触媒として、何かしらの護りに使えるだろうから収納魔法に、最後の一雫を吸い取らせてからしまう。


 一連の様子を側で見ていたホブゴブリンが私に駆け寄る。この人生でも、私は愛されているのだと思うと彼が愛おしく思える。


「ゲルマニカ様!?」


 私が泣く姿なんて見た事も無いだろうホブゴブリンが慌てているのが分かるが、私はホブゴブリンの方を見て笑う。

 


「気にするな。私もまた、一人の人間だという事だ。お前には心配をかけてばかりだな」

「いえ、わたくしは貴女様をお守りせよと命を受けておりますので。何か御座いましたらわたくしをお使い下さい。ゲルマニカ様はどれだけの力があろうと、まだ子供なのですから」

「ふむ、それなら少しお願いを聞いてもらえるかな?」

「なんなりと」

「確かカラスレーヴァンは家に何匹か居ただろう? レティキュレートに謝意の手紙を出したい。代筆を頼む。私は少し部屋でやる事が出来たから、お前は手紙を書き終えれば自由にしていて構わない」


 頭を下げたホブゴブリンに背を向けて、新たに取り出した黒布で瞳を覆って部屋に戻る。

 私の部屋には多くの魔道具が置かれており、その中でも大きさだけなら随一の絵画の前に立つ。


 魔導とはアストラエアに仕えた十三人の魔導師が魔法と魔術などを総称する単語として定義したもの。不思議な力の総称と考えればそれで構わないが、魔導は時として面白い力を発揮する。


 その一つが絵画。

 魔導師が丹精込めて描いた絵画は動き出す。

 魔導を使った感覚なぞ無くとも動き出す不思議な絵画にはいつしか魔導師が絵を描けば動き出すという事実思い込みが浸透し、やがて魔導師は意識しなくては普通の絵を描けない存在に成り果てた。


 動く絵は不思議で終わるが、絵描きを専門とする魔導師はその動き一つ一つが触媒となって一つの魔術を組み上げる。

 結果として生まれたのは、絵画世界に入り込める没入型の絵画。需要があるのかと初めは疑問視された技術だったものの、外の存在に感知されないという利便性に気付いた少数の魔導師は好んで買い求める様になった。


「中に入るのは久しぶりだな」


 黒に塗られただけの絵画世界に踏み込めば、途方も無い空間が広がる。

 これだけ広い空間を描ける絵師は中々居ない。私も知り合えたのは幸運と言うしかなく、の絵師はかなりの高齢だったからもう居ないかもしれない。それは少し、悲しい。


 だが生きてるか死んでるかも分からない存在に時間を割くほど私は優しい存在では無い。鮮明に思い出された記憶を力に変えて杖で地面を二回つけば、感じ慣れた存在が召喚される。

 召喚魔法や儀式魔術には何かしらの大きな力を必要とする事が基本だが、私の中とも呼べる空間に存在する二つを呼び起こすのに、然したる力は要らない。


「お久しぶりです……今はベルーガと名乗っているのでしたね。かつての貴女とは違う可愛らしい容姿ですよ」

「ふはっ、まだ幼いからそう見えるのだろう」


 私の容姿に言及した薄い羽のみでその体を包むソレは、私が虫の帝として造り上げた最高傑作とも呼べる月明かりの蟲姫。

 大きさは今の私の半分程しか無いが、その身に秘めた力は大きく、私の最後の魔法を与えたから虫の塔にある遊び場――サンドボックスの管理者でもある。


「貴女が何かを造ったのは私だけだと思いましたが、此方の方は? 触れても熱くない炎で出来てるだなんて、面白いですね」

「僕は龍血の妖精さ! ベルーガの人生の一つで生まれた使い魔。血を使って創られたから家族みたいなものさ!」

「まぁ。ベルーガが家族と認めるだなんて、貴方は良い人なのね」


 龍血の妖精は小さな存在だが、かつての私が有していた血の半分以上で構築されているから個体として確立している。

 炎が人の形をしていると言えば分かりやすい表現だろうか。とにかく、そういう存在だ。


 私という存在によって構築された存在だからか出自の異なる世界の存在であっても打ち解けた二人がかつての私について何が凄かったのかを言い合って意気投合しているが、遮断。


「悪いが、私の提案を聞いて欲しい」

「何かしら……?」

「さぁね。僕の予想だとベルーガは――いや、何でも無いから魔力を収めてよ。怒った魔力は流石に冗談でも怖いんだから」


 妖精は人生の一つだと語った。

 蟲姫を造ってからおよそ二千年が経過する間に幾つかの人生を歩んだのをこいつが観測している可能性があるが、私は二つの人生を思い出せただけで満足だから特に聞く気は無い。


 一つ目の人生も二つ目の人生も大いなる力を持って生まれた。それにも関わらず私は前世を思い出す事なく過ごしている。

 それはつまり、今世が今までに無い存在となっているから――それには心当たりがある。今世の私ならば特別な魂の記憶を呼び起こす事など簡単だろう。二つに留めたのは犠牲の先を両目にしたからか、偶然か。それは無意識だから私にも分からない。


「お前達には私と一つになってもらいたい。今私が有する力は知っているだろう? それを使えば一つになるのは簡単だろうが、反対意見を無理矢理聞いてまで一つになるつもりは無い。自我を大切にしたいのなら私の話は断ってくれて構わない」

「それは――」

「僕達は――」


 二人が顔を見合わせて、私に笑いかける。

 随分と仲良くなった様で作り手としては嬉しいが、かつてはここまで自由な存在だっただろうか。もう少し無機質なイメージがあったのは私の記憶違いだろうか。


「その申し出、受け入れます」

「元々ベルーガの血だからね! 返す時が来ただけさ!」

「……そうか。ありがとう」


 必要なのは内側だけ。

 外は要らないが、いつか蟲姫の体は使う日が来るかもしれない。魂を入れて安定させるとか、何も持たない体に身を堕とさせて絶望させるとか。用途はそれなりにあるが、龍血の妖精は魂を抜いたらその体は恐らく消えるから期待はしない。


「それじゃあ、いこう」


 二つの魂を抜いて私に組み込む。言葉にすると簡単な様に思えるそれは、自分の魂に異物を入れ込む行為だから相応の異常痛みが伴う。

 血反吐は吐かないが、杖を放り捨てて地面にくの字に横になった私は絶叫を上げてのたうち回る。時間にすれば小一時間。

 私はこれに勝る苦痛を味わった経験は無い。

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