第56話 不安は現実となり襲いかかる

 萌絵への返事をどうしようか──誠也はずっとその事を考えている。

 次に会う時までには答えを出さなければならない。


 元々は静かな高校生活が望みだった。

 それが瑞希という存在がそれを大きく変えた。

 萌絵との出会いも瑞希がいたからこそ。


 だが……萌絵の気持ちを知ってしまった今、誠実に答えないと失礼にあたる。

 きっと生まれて初めてだ。異性の事をこんなにも真剣に考えるのは……。


「僕は萌絵さんの事をどう思ってるんだろ。それに付き合うって言っても、どういう事なのかなぁ」


 今までと何かが大きく変わるのだろうか。

 付き合うと言えば、瑞希とは偽りの恋人関係だった。

 変わった事は賑やかになったぐらい。


 その程度ならわざわざ付き合う必要なんてないのでは?

 そもそもLIKEからLOVEになったところで、何が違ってくるのか誠也には理解できなかった。


「デートとか、き、キスしたりとか? 確かに瑞希とはデートとかキスをしたけど、瑠香とだって出かけたりしたし、萌絵さんとも……」


 頭の中で萌絵とのキスシーンが浮かび上がり、誠也の顔が真っ赤に染まる。

 萌絵の事を好きなのだろうか──嫌いでないという事はそうなのだろう。

 いや、萌絵だけではない、瑠香や瑞希に対しても同じだ。


 告白されて自分にはない感情が芽生えているのも事実。

 それは瑠香の時とは違う特別なもの。

 つまり、誠也が特別に想っているのは萌絵という事になる。


「んー、萌絵さんが特別なのかなぁ。だけど──」


 急に湧き出てきたのは瑞希の笑顔。

 たとえ偽りであったとしてと、瑞希と過ごした時間は短くない。

 数々の楽しい思い出が蘇り、思わずひとり笑いをしてしまう。


 当初望んでいた高校生活とはかけ離れているが、決して悪いものではなかった。

 突然の告白──しかも偽りからすべては始まったのだ。


「分からない、萌絵さんになんて答えればいいんだろ。そりゃ、萌絵さんが可愛いのは確かだし、ちょっと強気なところもあるけど、僕は嫌いじゃないんだよね」


 それを言ったら瑞希も同じ。

 決定的な違いは偽りの恋人と本物の告白ということ。

 瑞希が気にならないわけではないが、冴えない自分に好意を抱くなどありえない。


 相手は氷姫と呼ばれしかも超がつくほどのお嬢様。

 偽りの告白がなければ、近づく事さえ出来ない雲の上の存在だ。

 今まで距離が近かったのは、単に偽りの恋人だったからだと誠也は思っていた。


「仮に萌絵さんの告白を受け入れたとしたら、瑞希との関係はどうなるんだろう。今までどおりなのかな? ううん、それはないかな、フィアンセだっているんだし、きっと出会う前に戻るだけだよね」


 瑞希と過ごした時間は嫌いではないし、それがなくなると思うと寂しい気持ちになる。心に大きな穴が空き、何かとてつもなく大切なモノをなくしたような感じだった。


 そもそも、本当のところ瑞希をどう思っているのだろうか。

 一緒にいて楽しかったのは確かで、もしかしたらその感情は誠也だけのものかもしれない。

 瑞希の気持ちを無視するとすれば、好きという部類に入るはず。


 しかしその感情がLIKEなのかLOVEなのから分からない。

 少なくとも、瑞希と一緒に何かしている時が一番楽しかった。


「ダメだよ、瑞希とは偽りの恋人関係なだけだし、僕なんか眼中に無いはずだもん。違う、どうして瑞希の事を考えてるんだろ? 今は萌絵さんへの返事を考えないといけないのに……」


 思考がいつの間にか瑞希へと向いてしまう。

 なぜなのか誠也自身にも分からず、幾度となく萌絵への返事を考えても、最終的には瑞希が頭の中を占有する。


 このままではダメだ──いつまで経っても萌絵への返事が考えられない。

 頭を切り替えようと努力するも、永久ループにハマったように毎回必ず同じ結果となる。


 どうすればここから脱出できるのだろうか?

 違う、脱出なんて必要ない。これが答えである事に誠也はようやく気がついたのだ。


「そっか、そうだったんだ。たとえ偽りの関係であったとしても、僕は瑞希と一緒にいたいんだ。この気持ち……ちゃんと伝えよう。ダメでもいい、きっと言わなかったら後悔するから」


 ようやく小さな一歩を踏み出した誠也。

 萌絵には学校できちんと話そうと決める。


 罪悪感がないと言えばウソになるが、自分の気持ちは偽れない。

 この感情がLOVEかどうか分かっておらず、それでも誠也は自分の心に従おうと決めた。



 冬休みも明け、普段と変わらない日常生活が始まろうとする。

 そう、あの楽しい日常が訪れるはずであった。


「珍しいかな、瑞希が迎えに来なかったのは」


 きっと新年の挨拶回りとかで疲れているのだろう──そう思い、誠也は深く考えなかった。


「鈴木誠也! ちょっと話があるから来なさいっ! 言っておくけど拒否権なんてないから」


 平穏な空気を壊す萌絵の大きな声。

 クラスの視線が一斉に誠也へと注がれる。


 慣れていない視線に肩身が狭くなりながらも、誠也は小さくなった体で萌絵のもとへと歩いていった。


「萌絵さん、そんな大声出してどうしたんです?」

「いいから屋上まで一緒に来なさいっ」


 強引に屋上まで連れていかれると、萌絵からまさかの壁ドンをされる。

 心臓が大きな音色を奏で、何が始まるのか不安が侵食してきた。


 返事が遅すぎて怒っているのだろうか。

 萌絵の顔はいつも以上に恐怖を感じるものであった。


「あのね、姫が……姫がね……転校したんだって。鈴木誠也はその事を知ってたの?」

「えっ……」


 涙を流しながら萌絵は誠也に詰め寄っていた。

 あまりにも突然の別れ──すすり泣く声が悲しみの大きさを物語る。


 だが、驚きを隠せないのは誠也も同じ。

 これは現実ではない、悪夢にうなされているだけだと自分に言い聞かせる。


 激しく動揺しながらも思い出すのはあの言葉。

 おみくじに書かれていた『親しい人との永遠の別れ』。


 あの時は信じてなどいなかった。

 現実となってその身に降りかかると、目の前が真っ暗となりその場に崩れ落ちた。


「ウソ……だよね。瑞希が転校だなんて……」


 そんな素振りは一度たりとも見た事がない。

 そう、一度も……いや、違う、見た事はなくとも聞いた事はあった。


 何気なく聞き流していたが、クリスマスパーティーの日、瑞希が最後に口にした言葉。あれが別れの挨拶だと、今さらながらに気がついてしまった。


「ねぇ、姫にはもう会えないの? あたし姫がいないと……」

「……落ち着いて萌絵さん。僕が必ず連れ戻してみせるから」

「信じていーの?」


 涙目で誠也を見つめる萌絵。

 心は乱れたままだが、誠也の言葉にほんの少しだけ安心感を覚える。


 きっと誠也ならなんとかしてくれるはず──たとえ可能性がゼロであっても、必ず瑞希を取り戻してくれると信じてた。


「うん、だって僕は……瑞希がいないとダメだから。あの楽しい時間を取り戻したいんだ」


 力強い誠也の言葉に萌絵は冷静さを取り戻す。

 それと同時に理解してしまった。誠也の気持ちがどこにあるのかを。

 その瞳に映っているのは自分ではなく瑞希であることに。


 フラれたんだ──そこにたどり着くまでかなりの時間がかかった。

 しかし悲観している場合ではない、今は瑞希を連れ戻すのが優先。

 萌絵は悲しみを心の奥深くに閉じ込めたのだ。

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