第51話 突然の告白

 品位で溢れかえる空間に迷い込んだ。

 それが会場に一歩入った時の印象。

 場違いなのではないか──そう思えるくらい独特なオーラが漂う。


 見えない壁が邪魔で前に進めず、誠也は入口で石像のように固まっていた。


「ほら誠也、中に入るわよ」


 優しく背中を押してくれたのは瑞希。

 誠也に勇気を与え、踏み出せなかった一歩を踏み出させた。


 まるで自分もセレブの仲間入りになった感覚に襲われ、心が舞い上がっているのが分かる。

 緊張が高揚感へと変わり、目の前にある光景が光り輝いて見えた。


「すごい人の数だねー。さすがはお嬢様って感じだよ」

「私の力ではないですけどね」

「謙遜するなんて、やはり姫は姫だよ」


 興奮するのは誠也だけではなかった。

 上品そうな大人達に緊張することなく、ひと足先に登った階段を楽しんでいた。


「目立たないよう端に行きましょうか」

「う、うん……。あっ、この場合ってエスコートした方がいいのかな」

「してくれるのね、嬉しいわ、誠也」


 誠也からエスコートを申し出たとはいえ、瑠香と萌絵の機嫌は急降下する。代われるものなら代わって欲しい──口には出さずとも心の中でそう願いを込める。


 ここでケチをつけるほど空気が読めないわけではない。

 だが感情というのはそう単純なモノではなく、嫉妬という魔物が無意識に姿を現してしまう。

 それは瑠香だけの話ではなく、密かに想いを寄せる萌絵も同じ。


 苦しい──誠也が他の女をエスコートする姿など見たくない。

 それは相手が瑞希であろうと関係なく、鋭利な刃物が胸に突き刺さった感覚に襲われる。


 これは嫉妬。偽りだと頭では分かっていても、心が拒絶反応を起こしていた。


「立食形式のビュッフェなので、このテーブルに適当に料理を持ってきてから食べましょうか」

「そうだね、その方が楽でいいね」

「私、何食べようかなー。こういうパーティーは初めてだし」

「あたしは鈴木誠也が変な事しないように見張っておくよ」


 限られた時間でも一緒にいたい。

 それが萌絵の本音であり、少しでも瑞希や瑠香から誠也を離したかった。


 どうせ偽りの恋人関係なのだから、罪悪感を覚える必要はない。

 声には出さずとも、心の中で自分の行動を正当化する。

 心臓が今にも飛び出しそうで、萌絵は平静を保つのが必死だった。


「変な事って……。僕はそんなに信用ないかなぁ」

「そうよ。だって鈴木誠也の失態は姫の失態になるからよっ」

「別についてきてもいいよ。僕は萌絵さんが考えてるような事はしないからさ」


 これくらいじゃ嫌われないはず──むしろ嫌われたくないというのが本音。

 少し強く言い過ぎたと後悔しつつも、萌絵は誠也の後ろを黙ってついていく。


 ただついていくだけでも嬉しい。

 今は自分と誠也だけの時間。

 誰にも邪魔されない特別な時間。

 萌絵は顔をほのかに赤く染め、この限られた時間を満喫していた。


「そういえば萌絵さんって好き嫌いはあるの?」

「ふわっ!? な、な、な、何よいきなり」


 突然話しかけられ動揺してしまう萌絵。

 妄想の世界から引き戻され、鼓動は激しいリズムを奏でる。

 僅かな赤みを帯びた顔は完熟トマトのように真っ赤となった。


 二人っきりになるだけで満足だった。

 それなのに──ただ単に話しかけるだけではなく、自分の好みを聞いてくるというサプライズ。

 頭の中が真っ白になり思考が完全に停止する。


 何か答えなくては──揺れ動く心を落ち着かせ、萌絵は誠也の質問に答えようとしていた。


「え、えっと……。あたしは嫌いなモノはないけど、甘いスイーツは大好きかな」

「意外だね、スイーツってイメージはなかったからさ」

「鈴木誠也はあたしをなんだと思ってるのよっ」


 小顔を膨らませ怒ってみせるも、その姿はどことなく可愛らしい。

 言い換えるなら食べ物を詰め込んだハムスターのよう。

 思わず撫でたくなる気持ちを抑え、誠也はビュッフェテーブルへと歩き始めた。


 テーブルを彩る数々の料理達。

 華やかな衣装に包まれ、誘われるのを静かに待っている。

 どの料理も選ばれたそうなオーラを放ち、思わず全料理を持っていきたくなるほどであった。


「どれも美味しいそうだね。あっ、あのスイーツとか萌絵さんが好きそうじゃない?」

「えっ、そ、そうかも。鈴木誠也がそこまで言うなら、仕方ないから食べてあげよかな」


 素直になれはしないが、気にかけてもらったのが嬉しくてたまらない。

 心の奥がムズムズし、何か込み上げてくるものがあった。


 料理をお皿にたくさん盛ると、誠也と萌絵は陣取っているテーブルへと戻り始める。

 メインディッシュにサラダ、おまけにデザートまで。白一色だったお皿が華やかになっていた。


「誠也、かなり持ってきたね。やっぱり男子は食べるよねー」

「あら、今は女子も食べる人は食べますわよ」

「そうなんだ、知らなかったー」


 和気あいあいと食べながら談笑する誠也たち。

 いつものいがみ合いは大人の雰囲気にかき消され、皆はこの瞬間を存分に楽しんでいる。

 普段では見られない笑顔が飛び出し、そこはまるで楽園のようにも見えた。


 楽しいと時間の感覚が狂うもの。

 気がつけば1時間以上も話し込んでいた。


「ちょっとお手洗いに行ってくるよ」

「お手洗いはこの部屋を出て右にいき、突き当たりを左に曲がったところにありますわ」

「ありがとう、瑞希」

「……それじゃあたしも、いってこようかな」

「男女で連れションとか、白石さんにそんな趣味が……」

「そんなわけないでしょっ!」


 真っ赤な顔で萌絵は全力で否定した。

 恥ずかしい、恥ずかしすぎる。想い人の前でこんな事言われるなど、それ以外の何ものでもない。むしろ瑠香に怒りすら覚えるほど。


 だが今はその怒りを胸にしまい込み、誠也と一緒にパーティー会場をあとにした。


 偶然か必然か、二人っきりの時間が再び訪れる。

 薄暗い廊下を並んで歩く誠也と萌絵。

 見えない壁がふたりを分断し、近くにいるが遠く感じてしまう。


 だがそれでも、何ひとつ会話がなくとも萌絵の心は十分に満たされていた。


「そうだ、トイレは萌絵さんからでいいよ」

「なっ!? あたしの匂いを嗅ぐつもりなのねっ! 鈴木誠也は変態だったんだ」

「い、いや、そんなつもりは……」


 善意で譲ったはずが変態のレッテルを貼られそうになり、誠也は慌てて否定する。そんなつもりは毛頭ないはずなのに、萌絵から放たれる視線が妙に痛い。


 腑に落ちないのは確かだが、ここで反論しようものなら状況が悪化するのは確かだった。


「そ、それじゃ、僕から使わせてもらうね」

「う、うん……」


 トイレの前での不思議なやり取り。

 我に返った萌絵は心の奥から羞恥心が湧き、それ以上の言葉を話せなくなった。


 誠也が戻るまで待っているのはトイレの前。

 トビラを挟んだすぐ向こう側に誠也がいる。

 それを理解した途端、萌絵の思考回路はショートしてしまい、暴走する一歩手前まで精神的に追い詰められた。


「終わったよ、萌絵さん待たせたね。どうぞ使って──」


 自分が何をしたのか分からなかった。

 何者かに操られたように体が勝手に動いてしまう。

 そう、萌絵は自分の意志とは関係なく、誠也を後ろから抱きしめる。


「も、萌絵さん!?」

「……鈴木誠也、あのね、聞いて欲しいの。あたし……あたしは、鈴木誠也の事が好き、なんだよ。だから、あたしと付き合ってくれないかな?」


 流れていた時間が止まり、静寂の中でふたりだけの世界が作られる。

 突然すぎる告白──誠也は固まったまま声を出す事さえ出来なくなっていた。

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