第50話 お嬢様という肩書き

 振動がまったく伝わってこない。

 乗り心地がよすぎるのは、高級な車だからなのか。

 誠也達が乗っている車は、リムジンという未知なるもの。


 音が静かで揺れも少ない。

 本当に動いているのかと錯覚するほどであった。


「リムジンって初めて乗ったけど、乗り心地が最高だよね」

「ホントねー、西園寺さんってもしかしてお嬢様だったりするの?」

「当たり前に決まってるよ。姫は気高くて美しい最も尊い存在なんだから」


 得意気に話すのは萌絵。

 まるで自分の事のように推しである瑞希を自慢している。瑞希について知らない事はないと自負するほどで、ドヤ顔を瑠香に向け勝利宣言をする。


 だが本当の勝利は誠也の心を奪うこと。

 アピールしながら待つのがいいのか、もっと積極的いくべきかは悩みどころ。

 偽りだと知った今、誰にも遠慮する事などない。悪魔がそう萌絵に囁いてきた。


「へぇー、お嬢様とかマンガの世界だけかと思ってたよ。でも、喋り方とかはそれっぽいよねー」

「それっぽいじゃなくて、お嬢様なんだからっ」


 推しをバカにされた気がし、萌絵はつい声を荒立ててしまう。

 もちろんの事だが、瑠香にそんなつもりはなくただ驚いただけ。

 現実世界のしかも身近にいたなど、幸運と言っていいものか分からなかった。


 聞きたい事はたくさんある。

 瑠香にとってお嬢様の世界は未知なるもの。

 瞳を輝かせながら瑞希に質問しようとしていた。


「西園寺さん、質問があるんだけどいいかなっ?」


 萌絵のツッコミを軽くスルーする瑠香。

 もはや眼中になく、頭の中は未知の世界の事でいっぱいだった。


 イメージしているのは華やかな世界。

 セレブという響きのいい言葉に酔いしれ、瑠香の心はここにあらず。

 ひとりだけ別世界に旅立っていると、瑞希からのひと言が現実世界へと引き戻した。


「質問をするのは構わないけど、とりあえず元の世界に戻ってきてくれないかしら」

「あっ、ご、ごめん。えっとね、お嬢様となると、フィアンセとか親が勝手に決められたりするの?」


 想定外の質問に瑞希は固まってしまう。

 答えるのは簡単だが、どう答えればよいのかは悩みどころ。

 下手に勘ぐられたくない──とはいえ、ウソをつけばボロが出るのは確実。


 本当は隠しておきたかった。

 この質問を素直に答えれば、カンがよくなくても気づくであろう。

 だがそれでも瑞希は、誠也にだけはウソをつきたくないと思い、ありのままを話そうとした。


「そうね、 親の都合で決められたりするわ。本人の意思なんて関係なくね」


 どこか悲しげな顔であった。

 遠くを見る目は何を語っているのか、その場にいた者には理解できず、その心は瑞希だけが知っていた。


 だからこそそのトビラをこじ開けたい。

 瑞希の本心はどこにあるのか、本当に自分の推測通りなのか。瑠香は確かめずにはすられず、悪いと思いながらも土足でその領域に踏み込もうとした。


「それじゃ、西園寺さんにもフィアンセがいたりして」


 さすがに直球で聞くのはどうかと思い直し、冗談めいた口調で聞いてみた。


「……もちろん私にもいますわ」


 冷たく答える姿は氷姫そのもの。

 周囲の空気を一瞬で凍てつかせるほどの威力で、地雷を踏んだという言葉が瑠香の頭に浮かび上がる。


 これ以上踏み込むのは危険──色々と疑問があるが、この空気では聞くに聞けない。

 もし仮に聞けたとしたら、フィアンセがいるのになぜ偽りの恋人が必要なのか。その答えをどうしても知りたかった。


「でも、勘違いしないで欲しいわ。フィアンセと言いましても、私は認めていないの。ですから、形だけでいないのと同じよ。だから、安心していいのよ、誠也」

「どうしてそこで誠也が出てくるのよっ」

「あら、そんなの誠也が私の恋人だからに決まってますわ」

「偽りのねっ、偽りのっ!」


 瑞希の返事で張り詰めた空気が穏やかになり、瑠香がたまらずツッコミを入れる。あくまでも誠也と瑞希は偽りの恋人関係──それを強調せずにはいられなかった。


 そう、偽りだからこそ自分にもチャンスはある。

 勝手に偽りという言葉を外されるわけにはいかない。

 このクリスマスパーティーで今度こそ決着をつける。瑠香は固い決意を胸に刻んだ。


「さっ、着きましたわ。ここが……私の実家ですわよ」


 リムジンから降りると、そこには大豪邸が瞳に映る。

 夢の世界に迷い込んだように錯覚させ、誠也達はその圧倒的存在感に固まってしまう。


 想像を遥かに超えるお嬢様。

 たとえ偽りだろうと、そのような人と恋人関係なのが不思議に感じる。

 普通に生活していたら絶対に交わらない道であり、誠也は瑞希と出会えた事を感謝していた。


「入るのも躊躇しそうなくらいだよ」

「まさに圧巻だねぇー、お嬢様っていうのも納得しちゃうかな」

「あたしもお屋敷は初めて見たけど、姫のイメージにピッタリだね」


 それぞれ感想は違うものの、共通しているのは驚きを隠せないこと。

 おそらくクリスマスパーティーも、想像もつかないような規模に違いない。

 期待と不安が入り交じる中、大きなトビラがゆっくり開き、誠也達は未知の領域へと足を踏み入れた。


 巨大なシャンデリアが天井から吊り下げられ、出迎えるのは何人もの執事とメイドたち。

 ここまでくるとただのお嬢様ではなく、超お嬢様という言葉が似合う。

 今までに体験した事のない空間が誠也達を飲み込もうとする。


「そんなに緊張しなくていいのよ。さっ、会場へまいりましょうか」


 誠也の手を自然に掴む瑞希。

 本来なら瑠香が反論しそうではあるが、独特な雰囲気に気圧されてしまい、無言のまま萌絵と一緒に瑞希のあとに続く。


 数々の装飾品に目を奪われながら歩くこと数分、パーティー会場と思われるトビラの前までたどり着いた。


「ここが会場なのかぁ。なんだか緊張するなぁ」

「誠也、普段通りでいいのよ、普段通りで」


 瑞希が誠也を優しく包み込み緊張を和らげる。

 その温もりは氷姫とは思えないほどの心地よさ。

 ずっとこのまま──そんな事さえ思い始め、誠也は瑞希に身を委ね会場へ入ろうとする。


「ちょっと西園寺さん、私もいるんだけどー? 忘れないで欲しいかなっ」

「姫、その、あたしも傍にいていい?」


 瑞希と誠也だけの世界に割り込んできたのは瑠香と萌絵。

 忘れられてるのかと心配になり──という名目で邪魔をしたのが本音だ。

 特に瑠香はご機嫌ななめのようで、誠也をジト目で見つめていた。


 対して萌絵はというと、ふたりの邪魔をしたかったは同じだが、瑞希が羨ましかった。偽りとはいえ誠也と手を繋いでいる──代われるものなら代わりたいという気持ちが強い。

 だからこそ『傍にいてもいい』という言葉で、さりげなく誠也の近くにいようとした。


「そうね、人が多いから場所を決めてそこにいましょうか」

「瑞希は主催者側なのにいいの?」

「いいのよ、私は好き勝手にするだけですから」


 何か事情があるのだろう。

 誠也はそれ以上深くは聞かなかった。いや、聞けなかったと言った方が正しい。


 色々な想いが交差する中で、瑞希は会場のトビラをゆっくりと開ける。

 その先に見える光景はまさにセレブの世界。

 圧倒されながらも、誠也達は会場の中へ入っていった。

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