第43話 サプライズは恋を加速させるスパイス

 誕生日という年に一度の特別な日。

 そこに集まったのは、誠也とサプライズで訪れた瑠香と萌絵。

 当然、瑞希を祝うというのもあるが、誠也と瑞希を二人っきりにさせたくない、という想いから。


 これは、瑠香はもちろんの事、萌絵も同じ。

 親衛隊という立場でありながら、推しの恋人を好きになってしまった。

 瑞希への憧れと誠也への想いが天秤にかけられる。


 どちらか片方に傾く事はなく、天秤はつり合ったまま静かに成り行きを見守っていた。


「瑞希、色々買ってきたから、誕生日パーティーの準備しよっか」

「そうですわね、萌絵、あと一応前原さんも、来てくれてありがと」

「一応って何よ、一応って……」


 少し照れながらお礼を言う姿はとても氷姫には見えない。

 ほんのり赤く染った頬を隠しながら、瑞希は剥がれ落ちた仮面をつけ直す。


 この姿を目にしていいのは誠也だけ。

 誠也の幼なじみだろうと親衛隊だろうと、誰にも絶対見せたくない。

 瑞希は誠也の特別になりたいのだ。


「そのままの意味ですわ。さっ、誠也、私の恋人なのだから遠慮しないでね」


 なぜ分かりきった事を言ったのか、瑞希自身にも分からなかった。

 ただ言える事は、『恋人』と強調しなければ、誠也がどこかへ行ってしまいそうな気がした。


 隣に誠也がいない世界など耐えられない。

 そんな世界で生きるのは孤独と同じ。

 無理、考えるだけで瑞希の心は絶望に覆われた。


「うん、でも今日の主役は瑞希なんだし、準備が終わるまでゆっくりしててね」

「私の誠也は優しいわね。では、お言葉に甘えさせてもらうわ」


 どこかトゲのある言い方が、瑠香と萌絵の心を抉ってくる。

 手を出すな──遠回しにそう言っているように聞こえた。


 だが瑠香は知っている。

 誠也と瑞希が偽りの恋人関係であることを。

 そう、偽り──瑞希の誠也に対する想いは本物である事を知らずに。


 一方、萌絵は本当の恋人同士だと思っている。

 だからこそ、推しとの間で苦しんでいるのだから。


「今日の主役は一応西園寺さんだからねー。キッチン借りるね? 私が腕を振るってあげるんだからっ」

「姫に得体の知れないモノを食べさせるわけにはいかない。あたしも手伝うよ」

「どうやら白石さんは私の実力を知らないようね。いいよ、見せてあげる、私のテクニックをねっ」


 意気揚々とキッチンへ姿を消す瑠香と萌絵。

 休戦の約束を忘れることなく、仲良く──とまではいかないが、それなりの関係でいるのは確かだ。


 その後ろ姿に誠也は安心し、自らもケーキをテーブルにセッティングしようすると──。


「ねぇ、誠也、ただ待ってるのも暇なので、少し話でもしましょうよ」

「えっ、でも準備しないと……」

「いいじゃない、この私がそう言ってるんですから」


 今は氷姫、だがその仮面はすぐにでも剥がれ落ちそう。

 なぜならリビングには誠也とふたりっきり。

 テンションが爆上がりしてしまい、表に出ないよう必死に押さえつける。


 料理をしているとはいえ、家には瑠香と萌絵がいる。

 もし突然リビングに来たら──氷姫でない自分を見られてしまう。

 それだけは避けなければならない。


 嬉しさとドキドキ感が入り交じる中、瑞希はほんの少しだけ仮面を外そうとした。


「瑞希がそう言うなら……」

「ありがと。でも、本当に驚いたわよ。萌絵はともかく、前原さんまで来るんですもの」

「あはははは、僕もビックリしたけどね。瑠香は瑞希を驚かせようと思ったんだけど、萌絵さんが来るのは知らなかったんだよね」


 何気ない日常会話が楽しく感じる。

 人を好きになるというのは、きっとこういう事なのだろう。

 初めての恋に浸りながら、瑞希は薄らと笑みを浮かべていた。


「萌絵らしいと言えばそうですわね。あの子、私にかなり懐いてるから」

「憧れてるんじゃないかな。萌絵さんも可愛いけど、瑞希はもっと綺麗で品位に溢れかえってるからね」


 萌絵を可愛いと言われ一瞬嫉妬するも、自分の方が褒められ、嫉妬は瞬く間に歓喜へと変化する。


 誠也の中では自分が一番──瑞希にとってそれがとんなに嬉しい事だか。

 頬がほんのり赤く染まり、鼓動はゆっくりと早くなっていく。


 ──トクン、トクン。


 誠也がこれほどまで近くに感じた事はない。

 いや、きっとこれは背徳感のせいかも。

 罪悪感、そう、これはキッチンにいる二人がスパイスとなり、錯覚を起こさせているから。


 普段と変わらない距離のはずが、この状況では特別な距離へと置き換わっていた。


「お待たせ──って、なんで誠也と西園寺さんが話し込んでるのよっ」

「え、えっと、それは……」

「そんなの決まってますわ。私と誠也は恋人なんですから」

「そういう問題じゃないと思うんだけどー?」


 簡単な料理が終わり、テーブルに運びに来たタイミングで瑠香がツッコミを入れる。

 誠也に対してというより、大半は嫉妬からの妬みで瑞希へと向けられたもの。


 偽りとはいえそこまでする必要があるのか。

 今日は萌絵という存在によってその言葉は禁句になる。

 しかし──頭では分かっていても、嫉妬という魔物に取り憑かれたら、うっかり口を滑らしてしまうかもしれない。


 しかも、約束を守りたいという気持ちがある一方で、誠也を奪うためなら手段を選びたくない、という想いもある。

 心が揺れ動く中で、瑠香は偽りという言葉をそっと心の奥へ沈めた。


「あらそうかしら。萌絵はどう思います?」

「あ、あたしですか!?」


 そんな事聞かれても答えはひとつ。

 羨ましいに決まっている。


 だが、そんな事を推しである瑞希に言えるわけない。

 内側で苦しみながらも、萌絵はいつもと変わらない態度で答えるしかなかった。


「姫が正しいに決まってる。だって今日は──姫にとって特別な日なんだから」

「むぅ、白石さんは西園寺さんよりだから卑怯だよ。誠也、まさかアナタまで私が間違ってると思う?」

「え、えっと……」


 鋭いキラーパスが誠也へと回される。

 人生最大のピンチ──なにせ、瑠香だけでなく瑞希や萌絵までもが、曇りなき瞳で誠也からの答えを待っているのだから。


 どっちを選んでも地獄なのは確実。

 普通なら恋人である瑞希と答えたいところだが、そうなれば瑠香はたったひとりだけとなる。


 それではイジメになるような気がし、胸にチクリと釘を刺されたような痛みが走る。

 かといって、瑠香の味方をしたとしても瑞希に悪い気がする。


 誠也は悩んだ、必死になって平和に終われる方法を模索し続けた。

 が……そんな都合のいい回答などあるがない。


 それならば、自分が非難された方がマシだと考え、誠也はどっちも選ばないという選択を取った。


「僕にはどっちが正しいかなんて分からないよ。ただ言えるのは、今日が瑞希の誕生日だって事だけかな」


 これなら責められるのは誠也自身だけになる。

 しかも話の流れを変えられるのだから、これ以上の言葉はないと自負していた。


「なんでよ、なんで誠也はいっつも肝心なところで誤魔化そうとするの? ずるい、それじゃずるいじゃない。どうせ心の中では西園寺さんだって思ってるくせに! だいたい、どうしてそこまでするのよ。だって西園寺さんとは──偽りの恋人関係なんでしょ!」


 瑠香の想いが込められた言葉にすべての刻が止まった。

 誠也と瑞希はその事を知っている。そう、知っているのだが、萌絵だけは知らず、その言葉の衝撃は凄まじかった。


 偽りとはどういう意味なのか。

 好きでもない相手と付き合っているのか。

 萌絵の頭の中は混迷を極め、出口のない迷路へと迷い込んでしまった。

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