第44話 仕切り直しのサプライズ

 頭の中が真っ白になるというのはこういう事。

 何を言っているのか理解できなかった。

 偽りの恋人関係──その言葉は何を示すのか、萌絵には想像すらつかない。


 もしかしたら聞き間違いかも。

 いや、そんな事はない、しっかりと脳裏に刻まれているのだから。

 鼓動が激しいリズムを刻む中、萌絵は重たい口をゆっくりと開いた。


「前原さん……。それってどういう意味なの? 姫と鈴木誠也が偽りの恋人関係って……」


 きっと聞いてはいけない事だとは思っていた。

 だけど聞かずにはいられなかった。

 なぜなら……偽りという言葉がそのままの意味なら、誠也と付き合えるチャンスがあると考えたからだ。


「えっ、あっ……。そ、それは……」


 込み上げてきた怒りに身を任せ吐き出した言葉。

 口を滑らせたとも言うが、誠也と瑞希の関係が偽りだと漏らしてしまう。


 冗談──今さらそんな事を言える雰囲気ではないのは分かっているが、ここは強引にでも冗談だと押し通そうと瑠香は考えた。


「じ、冗談だよ、冗談。そんなのあるわけないじゃない。そうだよね、西園寺さんっ?」


 瑞希を巻き込む事で、瑠香は信ぴょう性を上げようとする。

 憧れの存在から冗談と言われれば、萌絵が疑う事はないだろう。

 罪悪感がないと言えば嘘になるが、こうでもしないと取り返しがつかなくなると思っていた。


「えっ……。そ、それは……」


 すぐに偽りだと言えなかった瑞希。

 もしその言葉を口にしてしまえば、それが真実となりそうで恐怖を感じる。


 どう答えればいいのか。

 ここで否定すれば、きっとあっという間に広がるのは間違いない。そうなれば告白地獄が待ち受けているだけ。


 違う、そうではない。そんな事など今の瑞希にとってはどうでもいい。

 誠也を失うのが怖くてたまらない──それだけなのだから。


「もぅ、いいわよ。萌絵、アナタになら真実をお話するわ。だけど、他言無用でお願いね?」

「う、うん……」

「前原さんの言った事は事実よ。だけど勘違いしないで欲しいの、これは、その……私は別に今の関係でも悪くないと思ってるの」


 誠也にだけしか見せた事のない顔が表に出てきてしまう。

 ほんのり赤く染った頬、少しうつむいた姿は氷姫とはほど遠かった。


 恋する乙の顔女──それに気づいたのは瑠香だった。

 自分と同じ表情であるからこそ確信する。

 偽りだけど偽りではない、この言葉は口に出せないもの。

 瑞希と真っ向勝負などしたら敗北するのは目に見えている。


 心に突き刺さる痛みを覚え、瑠香はその言葉を心の奥へとしまい込んだ。


「そっか、分かったよ、姫。本当の事を話してくれて、あたしは嬉しいよ」


 その嬉しさは瑞希が真実を話してくれたからではない。

 遠慮せず誠也に近づけるという嬉しさだ。


 これで苦しまなくて済む。

 誠也と瑞希の関係は偽りなのだから、悩む必要なんてまったくない。

 瑞希が言った最後の言葉の意味を深く考えず、萌絵の心は爽快すぎるほど晴れやかであった。


「ありがと、萌絵」

「その……西園寺さん、ごめんなさい。私が約束を破っちゃったから……」

「謝らなくていいのよ、前原さん。いずれこうなる事は分かっていたもの。それが今日だったにすぎないだけですから」


 いつかはこうなると覚悟はしていた。

 だが偽りだと認めたのは諦めたからではない。

 自分を追い詰めることで引けない状況を作った。


 そう、これは宣戦布告。誠也を誰にも渡さない覚悟の現れ。

 薄々と気づいていた瑠香の誠也への想い。

 だからこそ、許した上で正々堂々と勝負をしようとしていた。


「さっ、湿っぽい話はこれでおしまいよ。今日は私の誕生日なのですから、ちゃんと祝ってよねっ」


 瑞希のひと言で気持ちを切り替える誠也達。

 誕生日パーティーの再開ということで、テーブルに色とりどりの料理が並べられる。

 中央には誕生日ケーキが置かれ、歳の数だけローソクを立てた。


 1本ずつ点火されていくローソク達。

 その役目は誠也が代表する。

 すべてのローソクに火が灯り部屋の電気を消すと、誕生日の歌でパーティーが始まった。


「「お誕生日おめでとうー」」


 揃ったお祝いの言葉に瑞希の思わず瞳が潤みだす。

 いつ以来だろう、こうして誕生日を祝ってもらえるのは。

 記憶の中で一番古いのは、瑞希がまだ幼いころのとき。


 微かに覚えている両親の笑顔。

 何をプレゼントされたかなどは覚えていない。

 ただ一つだけ言える事は、あの頃はいつも笑っていたということだけ。


 それが今や笑う事を忘れた氷姫となっている。

 唯一笑顔を見せるのは誠也だけ。それ以外の人には絶対に見せなかった。


「ありがと。こんなに嬉しい誕生日は……久しぶりよ」


 瑞希の口元から笑みがこぼれたように見える。

 ここには誠也以外の瑠香や萌絵がいるのにだ。


 ほんの少しだけだが、確実に笑っていたはず。

 薄暗い部屋だから見間違え──そう言われればそうかもしれないが、真相は本人にも分からず闇の中へと葬り去られた。


「先にプレゼントを渡そっか。その方がゆっくり出来るでしょ」

「誠也のクセに気が利くじゃない?」

「『クセに』は余計だよ。それじゃ渡す順番は──」

「あたしが一番最初で、次に前原さん、最後が鈴木誠也でどう?」

「瑠香がいいならそれでいいかな」

「私はそれでいいよっ」


 渡す順番もあっさり決まり、トップバッターの萌絵が憧れの瑞希へプレゼントを渡そうとする。


 喜んでくれるのか、内心はかなりドキドキしている。

 いくら親衛隊とはいえ、瑞希の心までは読めるわけもなく、何を渡せば喜んでくれるかなど分かるはずがない。


 緊張の一瞬──萌絵は震える手で瑞希にプレゼントを渡そうとした。


「ひ、姫、これ、あたしからのプレゼントです」

「ありがと、萌絵。さっそく開けていいかしら?」

「もちろんだよっ」


 心臓が今にも飛び出しそう。

 それこそ、誠也に告白するのと同じくらい。

 いや、実際には告白はしていないが、あくまでも仮定の話。

 それくらいの緊張が萌絵を襲っていた。


「これは……。嬉しいわ、私、欲しかったのよ。萌絵、ありがと」


 萌絵がプレゼントしたもの、それは……花柄のポーチ。

 きっと持っていないだろうと思い、瑞希に一番似合いそうなのを選んだのだ。


「喜んでくれて嬉しい……」


 歓喜のあまり萌絵の瞳に光るものが見える。

 推しに喜んでもらえる事ほど幸せなものはない。

 緊張から解放され、萌絵から力が抜けその場に座り込んでしまった。


「それじゃ次は私ね。はいっ、西園寺さん、誕生日おめでとう」

「まさか嫌がらせのプレゼントとかないわよね?」

「いくら私だってそんな事しないからっ」


 冗談なのか本気なのか分からない瑞希の発言。

 少なくとも楽しんでいるのは確か。

 そこには氷姫の姿は一切なく、ひとりの少女が笑みをこぼしていた。


「もぅ、はいっ、そんな大層なモノじゃないけど、大切に使ってよねっ」

「ありがと、前原さん、ステキなボールペンだわ。あら、何か書いてあるわね。これは……」


 瑞希の名前がローマ字で書かれたボールペン、それは世界に一つだけのオリジナルだ。シンプルでありながら心に響くプレゼント。思わず涙がこぼれそうになるも、瑞希はなんとか堪え瑠香に感謝した。


「嬉しいわ、使うのが勿体ないくらいよ」

「喜んでくれて良かった。最後は誠也だねっ」


 自信があるかないかと言われればある。

 そもそも女の子にプレゼントなど、瑠香以外にあげたことはない。

 緊張の波が遅れてやってくると、誠也の心は落ち着きがなくなってしまった。


「僕からのプレゼントはこれだよ。瑞希なら似合うと思って」

「イヤリングなんていいわね」

「ノンホールだから簡単につけられるよ。それに……ほら、瑞希の誕生石ってサファイアでしょ? だから同じ色にしてみたんだ」

「嬉しい、嬉しいわよ、誠也」


 歓喜のあまり瑞希は我を忘れて誠也に抱きつく。

 あまりにも突然の出来事で、誠也はもちろん、瑠香や萌絵も固まっていた。


「ち、ちょっと、なんで誠也に抱きつくのよっ。いくら偽りの恋人だからってやりすぎでしょ」

「姫、そんな無理にしなくても……」

「あら、嬉しいから行動したに決まってますわ」


 悪魔の顔で瑠香と萌絵の言葉を一蹴し、瑞希は誠也の温もりをひとりで堪能する。


 もちろん、瑞希に対して言いたい事は山ほどあるが、今日の主役に難癖などつけたくはない。瑠香は悔しさを、萌絵は羨ましさを抱きながら、ふたりのハグを静かに見守るしかなかった。

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