第40話 氷姫と誠也の狭間で揺れる親衛隊

 家に帰ってからニヤニヤが止まらない。

 瑞希の恋人とはいえ、誠也とペアルック出来るのだ。

 当然ではあるが、瑞希と鉢合わせは避けるべき。


 いやそれ以前に、誠也と同じタイミングで着る事があるのか?

 答えはそれはありえない話。

 なぜなら誠也と萌絵の道は、瑞希のプレゼント選びのために交わっただけなのだから……。



「おはよう、姫。今日も美しすぎて、あたしは幸せだよ」

「ありがと、萌絵。何かいい事でもあったのかしら? 今日の萌絵はいつもより笑顔な気がしますけど」

「そ、そんな事ないよ。あたしはいつも通りだからね」


 顔には出していないつもりが、瑞希に心を読まれた感じがした。

 もしここで動揺でもしたらきっとツッコまれる。

 好きになってしまったのは事実だが、想いを伝えていないので悪くはないはず。

 

 好きだから告白する──そんな事は出来るはずない。

 瑞希は推しであり憧れの存在。その恋人を奪うなど、萌絵には無理な話であった。


「それじゃ私の思い過ごしね」

「そうだよ、考えすぎはよくないよ姫。それでさ、今日も鈴木誠也とお昼一緒に食べるの?」


 言葉が生き物となって、勝手に萌絵の口から飛び出してしまう。

 なぜ誠也の事を聞かなければならなかったのか。

 きっと心の奥底で沈んでいた想いが浮上したからかもしれない。


 想いは伝えられないが、誠也の近くにいられればいい。

 たとえそれが苦しくても、推しである瑞希を裏切る事など出来るわけがなかった。


「もちろん、そのつもりよ。そうですわ、せっかくですから、萌絵も一緒にどうかしら? この前の事で誠也を振り回しわけですし、仲直りのきっかけにしましょう」

「えっ……。いいの?」


 ふたりの邪魔にならないかという不安と、誠也にまた会えるという期待がぶつかり合う。

 困惑という得体の知れないモノに取り憑かれ、どっちの選択が正しいのか迷い始める。


 せっかく瑞希が誘ってくれたのだから行くべきか。

 それとも、自分の気持ちを封じ込めて断るべきか。


 悩みに悩み抜き、萌絵は自分の心に素直に従おうと決めた。

 ここで断ったら誠也とは一生会えない気がしたからだ。


「もちろんですわ」

「あ、ありがとう、姫……」

「お礼を言われるほどの事ではないわよ」

「そ、そうだね……」


 萌絵自身もどうしたらいいのか分からない。

 誠也には会いたい、だけど瑞希の恋人に手を出すわけにはいかない。


 苦しい──恋をするのは初めてだが、こんなにも胸が苦しいとは思わなかった。頭の中は誠也に支配され、推しであるはずの瑞希が薄れつつある。


 ダメだ、このままでは一線を越えてしまう。

 なんとかして自分の中の瑞希を強くしないといけない。

 萌絵は胸に手を当てると、大きな深呼吸で心を落ち着かせ、親衛隊という役を演じようと決意した。



「あれ、今日は早いね──って、萌絵さんも一緒なんですね」

「そうよ、鈴木誠也。何か文句でもある?」


 誠也への当たりが強いが、ふたりで会った事は秘密だとアイコンタクトを送る。

 わざとらしい萌絵の仕草に、いくら鈍い誠也でもその意味を理解できた。


 この調子ならいつも通りに接しられるはず。

 絶対にこの想いを知られてはいけない。

 百歩譲って誠也にならいいが、瑞希にだけは秘密にしておきたい。

 萌絵は完璧な演技で、誠也と一緒にいられる喜びを味わおうとする。


「文句なんてないに決まってますよ」

「あたしは姫の親衛隊なんだから、姫と一緒にいないといけないんだから」

「萌絵、誠也には優しくしてね? それと謝る事があるでしょ」


 大丈夫、瑞希にはバレていない、いつも通りの振る舞いを演じている。

 萌絵は嬉しい気持ちを隠しながら、この前の騒ぎを誠心誠意心を込めて誠也に謝った。


「鈴木誠也、この前はごめんね。その……あたしにとって姫は特別だったから」


 過去形ということに瑞希も誠也も気づいていない。

 今でも瑞希が推しである事には変わりがないが、特別な存在となると話が変わってくる。

 今までは瑞希だけが特別であった。

 しかし今は──。


「僕は気にしてないから大丈夫ですよ」


 誠也の優しい言葉が萌絵のハートを見事に撃ち抜いた。

 少し前まで気にならなかったはず。それが今では、同じ言葉でも顔を赤く染めるほどの威力がある。


 表に出してはいけないと分かっていても、体の内側から湧き上がってくる想いには勝てない。

 このままでは、自分が何を考えているのか露呈するのも時間の問題。

 誤魔化すしかない──萌絵はわざとらしい仕草で言い訳を始めた。


「あ、ありがと。それにしても暑いね、おかげで顔まで真っ赤だよ」


 赤面は暑さのせいだと、子供でもしない言い訳で誤魔化す萌絵。

 あまりも雑すぎる誤魔化し方だが、純粋な誠也と瑞希は簡単に騙された。


 ふたりの顔色を密かに窺い、気づいてないと知ると萌絵の中で安心感が広がる。ひとまず危機は去った、これ以上失態を見せてはいないと、心に固く誓いを立てた。


「そうだね、熱中症に気をつけないとですね」

「えっ……。鈴木誠也、今なんてことを……」


 熱中症──誠也は確かにそう言った。だが萌絵の耳には『ねっ、ちゅーしよ?』と聞こえてしまう。


 ありえない、しかも白昼堂々とカノジョである瑞希前で。

 この常軌を逸した聞き間違いに萌絵の頭は熱暴走。

 原因は暑さではなく誠也の言葉──でもなく、単なる萌絵の勘違い。

 真っ赤な顔はさらに赤く染まり、心臓が爆発しそうなくらいドキドキしていた。


「どうしたの、萌絵? まさか誠也の言った通り本当に熱中症なの?」

「熱中症……?」


 冷静な瑞希の声が萌絵の熱を冷まさせる。

 どうやら、誠也の言った言葉が熱中症だと理解した。


 恥ずかしい、恥ずかしすぎる。

 今すぐにでもこの場から立ち去りたい──。

 きっとこれは恋の病のせい、だから聞き間違えたのだと、萌絵は自分自身に何度も言い聞かせた。


「ち、違うから。あたしは熱中症なんかじゃないから。それよりもさ、お昼、食べようよ」


 話題を今すぐにでも変えないと、また暴走してしまいそう。

 心の声がそう語りかけてき、萌絵は素直にそれに従った。


「そうだね、お昼休みが終わっちゃうからね」

「誠也の言う通りね。萌絵、も座りましょうよ」

「う、うん」


 屋上に置いてあるベンチに座る誠也たち。

 誠也の隣は瑞希の定位置なのだが、なぜか誠也を挟む形で瑞希と萌絵が座ることに。


 これは偶然か、それとも運命なのか分からない。

 しかし、確実に萌絵の心を揺さぶろうとしているのは事実だった。


「ひ、姫、どうして、あたしが鈴木誠也の隣なのっ?」

「もちろん親睦を深めるためよ。相手の事を知るいい機会じゃない」

「それはそうだけど……」


 ここで動揺してはいけない。

 萌絵は必死に普段通りの自分を演じようとした。


「萌絵さんのお弁当、美味しそうですね。もしかして、手作りだったりするんですか?」


 誠也の何気ないひと言がその場の空気を一瞬で変える。

 最初に反応したのは瑞希、眉がピクリと動き誠也へと視線を向けた。


 一体どういう意味で言ったのか。

 今ここで問い詰めたいものの、この和やかな雰囲気を壊したくないという気持ちがある。

 剥がれかけた仮面を付け直すと、瑞希はいつもの氷姫へと戻っていった。


「そうだよ。あたしのウチって共働きだからさ、お弁当くらい自分で作ろうかなって。でも、鈴木誠也の方が美味しそうだよ」

「僕は料理できないんだけど、瑞希が毎日作ってくれるんですよ。本当に感謝しかないよ」

「そう、なんだ……。羨ましい、かな」

「瑞希を推してると羨ましく見えちゃいますよね」


 違う、萌絵が言いたいのはそういう事ではない。

 毎日瑞希のお弁当を食べられるのが羨ましいのではなく、誠也に毎日お弁当を作っている瑞希が羨ましかった。


 本当は作ってあげたい気持ちでいっぱい。

 しかしそれは叶わぬ夢。

 なぜなら誠也は──瑞希の恋人なのだから……。

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