第39話 初めての恋を味わう親衛隊

 好きという言葉はどんな意味があるのだろう。

 簡単に言うなら英語のLIKEとLOVE。

 同じ好きでもそこに愛があるかで意味合いが変わってくる。


 萌絵にとって誠也という存在は、LIKEなのかそれともLOVEなのか、もしくは……。

 答えが出ないまま、萌絵が選んだアパレルショップへと足を踏み入れた。


「僕はこういうところ、初めてだよ」

「そうなんだ。このお店は値段もお手頃で、可愛い服がいっぱいあるんだ」


 目を輝かせながら店内を見回す萌絵。

 誠也への感情は一時的に忘れ、その顔は天使のような輝きを見せる。

 今にも走り出しそうな衝動を抑え、誠也と一緒に店内を見て回ることにした。


 不思議、なぜかひとりで来る時よりも楽しく感じる。

 友達と来るよりも……? 絶対とは言えないが、おそらく誠也との方がほんの少しだけ楽しい。


 この事実を萌絵は否定したかった。

 しかしいくら否定しようとしても、心がそれを許してくれない。

 ダメだと言い聞かせても、反抗期のように駄々をこねてくる。


 次第に湧き上がって来るのは瑞希への罪悪感。

 憧れる存在の恋人を奪っているようで、黒いモヤが萌絵の中に広がっていった。


「萌絵さんが欲しい服って、どんな感じなんですか?」

「えっ、あっ、そうだねぇ、あたしが好きなデザインは──」


 深く考えた事がないのを初めて知る。

 買う時の気分で自分に似合っていれば買う、それが萌絵の服選びだ。

 つまり今日の場合、気分で服を選びながら誠也に判断してもらう、ということになる。


 これは完全にデート以外の何ものでもない。

 どんなに否定しようとも、その事実からは逃れられない。


 それを理解した途端──萌絵の鼓動は激しいリズムを刻み始めた。


「見ながら試着して決めるよ。協力してね? 鈴木誠也」

「う、うん」


 平静を装うも萌絵の内側は動揺の嵐。

 僅かに火照った顔がすべてを物語る。


 瑞希への罪悪感が強まる一方で、誠也の感想を期待する自分がいる。

 相反する感情がぶつかり合い、萌絵の心は矛盾という魔物に支配されてしまう。

 混沌とする状況の中、暴走だけはしないと固く決意した。


「まずはー、これと、これでしょ、あとこれかなー」

「そんなに試着するの?」

「甘いよ、鈴木誠也。こんなのは序の口だからねっ」

「1回で試着できる制限とかないんです?」

「このお店はないんだよ。あー、あれとそれも試着しよっかな」


 手当り次第目についた服を手に取る萌絵。

 なんでもいい、とりあえず頭の中に誠也以外を刻みつける。

 今は自分に似合いそうな服を選ぶ。それに集中するだけ。


 普段通り、そう、友達と買い物しに来てると思えばいい。

 それが異性なだけで……。


「かなりの量ですね」

「そう? これくらい普通だよ。それじゃ試着するから、鈴木誠也、どれが一番似合ってるか審査してね」

「う、うん……」

「それと、こっそり覗いたりしないでよ? 姫にいいつけるからねっ」

「そ、そんなことするわけないじゃない」


 外と中で真逆な萌絵が誠也の顔を真っ赤に染まらせる。

 からかっているようで、実は心臓が破裂しそうなくらい大きな音を立てている。


 今誠也の目の前にいるのは偽りの萌絵。

 動揺を誤魔化すため、わざと気丈な振る舞いをしているだけ。

 堂々と試着室に入っていくが、その顔はほんのり紅潮し瞳が潤んでいた。


「はぁー、なんでこんなに緊張するんだろ。服を選んで見てもらうだけじゃない。あたしにとって鈴木誠也はどういう存在なのよ……」


 萌絵は試着しながら頭の中で自分の気持ちを整理する。

 なぜこんなにも動揺しなければならないのか。

 今日の目的は誠也の観察だったはず。それなのに──目的は忘却の彼方へと消え去り、いつの間にか誠也という存在に振り回されてしまっている。


 何が原因なのか。

 興味があるのは事実だが、ここまで心を揺さぶられるとは思ってもみなかった。

 分からない、いくら考えても答えが見つからない。

 まるで出口のない迷路に迷い込んだようで、萌絵は胸が締め付けられそうになった。


「あたしの中では姫が一番のはず。推しだし、男なんてどうでもよかった。でも……姫が付き合うような男って特別なのかなって。ホントに興味本位だったんだけどなぁ」


 瑞希の恋人である誠也が気になる。

 それは興味という意味ではなく、特別という意味の方が近い。

 そう、特別──罪悪感の先にいるのはきっとそれのはず。


 今ならまだ間に合う、その特別を綺麗に消し去ればいいだけ。

 萌絵はそう言い聞かせながら、試着用の服に着替えていた。


「よし、大丈夫、大丈夫に決まってる。だけど……この格好、変じゃないよね? 鈴木誠也に嫌われたり──って、ダメ、深く考えたらダメなんだから……」


 考えないようにすればするほど、誠也が萌絵の中で強調されていく。

 消せない、誠也を自分の中から追い出せない。

 単なる好奇心でしかなかったのが、いつの間にか大切な存在へと変わってしまう。


 その道はイバラの道、絶対に進んではいけない。

 そんな事は分かってはいるのに、足が勝手に動き出す。

 止まらない、いや、止められないが正しい。どうしたらいいのか分からないまま、萌絵は試着室のカーテンを開けた。


「どう、かな……。似合ってると思う?」

「凄く綺麗だよ。瑞希もそうだったけど、萌絵さんもなんでも似合うよね。つい見とれちゃうくらい似合ってるから」

「な、何言ってるのっ、ばかっ! つ、次よ次、試着する服はまだまだあるんだからっ」


 照れ隠しなのがバレバレな萌絵。

 しかし誠也は、その事実にまったく気がついていない。

 鈍感すぎるのにも程があり、当然であるが萌絵の抱いている気持ちにも気づいていない。

 お互いの心がすれ違う中、萌絵のファッションショーは静かに幕をあげた。


 次々に変わっていく萌絵のファッション。

 それこそ、モデルやアイドルを連想させるほどの可愛さ。

 気がついた時には周囲に人集りが出来ていた。


「な、なんでこんなに人が集まってるのっ!?」

「ホントですね。全然気づきませんでしたよ。でもそれって、萌絵さんがそれだけ可愛いって事じゃないですか」

「あ、あたしが可愛いって──」


 かぁぁぁぁ──。


 突如真っ赤に染まる萌絵の顔。

 恥ずかしすぎてその場に蹲ってしまう。


 流石にこの状況はまずいと思い、誠也は優しい口調で人払いを始める。

 すると次第に人々は散り始め、人集りはあっという間に消えてなくなった。


「萌絵さん、大丈夫ですか?」

「う、うん……大丈夫。大丈夫だから。ありがとう、鈴木誠也」


 誠也の優しい声で落ち着きを取り戻し、萌絵はその場から立ち上がろうとする。が……バランスを崩してしまい、そのまま誠也の胸へと飛び込んでしまった。


 初めて感じる男の胸板。

 どことなく頼りがいがあり、心に安らぎを与えてくれる。

 ずっとこのまま──そんな事が頭をよぎるも、萌絵はそれを否定し誠也から慌てて離れた。


「ご、ごめんなさい。ちょっとバランスを崩しちゃったから」

「ケガがなくてよかったよ。それで、買いたい洋服は決めたんですか?」

「え、えっと──こ、これにするっ!」


 無造作に取り出したのは最初に着た洋服だった。

 誠也に褒められたからではなく、この恥ずかしい状況から一刻も早く抜け出したかったからだ。


「それじゃ会計してくるね。って、この服ってペアで買うと半額になるんだ。どうせならもう1着買おうよ」

「ぺ、ペアって……。その意味分かってるの? 鈴木誠也」

「セットみたいなものでしょ? 僕が会計してくるから待っててね」

「ち、ちょっと待ってよ鈴木誠也!」


 萌絵の悲痛な叫びも届かず、誠也はペア分も一緒にレジへと持っていく。

 これは事故であり故意ではない、萌絵は自分にそう言い聞かせ納得するしかなかった。


「はい、これが今日付き合ってくれたお礼です」

「ありがと……。で、でも、ペアの方は鈴木誠也が持ってなさい」

「えっ、いいんですか? ではお言葉に甘えるとしますね」


 事故で買ってしまったペア分の服。

 自分で着れば何も問題ないのだが、萌絵の口から勝手に言葉が飛び出してしまった。


 もう否定しても無駄なことは分かっている。

 頭で納得しても心がそれを拒絶する。

 萌絵は誠也という存在に心を奪われたのだ。


 生まれて初めての恋は禁断の恋。

 推しである瑞希、その恋人を好きになるなどいけないこと。

 しかし……自分の気持ちが素直になったことで、萌絵の心は清々しいくらい晴れ渡っていた。

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