第32話 苦手なものと好きなものが同時にくる

 後悔なんてしていない。

 誠也がいるからどこへでも行ける。

 苦手な場所であろうと好きな人となら平気なはず。

 絶対に守ってくれると信じているから……。


「ここがお化け屋敷……ですか」

「うん、顔色が悪そうだけと、本当に大丈夫?」

「大丈夫に……決まってますわ。だって私はご主人様のメイド、これくらいなんてことありませんわ」


 強気なのは口だけで、瑞希の目は完全に死んでいる。

 怖くないと頭に刷り込むも、体が恐怖を覚えており、その場から足が動きそうにない。


 ダメ、今は誠也専属のメイド、ここで怖気付くわけにはいない。

 演じればいいだけ、そうすればきっとこの恐怖に打ち勝てるはず。

 瑞希はなけなしの勇気を振り絞り、誠也の袖を軽く掴んだ。


「あの、瑞希?」

「気にしないで、お願いだから、このままでいて。そして、何も聞かないでお化け屋敷に行くわよ」


 必死に涙を堪える姿が誠也の心に何かを刻む。

 誠也にとって瑞希は完璧な人という認識。

 男嫌いというのはあるが、勉強、スポーツ、家事全般と万能すぎるほど優秀だ。


 それが今、本気で怯えながらも、必死にそれを克服しようとしているのが、可愛くもありカッコイイとも思った。

 プールの時のように、全力でフォローすれば瑞希なら乗り越えられると誠也は思っていた。


「分かったよ。何があっても僕が傍にいるからね」

「あ、ありがと……」


 誠也の優しさに瑞希の恐怖がほんの少しだけ和らぐ。

 何があっても傍にいるから──その言葉はどんなものより勇気を与えてくれる。


 何があっても守ってくれる誠也が頼りになる。

 こういうのが特別な存在なのだろう。

 誠也の大きな背中を見た瑞希は安心感を覚えた。



 お化け屋敷──それは苦手な人にとっては絶望の空間。

 誰が好き好んで怖さを味わうというのか。

 涼が欲しいなら、プールやエアコンがある。それなのに、わざわざ行くのには理由があった。


 ひとつは吊り橋効果狙い。

 だが、お化け屋敷が苦手な瑞希には無意味。

 もうひとつは、怖がって相手に抱きつけること。

 狙いは後者しかなく、瑞希は甘えたい病に冒されていた。


「足元暗いから気をつけてね、瑞希」

「はひ、ご主人様……」


 薄暗い教室は迷路のようで、足元を照らす僅かな光が出口までの道標。

 一歩踏み込んだだけ──たったそれだけなのに、言葉を噛むほど怯えてしまう。


「本当に大丈夫? 無理なら戻るけど……」

「だ、大丈夫でふ。私はご主人様がいれば平気ですから、先に進みましょう」

「分かったよ、僕は瑞希を信じるよ。だから、僕から離れないようにしっかり掴んでいてね」


 その優しさと逞しさが嬉しく、恐怖の中でさえ顔を赤く染める。

 頼もしすぎる誠也に惚れ直しながらも、袖を掴む力は恐怖を紛らわそうと強くなる。


 心音が大きくなっていくのが分かる。

 怖い……邪な気持ちで苦手なお化け屋敷に入るものではない。

 暗闇から何が飛び出してくるのか不安で、瑞希の緊張はピークに達していた。


「な、何もないじゃないの。誠也──じゃなかった、ご主人様はどこで何が出てくるのか分かってるのよね?」

「もちろんだよ、だってここは僕のクラスだし。なんなら少しだけ教えようか?」

「いい、教えなくて平気ですわ」


 ネタバレされると驚いた拍子に抱きつけなくなる。

 こういう時でないと、恥ずかしすぎて自分から抱きつけない。


 卑怯と言われてもいい。

 出来ないものは出来ないわけで、使えるものはなんでも利用する。

 そうしなければ──一生できないままになるからだ。


「でも、瑞希がお化け苦手って、ちょっと意外だったよ」

「それはどういう意味かしら?」

「怒らないでよ。僕はね、瑞希って弱点とかないんだって思ってたんだ。泳げないって聞いた時も驚いたけど、やっぱり瑞希も女の子なんだって」

「まるで私が女の子じゃないみたいじゃないの。ご主人様のばかっ」


 一時的に恐怖を忘れ瑞希の小顔が膨らむ。

 今まで女の子と思っていなかったのか──思わずツッコミを入れたくなる。


 しかしここは我慢が必要、嫌われたくない一心で瑞希は怒りを心の奥に沈めた。


「誤解されちゃったみたいだけど、そうじゃないよ。僕が言いたかったのはね、瑞希ってクールでまったく動じない人だって思ってたんだ」

「そうね、学校ではそうしてましたから」

「だけどさ、照れたり笑ったり怖がったり、氷姫って呼ばれるには感情が豊かすぎだなって」


 心の奥に溜め込んだ怒りは一瞬で消え去る。

 ちゃんと自分を見ていてくれた──それがとても嬉しく、そして心の中を掻き乱していく。


 頭の中がぐちゃぐちゃになり思考が纏まらない。

 言葉には出来ないが誠也に何か言いたい。

 感謝でもなんでもいい、素直に今の気持ちをそのまま伝えようとした。


「あ、あのね、ご主人様……。こんなこと言われると困ると思うんだけど、実は私、ご主人様のことが──」


 まさかの告白──この場所、このタイミングでするとは瑞希自身もも驚きを隠せなかった。


 違う、そうじゃない、今ここで言うべきは告白ではないはず。

 ダメ、まだ心の準備も出来ていないのに……。

 言葉が止まらない、まるで意志を持っているかのように、瑞希の言う事をまったく聞かない。


 もし断られでもしたら、きっと瑞希は自我を保てないだろう。

 為す術なく運命に逆らえないでいると──。


「きゃーーーーーーーっ」


 目の前に浮かび上がった生首に悲鳴を上げる瑞希。

 今までの言葉がすべて吹き飛び、反射的に誠也へと抱きついてしまう。


 恐怖が目を覚ましたようで、あまりの怖さに抱きつく力が強くなる。

 真正面から両腕を首に回し、顔は吐息がかかるほど近い。

 見方を変えれば、それはキスする寸前のようでもあった。


「ち、ちょっと瑞希、落ち着いて……」

「だって、だってーーーーーっ」

「大丈夫、大丈夫だから、僕が傍にいるから怖がらないでよ」


 それは魔法の言葉だった。

 優しく包み込む誠也のオーラが瑞希から恐怖を消し去った。


 時間とともに瑞希は冷静さを取り戻す。

 完全に落ち着くと、今の状況を理解し急に顔が赤く染まり始めた。


「あ、あの、え、えっと……」


 互いの唇が近くにあり、何を話していいのか分からない。

 冷静、そう、冷静にならなければ──瑞希は早まる鼓動を抑えようとする。


 このままキスしたら怒られるのだろうか。

 いや、こんなチャンス絶対に訪れないはず。

 瑞希の中で天使と悪魔が戦いを繰り広げ、勝利したのは──。


 チュッ──。


「み、瑞希、今のは一体……」

「さぁ、何かありましたかご主人様? 早いところ出口に向かいますわよ」


 以前は誠也からのキスだった。

 しかも頬ではなく、瑞希のファーストキスを奪うという結果に。

 初めてのキスは思ったよりも悪くはなかった。


 だが今回は瑞希の意志で誠也にキスをした。

 お返しと言わんばかりに軽く唇を重ね、この薄暗さでなら誰も気づかないと思いながら。


 恥ずかしいと言えば恥ずかしいに決まっている。

 ただこういう状況でないと、瑞希からキスなど出来るわけがない。

 これで少しは自分の気持ちに気づいてくれたかも──そんな期待が恐怖をかき消し、瑞希は誠也の手を握りながら出口へと向かった。


「思ったより怖くなかったわね」

「思いっきり悲鳴を上げてたと思うんですけど?」

「そうかしら、ではご主人様、次はどこへ──」


 このまま文化祭デートを楽しもうとしていると、思わぬ邪魔者が現れた。


「やっと見つけた。さぁ、戻るよ西園寺さん」

「る、瑠香!?」

「誠也……。私のメイド服どうかな? 変じゃないよね?」

「うん、凄く似合ってるよ」


 誠也の褒め言葉で本来の目的を忘れそうになる瑠香。

 ほんのり頬が赤くなり、嬉しそうな顔をしていた。

 が……目的を見失ってはいけないと、問答無用で瑞希の手を掴み連れ戻そうとした。


「前原さん何をするのよ。私はこれからご主人様と──」

「いくらのんでもサボりすぎだから。誠也、またあとでねっ」


 強引に瑞希を誠也から引き離すと、自分達のクラスへと歩き始める。

 その後ろ姿が微笑ましく、誠也の顔から自然と笑みがこぼれた。

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