第31話 氷姫はメイドへと変身する

 見事、誠也を連れ出すことに成功した瑞希は、無我夢中で校内を走り抜ける。駆け落ちしているようで楽しくてしょうがない。


 どれくらい走っただろうか。

 足を止めたのは息が切れたからだった。


「はぁ、はぁ、ここまで来れば大丈夫そうね」

「瑞希、メイド喫茶の方は抜け出してよかったの?」

「平気よ、すべて計画通り──じゃなくて、前もって言ってあるからね」


 瑞希の取り巻きもとい、親衛隊が瑞希の代わりを務めることで了承済み。彼女達は瑞希を崇拝しており、手足となって動くことに幸せを感じている。


 氷姫ではなく姫──そう呼べるのが親衛隊の特権。

 叶わぬ恋と分かっていても、その身を捧げることが誇りであった。


「そっか、なら大丈夫だね」

「うん、さっそく文化祭を楽しみましょう。どこから行こうかしら」


 氷姫のままでも喜んでいるのは確か。

 表情には出せないが、心の中では真っ赤な顔をしていた。


 ふたりが歩くだけで周囲の視線を集める。

 それはイヤなものではなく憧れのようなもの。

 密かに聞こえてくる『あんな美女と羨ましい』という声に、誠也は恥ずかしさでほんのり赤く染る。


 役得とはいえ、瑞希のような美少女と肩を並べるなんて思わなかった。

 最初こそ強引ではあったが、噂と違う瑞希を見られたのは嬉しい。

 今見えている景色はそれほど悪くなく、むしろ心地よさすら感じるほどであった。


「まずは何か軽く食べたいかなー」

「それなら焼きそばとかたこ焼きにしようよ。外のベンチでゆっくり食べればいいでしょ」

「そうだね、せっかく晴れてるんだしその方がいいかも」



 校庭の屋台で焼きそばなど適当に食べ物を買うと、誠也達は臨時設置されたベンチに並んで座った。


 気持ちがいい、ときおり吹く風が涼しさを届ける。

 青空の下で食べるのは久しぶりで、自然と気分が高揚していく。


「外で食べると一段と美味しく感じるね」

「ですわね、そうだ誠也、お願いがあるんですけど聞いてくれるかしら?」


 不敵な笑みを浮かべ何やら怪しい態度の瑞希。

 すぐさま断れない雰囲気を作り出し、誠也の顔に近づき始める。


 吐息が伝わるほど距離が近い。

 暑さのせいもあり、誠也の顔が赤くなる。

 動けない、こんな状況で何を要求されるのか、誠也の中では不安が膨れ上がった。


「え、えっと、どんなお願いですか?」

「聞いてくれるのね。ありがと、誠也」


 誰もお願いを聞くなど言っていない。

 天使の笑顔を向けられ、断るという選択肢が頭の中から消え去る。


 もはや覚悟を決めるしかない──誠也は瑞希が何をお願いするのか、静かに待っていた。


「それはですね、たこ焼きを私に食べさせて欲しいの。ほら、あーんってやつね」

「えっ、い、いや、それは……」

「ダメなんですの? お願いを聞いてくれるって言ってくれましたのに」

「聞くとは言ってないけど。だって、みんなが見てて恥ずかしいかなって……」

「だからいいのよ。ほら、恋人同士なんですから遠慮してはダメですわよ」


 恥ずかしいなど言っていられない。

 すでに瑞希は準備万端で待っているのだから。


「分かった、分かったよ……。はい、あーん……」

「んー、おいひいー」


 誠也に食べさせて貰うと美味しさが倍増する。

 幸せの絶頂──大満足した瑞希は更なる要求を誠也にしようとしていた。


「今度は私の番ですわ」

「それってどういう──」

「いいから早く口を開けてよねっ」


 こうなった以上瑞希に従うしかなく、誠也は口を大きく開ける。

 何をされるのかは予想でき、その時が来るのを待つしかなかった。


 口の中に広がる柔らかい感触。

 恥ずかしさと美味しさが混ざった味は、誠也にとってなんとも言えないものだった。


「どう? 美味しかった?」

「う、うん……」

「それならよかったわ」


 眩しすぎる笑顔は誠也が初めて見るもの。

 瑞希が綺麗なのは知っていたが、それだけでは表現できない美しさ。


 天使? それとも女神? そんなことが浮かび、誠也の脳裏にその姿が刻まれた。


「ねぇ、食べ終わったらどこへ行きたい? あっ、そうですわ、誠也のクラスに行きましょうよ」

「いいの? 僕のクラスはお化け屋敷なんだけど……」


 その言葉を聞いた途端、瑞希の顔が急に青ざめる。

 誰にでも苦手ものはあり、瑞希はお化けの類いが怖くて仕方がない。


 最大のピンチ──他へ行こうかと思うも、暗闇で二人っきりというチャンスだということに気づいてしまう。

 考える考え抜き、頭の中で色々なシュミレーションをする。


 怖いなら誠也に抱きつくことも出来るはず。

 だが苦手なのを知られては、お化け屋敷ではなく別のところになりそう。

 ここが正念場なのは確かで、上手く誤魔化すしかないと思っていた。


「だ、大丈夫ですわ。多少のことなら平気ですもの」

「本当に……?」

「もぅ、誠也は心配しすぎなんですからっ。それとも、ご主人様って呼んであげましょうか?」


 怖さを払拭するように誠也へ八つ当たりする瑞希。

 メイドであることを盾にし、誠也の心を乱そうとする。


 もしかしたら、メイドになりきった方がいいのだろうか。

 普段とはまったく違う姿を見せれば、自分に振り向いてくれるかもしれない。


 思いついたが吉日、瑞希はさっそく実行に移そうとした。


「それはちょっと恥ずかしいかな」

「ダメですわ、ご主人様。今日だけはアナタのメイドとして、お世話してあげますわよ」

「ほ、本気なのっ!?」


 驚く誠也を華麗にスルーし、瑞希はメイドへと変貌を遂げる。

 1日だけという限定ではあるが、誠也の心に刻まれるため、誠心誠意、心を込めて演じようとする。


 これも本物の恋人になるのに必要なこと。

 羞恥心など一切存在せず、自らの気持ちを込めてメイドになるだけ。

 そうすればきっと──誠也の気持ちが変わってくれると信じていた。


「本気ですわ、ご主人様。なんなりと私に命令しても構いませんことよ?」


 妖艶な眼差しが誠也の心を動かし始める。

 普段では絶対に見せない姿。まるで生まれ変わったように、新鮮な気持ちでメイドになった。


「なんでもって……」


 何を想像したのか、顔から湯気が上がる誠也。

 瑞希から咄嗟に視線を逸らしてしまう。


 なぜこんなにも心が揺れ動くのか。

 瑞希とは偽りの恋人であり、そこに恋愛感情などないはず。

 この気持ちがなんなのか、今の誠也には理解できなかった。


「どうしてご主人様の顔が赤いのです? どんな命令をしようとしたのか気になりますわ」


 人差し指を唇にあて、甘えるような視線を誠也に送る。

 初めて見た小悪魔的な表情に、誠也の心が再び揺れ動く。


 どうして、目の前にいるのは瑞希のはず。

 見慣れているはずの姿がいつもと違って見え、誠也の胸を苦しくさせる。


 学校一の美少女、誰もが憧れる存在、そんな人と偽りとはいえ恋人同士になっている。今まで実感がなかったのに、瑞希がとった仕草ひとつで、それが湧き上がってきた。


「べ、別になんでもないよ。お化け屋敷……行くんでしょ」

「はい、ご主人様。瑞希はご主人様に従うまでですわ」


 見た目は瑞希だが中身は別人のよう──。

 メイドでありながらも、誠也の腕に絡みつきながらお化け屋敷へと向かい始める。


 気づいているに決まっている。

 瑞希が気づかないわけがない。

 誠也の態度が変わったことに……。


 このままメイドで迫り続ければ、きっと誠也は自分だけを見てくれるに違いない。瑞希は心の中で勝利の笑みを浮かべていた。

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