第29話 氷姫はメイド服を着てもいいですか
それはまるで運命のようであった。
この世界は彼女を中心に回っているのかと思うぐらいに。
選ばれし者とはまさにこの事で、すべてが自分の描いた通りに進んでいった。
「──ってことで、私のクラスはメイド喫茶になったのよ」
「それじゃ、瑞希のメイド服姿が見られるってことだね」
「そうよ、写真はNGだけど、その瞳にしっかり焼き付けてよねっ」
爽やかな笑顔を誠也に向ける瑞希。
よほどメイド服を着られるのが嬉しいのだろう。
心に暖かい風が吹き込み、氷が溶け始め素の瑞希が姿を現す。
メイド服でやってみたい事はたくさんある。
頭の中でそれらを描き、妄想にふけるほど今から楽しみで仕方がない。
「瑞希のメイド服かぁ、僕も楽しみにしてるからね」
「ふぇっ!?」
誠也の意外な言葉で現実世界へと戻される。
急に体が熱くなり顔が真っ赤に染まっていく。
誠也が楽しみにしているのなら頑張るしかない。
たとえイメージが壊れようと、誠也にさえ気に入って貰えればそれでいい。
思考回路がショート寸前になりながらも、瑞希は心の中で固い誓いを立てた。
「そんな驚かなくても……」
「お、驚いてなんかいませんわ」
「分かった、分かった。それとお弁当なんだけどさ、文化祭が終わるまで休んだらどう? 僕的にはもの凄く嬉しいんだけど、瑞希の体が心配なんだよね」
誠也の優しさが瑞希の心に染み渡る。
気遣ってくれるのは嬉しいが、お弁当を作らないと毎朝迎えに行けなくなる。
イヤだ、あの心地よい時間が無くなるのは絶対に無理。
そんなの耐えられるはずもなく、精神崩壊待ったなしだ。
それに比べたら……多少の無理をした方がマシだと瑞希は考えた。
「大丈夫ですわ。それくらい平気に決まってますもの。だって私と誠也は──恋人同士なんですからねっ」
「瑞希が平気ならいいけど。無理だけはしないでね?」
いつの間にか消えた偽りという文字。
それはあまりにも自然過ぎて誠也も気づいていない。
本物の──とはさすがに声を出して言えないが、心の中ではしっかりと言っていた。
「ありがと、誠也。大丈夫、絶対に無理はしないですわ」
誠也にはそう言ったものの、無理するに決まっている。
一度でもこの甘い時間を味わうと、抜け出せなくなるのは人の性。
幼なじみより長い時間一緒にいたい……今さら数年という年月を覆せないのは分かっている。
だがそれでも──愛しい人の傍にはずっといたいものだ。
文化祭の準備が本格的に始まろうとする中、水面下でも激しいバトルが繰り広げられようとしていた。
それは言わずもながら瑞希と瑠香のこと。
瑞希には劣るとはいえ、瑠香の容姿もなかなかのもの。
メイド服を誠也に見てもらいたいのは瑞希だけではなかった。
「西園寺さんってメイド服着るんですね」
「私が着たらダメってことはないでしょ」
「それはそうですけどー、なんて言うか、イメージとかけ離れている気がするんですよね」
あからさまな挑発をする瑠香。
これ以上瑞希に目立って欲しくないというのが本音。
容姿では完璧に負けているのだから、裏方に回ってくれるよう道を作る。
誠也を偽りの恋人から取り返したい。
あの呪縛さえなければ、誠也は自分のモノになっていたはず。
今でこそ想いを伝えられたが、誠也が偽りの恋人になる前は無理だった。
どうしてもっと早く素直になれなかったのだろう──。
今さら後悔しても仕方ないが、過去へ戻れる手段があればと思っていた。
「別にイメージなんて私には関係ないわよ。何をしようと私が私であることには変わらないのですから」
崩すことの出来ない固い意思。
それもすべては誠也に褒めてもらうため。
それ以外のことなど瑞希にとってはどうでもいい話。
瑞希の心を奪っているのは誠也だけで、その他大勢は道端に転がる小石と同じ。
褒められるのは誰でもいいわけではなく、想い人にさえ褒めて貰えれば満足であった。
「そっか、西園寺さんって料理が上手だから、そっちもありかなーって思ったんだよね」
「あら、それなら前原さんの方がお上手ですわ。やはり私なんかよりも、料理上手な人が裏方に入った方がいいと思いますの」
止まることのないふたりの攻防。
譲らない、どちらとも一歩も譲る気はない。
火花を散らしどんな手を使ってでも、誠也から離そうとしていた。
「瑠香、少し落ち着きなさいよ。ほら、内装とかやる事がいっぱいあるんだし」
「うっ……。それはそうだけど……」
見るに見兼ねて沙織がふたりの衝突を止めた。
親友には頭が上がらないようで、瑠香は渋々その場をあとにした。
「ねぇ、姫はもしかしてメイド服着てくれるの?」
瑞希を姫と呼ぶクラスメイトの女子。
あまりの美しさから、親しい女子たちはそう呼んでいる。
「もちろんよ。私では似合わないと思ってるのかしら」
「ううん、逆だよ、逆。絶対似合うと思ってるからさ。でも、姫は着てくれないかなって心配してたんだよ」
「着るに決まってるじゃないの。せっかくの文化祭なのよ?」
心が嬉しさで満たされるも、決してそれを表には出さない。
今の瑞希は氷姫──冷たい美しさが周囲を魅了する。
男子は遠くから眺めることしか出来ず、常に女子達が瑞希を守るように取り囲む。中には親衛隊と呼ばれる女子もいて、誠也と瑞希が付き合ってからは男子一切近づけさせなかった。
「それは神すぎる。マジ姫のメイド服姿とか目の保養だよ」
「それなー、姫は何着ても似合いそうだし。ってか、姫が男と付き合ったって聞いたときは、マジビックリしたわ」
「そ、それね……。冴えない人だから期待するようなことなんて何もないわよ。おかげで告白されなくなったし、私はむしろ良かったと思ってるの」
ウソ、何もないなんてデタラメすぎる。
今でも心の中は驚くほどドキドキしてる。
誠也とは何もない?
違う、手料理振舞ったり、毎日お弁当作ったり、誠也に心を奪われたり……。それにデートやキスまでしている。
これだけしていて何もないとは言えない。
逆だ、これだけしていることを、恥ずかしげなく言えないだけ。
ましてや、学校で見せている氷姫とは真逆の存在なのだから。
「姫が付き合ってる人って確か……隣のクラスの鈴木君だよね? 冴えない顔してるし、あたしにはどこが好きなのか理解できないや」
「そんなことありませんわ。優しいですし、野蛮ではないですし、それに……いいえ、なんでもありませんの」
これ以上何か言うと氷姫でいられなくなる。
本当の自分を知っていいのは誠也だけ。
瑞希にとって特別な存在であり、秘密を共有したいという想いがあった。
恋に落ちると周りが見えなくなるもの。
しかし瑞希は、氷姫という役割を演じなければならない。
この場に誠也さえいなければ冷静さを保てる。
もし、仮の話になるが、瑞希の視界に誠也が入ってしまったら、一瞬で氷姫から恋する乙女に変わってしまうだろう。
「そういえばさ、メイド服が届いたらしいから、さっそく着てみない?」
「あー、それナイスだわ。今なら姫のメイド服姿を撮れるし」
「えっ、メイド服もう届いているの?」
早く着てみたい──自分に似合うか不安があるものの、期待もそれと同じくらいある。
緊張する、メイド服を受け取り更衣室で着替え始める瑞希。
ドキドキが止まらない。
落ち着かないと、そう心に問いかけ瑞希はメイド服に袖を通した。
「やばーい、さすが姫だよ。もうこれは写真撮るしかないね」
「目の保養すぎるー、姫はやっぱり姫だったね」
「変じゃないかしら?」
「全然平気だよ、これで売り上げトップはいただきかなっ」
写真を撮られながら思うのは誠也のこと。
誠也もみんなのように褒めてくれるのか。
いや、きっと褒めてくれるはず。だが……お世辞ではなく、心からの褒め言葉を期待する瑞希であった。
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