第28話 波乱の新学期

 長いようで短い夏休みも終わり、嬉しくない学校が今日から始まる。

 変わらない日常の始まり──そう思っていたのは誠也だけ。

 常に少しずつ変化していることに気づかず、それはなんの前触れもなくやってきた。


 ──ピンポーン。


 誠也の家にインターフォンの音が鳴り響いたのは朝の7時過ぎ。

 平日の朝早くからの訪問者は誰なのか。

 学校へ行くついでに誠也が応対すると──。


「誠也、迎えに来てあげたわよ」

「なっ、瑞希!?」


 幻ではないか──一瞬そう思うも、これは紛れもない現実。

 白一色に染まった頭では何も考えられず、しばらく石像のように固まってしまう。


 待ち合わせ場所はここではないはず。

 分からない、どうして瑞希が自分の家の前にいるのか理解できない。

 もしかして忘れ物でもしたのかと思ったが、瑞希は『迎えに来た』とハッキリ言っていた。


「何をそんなに驚いているのよ。ほら、早く出てきなさいよね」


 瑞希の呼びかけで体が勝手に動き出し、気がついたときには外へ出ていた。


「おはよ、誠也」

「お、おはよう……」

「今日から新学期だって言うのに、元気がないわね」

「元気がないというより、驚いてるんですけど……」


 本物──誰がどう見ても本物の瑞希。

 残暑のせいかほんのり顔が赤い。

 言葉遣いはいつもと変わらないが、どことなくしおらしい態度のように見えた。


「そ、そうね。まさか私が迎えに来るなんて、思ってもみなかったでしょうね」

「うん、でも、どういう風の吹き回しなの?」

「そ、それは……」


 誠也に理由を聞かれた途端に動揺し始める。

 本当のことを言いたいものの、踏ん切りがつかず話せないでいる。


 初めてのことだから緊張する。

 受け取ってくれなかったらどうしよう。

 ネガティブ思考全開で前へ進むのを拒んでしまう。


 明日からにすればいいか──そんなことを考えるが、もし、瑠香に先を越されたらきっと後悔するはず。

 それだけは絶対にイヤ、そう思うと自然と勇気が湧き出てきた。


「それはね、お弁当……そう、誠也のためにお弁当を作ってきたのよ。受け取ってくれるかな……?」


 返事を聞くのが怖くないと言えばウソになる。

 しかしここで踏み出さなければ、きっと永遠に踏み出せないであろう。

 体が子犬のように小刻みに震え、瑞希は上目遣いで誠也からの返事を待っていた。


「僕のために? ありがとう、瑞希、嬉しいよ」

「ほ、ホント? ホントの本当に嬉しい?」

「もちろんだよ。瑞希の料理、本当に美味しかったし、お弁当で食べられるなら最高だからね」

「嬉しい……」


 優しい笑顔と潤んだ瞳が瑞希の喜びを表現する。

 内心は断られたらどうしようと思っていた。


 不安が歓喜に変わる瞬間ほど心地よいものはない。

 失敗を恐れず前に進んだからこそ、結果が伴ったとも言えよう。


「お昼が楽しみだね。って、それなら学校で渡せばよかったと思うんだけど」

「え、えっと、それは、ほら、誠也って購買派でしょ? だからなるべく早く渡そうと思って……」

「そっか、なんか気を使わせちゃって悪かったね」


 本当はもうひとつ理由がある。

 誠也には絶対に言えない秘密の理由。

 こればかりは、胸の内にしまっておこうと決めていたもの。


 ただ誠也に一刻も早く会いたかっただけ──。

 そんな事を言えば告白したのも同然。

 それは無理、まだ心の準備が出来ていないからだ。


「ううん、これくらい大したことありませんわ。さっ、遅刻する前に行きますわよ」


 自分の心を偽り普段と変わらない態度。

 今こそ氷姫の仮面を被らなければいけない。

 もし、仮面がなかったら……しわくちゃな笑顔で今日一日を過ごさなければならないのだから。



 お昼がこんなにも緊張するものとは思わなかった。

 どんな感想が飛び出してくるのか不安で鼓動が高まる。


 ──トクン、トクン。


 水面に落ちる水滴のように一定のリズムを刻み、期待と不安がせめぎあい瑞希の心を乱してくる。


「美味しそうなお弁当だね。瑞希の料理は本当に美味しいから楽しみだよ」

「そ、そうかな。普通だと思うわよ……」


 照れ隠し──自分でハードルを上げないというのもあるが、誠也からの褒め言葉は特別で、瑞希の心に深く浸透する。


 他の男から言われてもこうはならない。

 男なんて野蛮でガサツなだけ。

 それは分かっているのだが……誠也だけは特別な存在で、一緒にいるのが楽しくてしょうがない。


 好き──偽りではなく本物の気持ち。

 その気持ちを込めたお弁当が誠也の心に届くのか、複雑な想いが交差する中、誠也の食べる姿をじっと見つめていた。


「どう、かな」

「うん、最高だよ、こんなに美味しいお弁当は生まれて初めて食べたよ」

「そ、そうなのね。よかった……朝早くから頑張ったからね」

「何か言いました?」

「ふえっ!? に、にゃんでもないっ」


 言葉にならないくらい嬉しい。

 努力は報われるものだと、いつもより1時間も早く起きたかいがあったものだと思った。


 夏休みの課題のときもそうであったが、今日の嬉しさはあの時よりも遥か上。

 氷姫の仮面が剥がれ落ちるくらい、瑞希の顔は幸せそうであった。


「そういえばさ、文化祭は何やるか決まったかしら?」

「僕のクラスはまだかなー」

「私のクラスは午後に話し合いがあるのよ。メイド服着てみたいからメイド喫茶にならないかなー」


 憧れのメイド服──氷姫である瑞希とは真逆であるが、着てみたいという想いは強かった。


 自分のイメージがあるのは分かっている。

 しかし文化祭でやるとなれば、堂々と夢を叶えられる。

 だからこそ午後は、瑞希にとって勝たなければならない戦いなのだ。


「それなら家とかで着てみればいいと思うけど」

「それは分かっているのよ。だけどね、人間はイメージが大切じゃない? 私がなんて呼ばれてるか知ってますし、そのイメージを壊したくないかなぁと思いますの」


 一応イメージを気にしている。

 自分に似合わない言動や行動には、気をつけているつもり。

 たげど……学校行事という理由さえあれば、そのしがらみから解放される。本当の自分をさらけ出してもバレないと思っていた。


「そっかぁ。でも僕はまったく気にしないよ。だって瑞希は瑞希だからね」


 刺さる……その言葉が心の奥に突き刺さり、押さえつけていた何かを動かし始める。


 他人の顔色を気にしても仕方がない。

 いや、本当の自分の姿は誠也にだけ知ってもらえればいい。


 イメージに固執するのを辞めてしまおうか──そんな事が頭の中に浮かぶも、そんな勇気はないと綺麗に消し去ってしまった。


「それにさ、噂とは違う瑞希が見られて僕は得した気分だよ。きっと学校のみんなは知らないだろうし。偽りの恋人なのに、なんだか特別な存在になった感じかな」


 誠也の本心は瑞希の心を大きく揺さぶる。

 そう思っていたのは自分だけじゃなかった。それが妙に嬉しく、今ならどんな事でも出来そうだと思った。


「あ、ありがと……」

「応援してるよ。僕は瑞希のクラスがメイド喫茶になるよう、心の底から応援しているから」


 誠也の顔をまともに見られない。

 赤面したまま視線を地面へと向け、小さく頷く事しか出来ない。


 嬉しすぎて暴走しそう。

 大声で心の声を叫びたかった。


 まだダメ、喜ぶのはまだ早い。だって、メイド喫茶でメイド服を誠也に見せるのが目的だから。

 どんな反応するのか今から楽しみで、瑞希の中では文化祭の出し物がメイド喫茶に決まっていた。

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